科学リテラシー、市民の科学
先ほどテレビをちらっと見たら、放射線量率の測り方を取り上げていた。
ぼくも携帯型のガイガーカウンターを持っている。あれはスイッチを入れるだけでともかく数字が出てくるから、測定できてしまったような気になる。だが、出てきた数字をそのままうのみにしてはいけない。
これは、どちらかといえば枝葉の話かもしれないが、今まさに科学リテラシーが本当に必要になっている。
リテラシー、読み書き能力とでも言えばよいのだろうか。科学を理解する力だ。
科学が万能だなどと言うつもりは毛頭ない。だが科学的な知識が不要だと言うつもりもない。
今後、原発をどうしていくのか、ぼくたちの社会をどうしていくのか、それを考えるときに科学的なデータだけ、科学理論だけから判断したり、方向を決めたりすることはできない。でも科学を理解せずして議論するのも危険なことだ。それは単に科学的根拠が必要だ、などということだけではなく、科学をふりかざして、実は科学的ではない論理を展開するものを論破するためにも必要なことだ。
市民科学を、科学を市民の手にと訴え実践した高木仁三郎さんは、すでにこのような状態まで見通していたのかもしれない。
これからの市民の主張と行動にとっての基礎体力としての科学。
自らもより科学への理解を深め、またそれをわかりやすく広めていくこと。
これもまたぼくの役割だ。
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