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2011年8月 9日 (火)

突然の提案、突然の宣言

マスコミはひとつ覚えのように、「退陣時期は?」、そんなことばかり言っている。
そんなもの、どうでもよいことだと思う。
菅さんを辞めさせたがっている勢力、これがなぜ辞めさせたがっているのか、そこのところをえぐり出してみてほしいものだ。

菅さんの発言は、何かにつけて、「思いつきだ」、「根拠がない」、「裏付けがない」などと言われる。
ぼくはそう思わない。決して突然の提案や宣言ではなく、思いつきでもないと考えている。

ある問題については、国会議員になった頃から、ほかのある問題についてはけっこう最近になって、とか、いろいろな状況はあるだろうが、ずっと考えて、心の中であたためてきたものなのだと思う。それほど具体的になっていなかったとしても、潜在的に、ときには意識的に、思考を刺激し続けてきたものなのだと思う。

また国民の中にもまた同様に、同じような方向性での考えを、あるいはその考えを生み出すような感性を持ち続けてきた人たちが少なからずいる。
そういう人たちにとっては、突然でも思いつきでもなく、「とうとうその時が来たか」、「とうとう言ってくれた」と歓迎こそすれ、批判や否定はしないのだ。

ほんとうに思いつきなのか。
「思いつき」だと批判している面々の「思いつきだ」という言葉こそ「思いつき」なのではないか。

さらに、裏付けや根拠に関しては、それらを全部そろえてから、「これでできます」とやるのはリーダーの仕事ではない。できるかどうかではなく、やらなければならないことかどうか、これが思考の基軸ではないのか。その視線から論じたいものだ。

かくして今や国会は、低俗な国会議員が群れをなす状況となってしまったが、ここで心しなければならないのは、
彼らを選んだのはぼくら自身という事実だ。
そこは次の選挙にむけて、しっかり意識をせねばなるまい。

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