2022年10月15日 (土)

気候変動やゼロカーボンの基礎を話します(10/17参加申込締切です)

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●受講対象が大幅拡大、申し込み締切も延長❗️
過日お知らせした時には「松本地域の小中高教員」「第1回研修(10/18実施)の申し込み締切は10/12」としましたが、大幅変更となりました。
■松本地域管外の方、教員でない方も参加できます
■申し込み締切は10月17日(月)
となりました❗️研修はオンライン開催です。
参加申し込みはながの電子申請サービス、あるいは松本地域振興局 環境・廃棄物対策課 橋詰さんにメールしてください。
E-mail : matsuchi-kankyo@pref.nagano.lg.jp

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2022年3月11日 (金)

●2022年を社会の変革(transforming our world)へと動く年に

昨年の大晦日、「2020年をピークアウトの年にしよう」と投稿した。ピークアウトとはCO2の排出がピークを迎え減少へと転じることだ。2020年、COVID-19の影響でCO2排出は前年から5%以上減少した。ピークアウトできるチャンスであった。
だが現実はリバウンドを起こしてしまった(グラフ参照)。
どうすればピークアウトできるのだろうか?
ピークアウトする社会になるのだろうか?
「DRAWDOWNドローダウン― 地球温暖化を逆転させる100の方法」( https://drawdownjapan.org/ )に書かれていることをすみやかに着実に進めるべきであることは言うまでもない。
だがそれには、それらを進めようという大きな社会的意思が必要だと思う。その意思形成がなければ、相変わらず「できることから始めよう」で止まってしまいそうだ。
できることから始めることは、物ごとの取りかかりとしては大切なことだが、その意識のもとでは、できることをやった次に、このままではできないことへと進めない。
次のステップ(このままではできないこと)、それは非常に大きなステップとなるはずだが、そこに進むには社会的意思形成が欠かせない。
その社会的意思形成は為政者が決めて上から押しつけるものではなく、生活者の意識から形成されるものでなければならないと思う。 
その時に重要なのが環境倫理だ。
日本に環境倫理学を持ち込んだ加藤尚武さんは、環境倫理学の主張は次の3つであるとした。
1) 自然の生存権:人間だけでなく、生物の種、生態系、景観などにも生存の権利があり、勝手にそれを否定してはならない
2) 世代間倫理:現在世代は、未来世代の生存可能性に対して責任がある
3) 地球全体主義:地球の生態系は開いた宇宙ではなく閉じた世界である
※出典:「環境倫理学のすすめ」、加藤尚武
なぜ環境倫理が重要なのか?
それは環境倫理が、社会のしくみやきまりを作るうえでの基礎あるいは前提となるものだからだ。
環境問題の解決では個人の心がけやライフスタイルを変えることが提唱される。大切なことである一方、多くの人は疑問を持つのではないだろうか。こんな個人の取り組みだけでできる改善などたいしたことではないのではないか?こんなことでは気候変動は緩和しないだろう、と。その通りである。
そこに環境倫理を持ち込むことで、社会全体の基礎、社会のあり方の規範に関心が向き、考え、その結果として社会の思想がなされるようになるはずだ。
環境倫理を理解し意識することにより、個人の心がけレベルの意識は、社会の基礎や前提へと向き、社会を変えなければという考えが醸成されていくだろう。
これから10年間弱のうちに大改善しなければならない環境問題には気候変動と生物多様性がある。
どちらも根本からの取り組みが欠かせない。どのようなことが根本なのか、それを示すのが環境倫理の3つの主張である。
環境倫理の主張を理解し、広めていこう。
そして大事なことは、環境倫理の主張に基づいて気づいたこと、考えたことを口に出すなり、文章にするなり、自分以外の人に伝え、共有し、語り合うことだ。
それが社会を変革していく力となる。
2022年を、社会を変革していく動きが実感できる年にしたい。
みなさん、一緒に取り組みませんか?

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2021年7月14日 (水)

●諏訪バイパスに関する共通認識


諏訪バイパスについて、おそらくいろいろな意見や主張があります。
それでも、次のことは共通の認識だろうと思います。
1)地面の中のことは正確にはわからない
2)正確に知るためには調査が必要である
3)諏訪バイパスは大きなトンネルを掘る計画である
4)トンネルを掘った場合、影響の大小はともかく、必ず影響は生じる

4)について言えば、もしも何らかの裏付けある確たるデータによって、トンネルを掘った場合の影響をかなり正確に見積もることができ、住民の暮らしに大きな悪影響や危険を生じることがわかった場合はトンネルは掘ってはいけない、ということも前提付きではありますが、共通の認識だろうと思います。

このように整理すると、2)が十分に行われているのかどうか、この点が重要だということがわかります。
1)は事実です。3)は人間の意思で決めることができますが、現時点では賛否とは無関係に、これが前提条件となります。
4)も影響の有無という観点で言えば、影響はあるとするのが合理的な考え方です。

2)は、言葉を変えれば「工事しようとしている地面の中が正確にわかっているのかどうか」という論点に落とし込むことができます。
この部分を徹底的に検証する必要があります。

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2020年7月19日 (日)

グレタさんの公開書簡に賛同署名を!

7/16、グレタさんがEU首脳に公開書簡を送りました。
数千人の署名が添えてあり、ビリー・アイリッシュも署名。


気候変動を「危機」としてとらえ対策を強化するよう求めるもので、「ecocide:エコサイド(大規模な環境破壊)」を国際刑事裁判所(ICC)で裁かれる国際的犯罪とするよう提唱しています。
" EU member states must advocate to make ecocide an international crime at the International Criminal Court "

今も署名を集めています。ぼくは署名しました。
署名は以下のリンク先から、みなさんも参加を!

公開書簡の内容と署名

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2019年1月20日 (日)

地層処分

1月19日、松本で開催された「科学的特性マップに関する対話型全国説明会」に参加した。このタイトルでは多くの人には何の説明会かわからないだろうが、原発由来の高レベル放射性廃棄物の地層処分についての説明会である。
参加前、参加中といろいろ考えたり気づいたことから2点に絞り書いている。一つは説明会の運営、もうひとつは日本学術会議による回答書である。
●説明会の運営
NUMOからの説明後の質疑応答は数名毎のグループの中でのみ受け付けるとの主催者方針に対して、参加者から10分程度でよいので全体での質疑応答時間をとってほしいと複数の要望が出された。参加者全体で共有すること部分があることも必要との観点からの要望だ。
主催者はグループ質疑の方が多くの人の質問に答えらえるからとの説明を繰り返すのみ、最後はこの説明会の責任者と称する人が登場して、事前に予定した進行以外は認めないと一方的に宣言した。
責任者のなすべきことは、参加者の要望を理解し折り合いのつく運営を臨機応変に進めることだろう。グループ質疑に90分とっているのだから、その中の10分を限定時間として全体質疑にあてることに不都合があるとは思えない。最低でもなぜその要望に応えることができないのか合理的な説明が必要だ。
責任者の務めは一方的な宣言をすることではない。
●日本学術会議の回答
日本学術会議は内閣府原子力委員会からの審議依頼を受け、「高レベル放射性廃棄物の処分について」との回答を提出している( http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-k159-1.pdf )。
この回答には次のような重要な記述がある。
1)エネルギー政策・原子力政策における社会的合意の欠如のまま、高レベル放射性廃棄物の最終処分地選定への合意形成を求めるという転倒した手続きを進めていると判断している
2)高レベル放射性廃棄物の「総量管理」
3)暫定保管によるモラトリアム期間の設定
4)公正な立場にある第三者が討論過程をコーディネートすること。その理由は「政策論争の一方の陣営が、同時に討論過程の管理者となっているような場合には議論の公正な管理はできない」としている。
この回答を受けてどのように進めようとしているのか、まずそこが重要だと考えているが、回答とこの説明会との関連性が把握できず、それを知りたいと思い説明会に参加した。
 
学術会議の回答を受けどのようにしようとしているのかと質問したところ「ひとつの考えとして聞きました」との説明だった。
 
この説明会が地層処分ありきの証拠づくりとならないよう、国民の監視が大切だ。

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2018年10月 7日 (日)

「教科書を信じない」とはどういうことか、しっかり考えよう

京都大学特別教授の本庶佑さんがノーベル医学・生理学賞を受賞することになり、10月1日夜の記者会見を聞いていたら、とても興味深く、ぼくなりの解釈で「その通りだ」と思ったことをおっしゃっていました。
「教科書に書いてあることを信じないで、常に疑いを持ち」というものです。
 
NHKのNEWS WEBによれば、研究者を目指す子どもたちへのメッセージを聞かれ、本庶さんは次のようにおっしゃいました。
「研究者にとっていちばん重要なのは何を知りたいかと思うこと、不思議だと思う心を大切にすることだ。そして、教科書に書いてあることを信じないで、常に疑いを持ち、本当はどうなっているのかという心を大切にする。自分の目でものを見て納得するまであきらめない、そんな小中学生がぜひ研究の道を志してほしい」
 
ぼくは記者会見を聞きながら、「教科書を信じない」というフレーズだけが注目され、ひとり歩きしてしまいそうだなとも思いました。
 
これは研究者を目指す子どもたちへのメッセージとして問いかけられたことへの答えであり、だからこそ「そんな小中学生がぜひ研究の道を志してほしい」と締めくくっているのだと思います。
 
本庶さんの真意は本庶さんでなければわかりませんが、ぼくなりの解釈として「自分で考えよう、自分の頭で考えよう」ということだと思いました。もう少し正確に言えば、本庶さんの言葉に触発され、そのことを強く頭の中に描いたということです。
 
ふだん仕事をしていると、証拠・証明や裏付け(よくエビデンスという言葉をよく使いますね)を求められます。必要なことであり、ぼくも重要視しています。
ただ、思考がエビデンスで止まってしまってはいないか?
このことを常に自分にも、まわりにも問いかけることが大切で、それを怠ってしまってはいけない。本庶さんの話でそのことを強く考えました。
 
エビデンスが本当に正しいのか、その意識も必要ですし、大切なことはエビデンスをもとに「ではどうするか」と自分で考えることです。
でも往々にして「エビデンスがこうだから、それに従おう」となりがち。
エビデンスを重視することと、エビデンスを鵜呑みにすることは大きく違います。
エビデンスを鵜呑みにして物事を進めることは、正しいやり方のように見えて、実は自責でなく他責にしてしまっていると言えます。
 
本庶さんのお話で、自分のふだんの考えや行動を自戒し、自分で考えることを徹底していこうと思いました。

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2018年6月23日 (土)

言葉に力を与えるもの

権力や地位は言葉に力を与えない。
そのことを心から感じました。
 
家にいる時はラジオをつけていることが多いです。
今日は沖縄慰霊の日の沖縄全戦没者追悼式をリアルタイムで聞くことができました。
手術後にもかかわらずこれだけはと出席した翁長知事、安倍総理大臣、そして中学生の相良倫子さん
3人のスピーチを聴いて、強く感じました。
 
日本最高の権力や地位を持っているからといって言葉に力があるわけではなく、声に力があるわけでもない。
言葉や声に力があることはとても大切なこと。
 
ただ、空虚な言葉を語っていても、権力も地位はやはり権力であり地位であること、これが問題です。

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2018年5月11日 (金)

ポケットティッシュを配らない、受け取らない

通勤に毎朝使う上諏訪駅。
時々、駅入口への導入路に人垣を作って待ち構えている人々がいる。
何かのキャンペーンだ。
ぼくはこれが苦手だ、あの人垣の中を通らなければ駅に入れないのだが、とても圧迫感を感じる。
耳をふさぎ、目を閉じて歩きたくなる。
何かを伝えるための人垣だろうに、これでは逆効果だとも思う。
だが、ここで書きたいのはこの手法の是非ではない。

たいていの場合、その声かけはポケットティッシュ配りとセットだ。
ティッシュを差し出しながら何か言っている。
受け取る人は多いように見受けられるが、ぼくは受け取らない。
理由は簡単、ポケットティッシュを配るべきではないと考えているから。
配るべきものでなければ、受け取る理由もない。
森林伐採して製造しているであろうポケットティッシュ。
それを無料で街頭で配る。
この行為がおかしいと思わないのだろうか。

もしかすると再生紙のティッシュかもしれない。
だが無料で配るくらいのものだから、原価の安いティッシュであろうと推測すれば、バージンパルプ製である可能性が高いだろう。

どうでもよいことかもしれないし、そもそもぼくが何か間違った考え、あるいは勘違いをしている可能性もある。
目くじらを立てるようなことではないという見方もあるだろう。
でもやはり、ぼくには受け入れることのできない行為だ。

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2018年5月 6日 (日)

古材の楽しみ

諏訪にReBuilding Center JAPAN(リビセン)がオープンしてすでに1年半以上が過ぎました。
自宅からすごく近い(歩いて5分とかからない)こともありよく通っています。気になる古材を見つけるとひとまず買っておいて「さて、これで何を作ろうか」と考え、あるいは作りたいものに合った古材をリビセンに探しに行ったり、本当に、よくぞ諏訪に、いやいや近所にリビセンができてくれたと思わずにはいられません。

古材を使ったモノづくりをいくつか経験して、ぼくなりに古材の楽しみや古材の良さを2つ見つけました、それを書きます。

まず一つめは「一材入魂」とでも言えるかもしれないこと。古材には同じものはありません。目の前にある古材で何かを作る時、失敗は許されないとも言えるわけで、その緊張感がモノづくりに気合を入れてくれます。そしてその古材の個性を活かすためのアイデア。そのアイデアは、裏返せば自己満足そのものですが、だからこそ作る喜びと完成したときの満足感がなんともいえないわけですね。

もうひとつは、古材はアバウトでよいということ。「一材入魂」とまるっきり正反対ですが、ぼくはこれによってバランスが取れているように感じています。古材の特徴として、割れや欠け・穴があったり、反っていたり、傷や染みがあったりと、ホームセンターで売っている新材の規格品とは全く異なります。古材の特徴は個性であり、特長にもなり得るもので、それが一つめの「一材入魂」と結びつくのですが、一方で古材の特徴により、いわゆるきっちりとしたものが出来上がるわけではない、「こういう材料だからここは仕方ないよね〜」という気楽さもあるのです。これがバランスが取れるゆえん。
以上2つがぼくなりの発見です。

もちろん、そのままでは捨てられてしまうものにまた活躍の場を提供するといった大きな意義など、リビセンのポリシーにおおいに共感したうえでのぼくなりの発見でした。

古材を使うと楽しくて面白い、多くの人にそれを経験してほしいなあと思っています。
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2017年9月29日 (金)

子どもには聞かせられない

「こんな人たちに、みなさん、私たちは負けるわけにはいかない」
「必要なのは対話ではなく圧力だ」
「選挙のためだけに看板を替える政党に、日本の安全を子供たちの未来を任せるわけにはいかない」
人それぞれ、いろいろな考え方はあるでしょう。
でも、このような発想、考え方を公言する人やその母体政党に、それこそ政治を任せるわけにはいかないのです。
冒頭に引用した3つのセリフ、「これはどういうことなの?」と子どもたちに聞かれたら、ぼくには説明できません。
相手をけなし、つぶそうとする姿勢、これをどう子どもに説明できるというのでしょうか。
政治家には、国のリーダーには、理想を語って欲しい。
ぼくは心からそう思います。

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