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2011年5月 4日 (水)

想定外、ただちにから風評被害へ

少し前までは「想定外」という言葉が多用されるとともに、多くのひんしゅくを買っていた。
さらには「ただちに影響はない」が批判の的となった。
さすがに最近は「想定外」も「ただちに」もあまりお目にかからなくなったように感じているが、それに代わって「風評被害」のオンパレードだ。

すべてのことに枕詞のごとく「風評被害」をつけることによって、あれもこれもみんな風評被害のせいだ、という状況や刷り込みを作ろうとしているのではないかと思ってしまう。

「想定外」や「ただちに」はこれらの言葉が多用されるようになり、しぱらくしたところでマスコミも批判的な扱いをするようになったと思うのだが、「風評被害」については、ちょっと事情が異なるように感じている。
風評被害はマスコミも一緒になって多用しているのではないか。

ぼくは「風評被害」という言葉の使い方を間違えているのではないかと思うことがよくある。
風評被害については別の機会にもう少し詳しく書きたいが、「風評被害だ」ということで責任転嫁してしまっている部分が多いのではないかと気になっている。

例えば今日のニュースでは、海外で日本料理店の閉店や休業が相次いでいると伝えていた。その理由は風評被害だと。となると、あくまでも悪いのは外国の人たちだということになる。
それは違うだろう。悪いのは東京電力や政府であって、海外の人ではない。
情報があまり提供されていないのであれば自衛手段をとるのは当然。それは風評被害とは呼べないだろう。

何でもかんでも風評被害でかたづけようとしてはいないか。
最近、とても大きな違和感を感じている。

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