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2011年9月

2011年9月30日 (金)

「風評被害」への怒りはどこに向けるのか

今夜、NHKで”首都圏スペシャル「放射能とどう向き合うのか~首都圏 暮らしに広がる不安~」”という番組を放映した。
NHKのホームページから引用してくると、「身近な放射能汚染の不安と向き合う特別な秋。コメを自ら検査する農家。あえて食品の数値を公表する小売店。様々な現場の模索を通して、不安にどう向き合うか考える。」という番組だった。

首都圏には長男が暮らしていることもあり、興味深く番組を見た。

放映直後、秋の新番組のコマーシャル。松下幸之助夫妻を描いたドラマだそうで、その中で、「電気の未来は無限大」とのセリフが。原発の問題を訴えた直後で、それ?NHK、何を考えているのだろう。
そもそも、3.11から半年たったところで、松下幸之助のような人物を取り上げるあたりに、NHKの見識の低さが出ているのだろう。物質優先、大量消費の時代を作ってしまった張本人の一人なのだから。

話が脱線してしまった。番組を見ていて感じたことを書こうとしていた。

番組の中で「風評被害」のことも出てきた。風評被害の定義、何を持って風評被害と呼ぶのか、そのあたりも大いに問題ありとは思っているが、それについて今は触れない。

ともかく風評被害という言葉とセットで、"必要以上に心配して、何も買ってくれない消費者”が描かれる。その人たちを"ヒステリック”と呼ぶ。ぼくはそれは違うと思っている。
放射性物質に安全レベルなどない、これが基本だと思う。少しでもあれば危険。
ところが、例えば食べ物がどのくらい汚染されているのか、いないのか、その情報が著しく欠如している。

であれば、少しでも安全側の行動を取ることは責めることはできない。特に子を持つ親にとっては、当り前の行動と言ってもよいと思う。それは風評被害とは違う次元の話だと思う。


つまり、マスコミや政府が、風評被害と言う言葉を使って、少なからぬ市民を悪者にしたてあげようとしている構図がある、ぼくはそんなふうに受けとめている。

生産者の人たちはほんとうに辛いと思う。自分には全く過失がないのに、こんなことになってしまった。
買ってくれない。それは本当に困る。
だが、その買ってくれないことへの怒りは、東京電力にぶつけるべきものだ。
そして、この事態のなかで政局三昧の国会議員に向けるべきものだ。そう思う。

国会議員にその怒りをぶつけ、原発に真剣に向き合わない限り、次の選挙での当選などあり得ないことをわからせなければならない。そうしないと政治は変わっていかないだろう。

だが、マスコミの報道を見ていると、買わない人が悪者にされているだけで、この問題が生じた本質には迫ろうとしていないように思える。それはマスコミや政府や東電の意図的なものではないかと勘繰りたくなる。

原発は、その建設にあたって、地元の人たちの心と絆をずたずたにしてきた。

そして今、事故によって、さらに多くの人々の心をずたずたにしている。

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2011年9月29日 (木)

もっとエコ生活「エコカー」

「エコカー」

減税や補助金など景気対策の投入もあり、エコカーという言葉は一般的なものとなった。この政策の対象車の中には絶対的な燃費は良くない車もあり、言葉の定義にはあいまいな点も残るが、一般的には燃費の良い車、排気ガスがクリーンな車と考えられている。

エコカーと聞いて思い浮かぶのはハイブリッド車や電気自動車だろう。これらに使う電池は製造する時の環境負荷が大きい点に注意したい。ガソリン車やディーゼル車にも優れた燃費性能を示す車が増え、最近は自動アイドリングストップ装置を備えた車もある。

車は二酸化炭素の巨大排出源、排出の削減にエコカーは必須だ。しかし低燃費であっても走行距離を増やしたりエンジンをかけっ放しにしては、今まで以上に二酸化炭素が増える。電気自動車なら、充電する電気をどのように発電するのかが肝心。エコカーは本当にエコか?それは使い方次第だ

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年8月18日掲載)

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2011年9月28日 (水)

遺伝子組み換えパパイヤがやってくる

どうやら、ハワイ産の遺伝子組み換えパパイヤの輸入が始まるらしい。
すでにハワイのパパイヤはほとんどが遺伝子組み換えになっているとのことで、ハワイへ旅行して、「本場のパパイヤはおいしいねぇ」などと言って食べている人たちは、すでに遺伝子組み換えパパイヤを食べてしまっていると考えてよさそうだ。

ぼくは、原発と遺伝子組み換えは、人間は手をつけてはいけない技術だと考えている。
特に遺伝子組み換えは、もし拡散してしまったとしたら、あとから何が問題があるとわかっても、もう手の施しようがない。

パパイヤについては、みんなに気がつかれないうちに既成事実にしてしまうのだろうか。

考えてみると、原発と比較して、遺伝子組み換えのほうが、やめさせるのが難しそうな気がする。

核と遺伝子は、問題が発覚してから対処しようとしても、それは不可能と言ってよい。いつかは鎮静化できたとしても、それまでにかけがえのない犠牲を払わなければならない。そのことは、核の問題についてはチェルノブイリや3.11が立証している。では遺伝子についてはどうなのか。こっちのほうがもっと根が深い。

だからこそ、科学者や技術者には倫理観が必要なのだ。

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2011年9月27日 (火)

もっとエコ生活「アイドリングストップ」

「アイドリングストップ」

何気なく車のエンジンをかけっ放しにしていないだろうか?車種や排気量などの条件にもよるが、一般的にはアイドリング10分間で140 ㍉㍑のガソリン消費とされている。この時の二酸化炭素発生率は約4200㍗の電力消費時の発生に相当、無視できない多さだ。

5秒以上停止するのならエンジンを切ったほうがガソリン消費は少なくなる。信号待ちでも切れば効果があるが、無理せずまずは不用意なかけっ放しをやめることが肝心。走っていないのにエンジンがかかっているという無駄な状態を少しでも減らしたい。

ペダルを軽く踏んでもブレーキが利くよう車には倍力装置がついている。エンジンがかかっているときだけ作動するので、エンジンを切ると軽い踏み方ではブレーキの利きがかなり甘くなる。道路に傾斜がある時など予期せず車が動き出しかねない。車の構造の理解も大切だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年8月11日掲載)

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2011年9月26日 (月)

上関町、牧之原市、それぞれの選択

昨日は山口県上関町の町長選挙があった。原発推進派の現職が3選を果たし、反対派の山戸 貞夫さんは落選だった。

今日、静岡県牧ノ原市の市議会は、中部電力浜岡原発について永久停止すべきとする決議を賛成多数で可決した。

上関の結果は大いに残念であるし、牧之原はよく決議したと思う。

上関は残念な選択だが、もしかすると風向きが変わってきているかもしれない。
山戸さんは、地元・祝島の事務所で「これまで原発反対を言えなかった町民が、はっきり反対の声を上げてくれるようになった」と明るい声で敗戦の弁を述べたそうだ(毎日新聞より)。

さらに、原発推進、反対を超えて町内をまとめ、原発がなくても安心して暮らせる町の将来像を描くため、選挙後には地域ビジョン検討会(仮称)が発足するとのこと。これが本当なら、大きな前進だ。

いつまでも目を覚まさない国会を尻目に、地方は動き出していると信じたい。
そうだ、国の主役は国民であり、地域に根ざした住民たちなのだから。

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2011年9月25日 (日)

アキアカネ

来週は森倶楽部21主催が主催して長峰山フォーラムを開催する。
もう7回目の開催となった。

今日はその準備の一環として、会場の草刈りやら、クラフト体験の予行演習などを行った。

会場となる広場にはツツジが群生している。そして、アキアカネが飛び交っていた。
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この写真では2匹しか写っていないが、本当は5匹集まっていたのだ。写真を撮ろうとカメラを取りに行っている間に、3匹はどこか行ってしまった。


Photo


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この頃、赤とんぼを見なくなってしまったなあ。
そんなことを感じていた。いや、実際、ほんとうに少なくなっている。
今日は、けっこう多くのアキアカネが飛んでいるのを見ることができ、うれしかったし、少しだけほっとした。

アキアカネに限らず、いろいろな昆虫が激減している。
ミツバチの失踪などは、ほんとうに深刻な問題だ。
その理由はいろいろとあるかもしれないが、ネオニコチノイド系の農薬の影響が大きな原因として示唆されている。ぼくはたぶん、ネオニコチノイドが多くの昆虫を殺してしまったいると考えている。

人間に対しての毒性が非常に低いとされ、広く使われるようになってしまったネオニコチノイド。
人間さえよければ、というものではない。そして昆虫をやたらに殺してしまってよいのか?よいはずがない。

ぼくたちは生態系のことについてわずかしか知らない。
それゆえ浅はかな考えで、とりあえず目の前の被害だけ何とかすれば、そんな対応をしてはならない。
だが、現実はネオニコチノイド漬けになっている。

失ったものは戻せない。
そのことをもっと考えよう。

「ネオニコチノイドなんて知らなかった」
そんな甘ったれた言い訳は、もう許されなくなってきている。
ぼくらは、3.11を経験した。
知らなかったこと、見ていなかったことがあまりにも多いことに気がついたはずだ。
それに気がつきながら、今までと同じ暮らしをしているのであれば、それは気がついていないのと同じことだ。

知らないことがある、気づいていないことがある、そういったことを率直に認め、それらを知り考えるための時間を作ること、それが必要なことだと思う。


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2011年9月24日 (土)

初めてスキーをやる時は

さっき届いた友だちからのメールに書いてあった。
「初めてスキーをやった時、滑る前に止まり方を学んだ。」

そう、その通りだ。

止め方も、ごみの始末のつけ方もわからず、できないものを動かしてはいけない。
そ、あなたのことだよ、原発くん。

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2011年9月23日 (金)

野田さん、現実を見ましょう

野田首相が国連本部で演説した。
危惧はしていたが、ひどい内容だった。この人が日本の代表かと思うと情けない限りだ。

「日本は原発の安全性を世界最高水準に高め」、「原発輸出」や「技術供給」を継続するというのだ。
そして、やけに技術面のことばかりを取り上げていた。技術で全ては解決する、そう聞こえてしまった。
問題は技術だけだ、そうも聞こえた。

国民を被曝させ、核燃料がどうなっているのか誰もわからず、多くの被曝労働者の働きなくしては稼働できず、事故への対処もできず、日本の原発が惨憺たる状況であることは明らかだ。
事故を起こした原子炉やプールは、ただただ水で冷やすだけ。技術とはおよそ縁遠い状況だと思うのだが。
このような状況の中で、「世界最高の」などという言葉が空虚なものであることがわからないのだろうか。

まず言わなければいけないこと。そしておそらく、「原発をやめます」、これを除いては他には言うことなどできなこと、それは世界への深い、心からの謝罪だ。ぼくたち日本のやってしまったことは、大気と海洋に放射性物質を放出したことだ。しかも意識的に。放出しなければ、さらなる大きな放出を生じてしまったかもしれないという事情があったのかもしれないが、どのような理由であれ、自然界にとっては不要であり危険であるものを、わかっていて放出した事実には変わりない。
そのことをどれだけ深く受けとめているのか。そこに言及しない限り、ぼくたち日本は犯罪を犯していると言われてもしかたがない。
そしてその現状認識のもと、「原発をやめます」。これしかないだろう。

技術のことばかり強調するのもおかしい。
原発を進める体制や体質に根本的な問題があるのであって、そこをどうにかしない限り、技術うんぬんではない。
そして体制や体質をまっとうなものにしていけば、原発を進めようというような結論にはならないはずなのだ。

あ、だから、技術のことばっかり言うのか。なるほど。わかってるじゃん。
民主党も自民党も、原発推進党だからなあ。

やはり、ぼくらは少なくとも2つのことをやらなければならないのだろう。
ひとつは、原発をやめようという民意の形成。
もうひとつは、そういう民意があることを示すこと。

この問題に関心を持つ人を増やす。
エネルギーのことを、「お任せ」にはしないという発想を一般化していく。
あの手、この手で考え、動いていこう。

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2011年9月22日 (木)

今年はもうこれで3回目

台風15号は、各地に多くの被害をもたらした。交通への影響も甚大だった。

昨日、ぼくは昼少し過ぎで仕事を切り上げ帰宅した。
会社からも、午後は早めに帰宅するように、とくにJR利用者はなるべく早く帰宅するようにとの指示があった。
この会社からの指示は、正しい判断だったと思う。

自然災害が理由で、業務を早めにやめて帰ったのは、これでもう今年3回目だ。最初は3.11。次は6月30日の松本の地震。3回目が昨日だ。
今まで、こんなことはめったにないことだった。それが今年はもう3回も起きている。

これは今年限りのことなのか、これからはそう珍しいことではなくなるのか。
正直、後者のような気がしてならない。

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もっとエコ生活「選挙」

「選挙」

私たちが政治に参加し、政治を動かす方法はいろいろあるが、選挙での投票は代表的なものだ。未来に向けての社会づくりや課題解決、政治の果たす役割は大きい。社会の抱える重要課題のひとつに環境問題がある。政治家はこれをどう考えているのだろうか?

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年7月7日掲載)

特に地球温暖化問題に注目し、政策などを調べたものがある。環境N P O「気候ネットワーク」はマニフェストをもと
に各党の政策を比較分析した。環境キャンペーン「M A K E t h e R U L E」はアンケートを実施し、各候補者について回答の有無と内容をまとめた。長野県区の候補者も対象だ。いずれもネットで公開しており、各調査団体名で検索すれば見つかるので投票の判断材料のひとつとしたい。

経済は必要だが、環境なくしては私たちの生存、ましてや経済は成り立たない。社会の基盤である環境をどうしていくのか。投票は未来への一票でもある。

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2011年9月21日 (水)

ニュースの優先順位が違うのでは、NHKさん

今、このブログを書こうとしたら茨城で震度5弱とのこと。台風に地震、福一は大丈夫だろうか。

以下、もともと書こうと思っていた内容です。

まず最初に断っておくが、タイトルにNHKと書いたが、これはNHK限定ではない可能性が高い。他のメディアもそうである可能性があると思っている。

ぼくはあまりテレビを見ない。朝、天気予報を見て、それに引き続くニュースをちょっと見る程度だ。
だが今日は事情が違う。台風がきていたので、やはりテレビからの情報も必要となり、テレビをつけている時間も長くなった。そんな目的だったので、選局もNHKとなったのだ。
だから、NHKがどうだったか、ということしかわかっていない。

前置きが長くなった。つまりはこういうことだ。
夜7時のNHKニュースを見て驚いた。ニュースのトップが、「渋谷 道玄坂で木が倒れた」というものだったからだ。
そしてその後も、このニュースが繰り返し登場した。
どうしてこれがトップ?そんなに重要?繰り返しとりあげるようなものなの?

台風の雨と風。福島第一原発はどうなっているのか?どうしてそれをもっと取り上げないのか?
ニュースの最後で申し訳程度に取り上げてはいたが。
そうではないだろう。
この台風で原発がどうなっているのか、大丈夫なのか、それを取り上げ、きちんと伝える必要がある。
ぼくは各地の空間線量率が上昇しているという情報も耳にしている。それが有意の差なのか、台風の影響なのかどうか、それはわからないが気になる情報だ。

ともかく野ざらしの原子炉、野焼き状態になっているのだから、台風でどうなのか、そこを検証し伝えてほしい。
東京電力の松本さんの発表だけを取り次いでいればよいというものではない。

東電の発表だけを信じていると何が起きるのか、まだ学んでないのか。と思う。

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2011年9月20日 (火)

クルマで行くなとは言わないが...

この前の日曜、奈良と京都のお寺をいくつかまわった。

最初は唐招提寺。
尼ヶ辻駅で降り、まずは垂仁天皇陵へ。
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まわりは田んぼ。天気もよい。いや、良すぎて暑い。立ってるだけで汗がふき出してくる。ま、しかたないか。
なかなかいい雰囲気。人もほとんど通らない。

だが、クルマがやたらと通る。
田んぼの中の狭い道を、我が物顔で、スピードも落とさずに。
なんだ、これは。

この道にはさすがに入ってこないだろうと思った線路沿いの細い道にもクルマは入ってきた。

かなり気分を害されつつも目的の唐招提寺へ。久しぶりだ。
まずは南大門。


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いい建築だ。

ところがだ、ここもまた南大門の前のさして広くない道を、クルマがビュンビュン。おちおち鑑賞もできない。

奈良や京都のお寺。寺に向かうところから、そのお寺への気持ちを高め、すでにお参りが始まっている。
お寺のまわりの景色や街並みを楽しみながらお寺の門へと向かう。それが大切なこと。

しかし、こうもクルマが通っては。落ち着かないどころではない、身の危険を感じる状態だ。
この状態、ぼくはお寺の価値を大きく落としていると思う。

クルマで行ってはいかん、とは言わない。
だがせめて、駐車場はお寺からせめて300メートルは離れたところに作ってほしい。
お寺の伽藍のまわりは、クルマを気にすることなく歩けるようにしてほしい。

みんな、何とも思っていないのだろうか。そこが不思議なんだよなあ。

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2011年9月19日 (月)

DREAMS COME TRUE

なぜ唐突にこんなタイトルなのでしょうか?
昨日、京都からの帰り、名古屋駅で特急しなのに乗っているときに、このタイトルで書こうと思いました。

実は前回の自然エネルギー学校からの帰り道に理由があります。
その時も名古屋駅でしなのに乗ったのですが、会社の元同僚が同じしなのに乗車していたのです。
元同僚は、前夜に名古屋であったドリカムのコンサートに行き、そのまま名古屋に泊ったとのこと。

そんなことがあったよなあと思いだしたのです。

で、DREAMS COME TRUE
夢はかなう、かなえられる。そんな感じでしょうか。

夢をかなえるとなれば、神さま、仏さまにも助けをお願いしたくなります。
日曜は、奈良の唐招提寺、秋篠寺、京都の万願寺に行ってきました。どこのお寺でも心をおだやかに、仏さまにお願いをしてきました。

本尊の前で手を合わせるとき、精神状態が少し変わる気がします。
「あれをお願いしよう」、「そうだ、これもお願いしておこう」、「いや、それは欲張り過ぎか」
などなど、お参りする直前まであれこれ考えたり、思いだしたりしているのですが、お賽銭を投げ入れ、手を合わせた時には、それらのことを忘れるようにしています。
いえ、忘れてしまうわけではないのですが、何と言うのかなあ、心を無にする感じとでも言いましょうか。
何も考えていない状態になって手を合わせるわけです。

とはいえ、何も考えないなんてことは難しくて、そうできるものではありません。
以前は、願い事を頭の中で反芻していたのですが、どうも落ち着かない。

それよりも仏さまの前に出たら、その時はなるべくあるがままがいい、そんなふうに思うようになり、考えない、思いだそうとしない、そんなことをやっています。
そうすると、なんとなくですが、仏さまと自分の間に何かが行き来した感じがします。

ドリカムも『未来予想図Ⅱ』で歌っています。
ずっと心に描いた未来予想図が、思い通りに描かれていくと。

夢を実現することは並大抵ではないでしょう。
大切なことは、その夢を持ち続けること。
たぶん、これではないかと思います。

持ち続けていると、それが次には自らの行動となっていくのだと思います。


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2011年9月18日 (日)

では、50歳はどうか

昨日に引き続き。
50歳はどんな節目だったのだろう?

これは、ほれ、あれだ。あれだと思う。とまあ、会話の中に、「あれ」がやたらと登場するようになる。記憶力の低下?
いや、そうではない。それも否定しないが、体の健康だろう。

ぼくの50歳は入院+手術で始まった。なんでそうだったかと言うと、語るほうも聞く方も笑いながらがちょうどよいようなほのぼの系もしくはお笑い系のものだったわけだが。それでも、人生で初めての入院と手術。いろいろとよい経験をした。
その後も、健康に関することはいろいろと続いた。

幸いなことに大きなものはなかったが、50歳前とは違うことは十分に感じさせてくれた。
そして、以前よりは自分の体に気をつけるようになった。
でも、まだまだだ。

友人は「もっと自分の体を大切にしろ」と言ってくれる。ありがたいことだ。
健康であることが、結局は考え方や心の持ち方にもよいこととなる、そういうことだろう。

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2011年9月17日 (土)

40歳が始まりだった

今日は「自然エネルギー学校・京都 2011」の2回目だった。

今日は、地域こそが自然エネルギーを進める核となるというような話、その実践例、構想などの話があって、まさにぼくがこれに参加した目的に対して最も関係の深い話題が展開された。よかった。
夜には受講生有志とスタッフでの懇親会。みんな、いろいろやっているんだなあと感心。

学校にして懇親会にしても、おきまりの自己紹介がある。
ましてやこういった市民活動系、「いつから」、「何がきっかけで」みたいな話題は必須だ。

で、あらためて自分のことを振り返ってみた。
環境のこと、社会のありかた、こういったものに関心を抱くきっかけとなったのは1986年4月26日のチェルノブイリ。
これはもう間違いない。
関心をもち、そこそこの情報収集や寄付などをしていた人間が、「活動しよう」と思ったのはいつだったか。
まさに40歳になるときだった。
そう、40歳になる直前だ。

ぼくは3月生まれだが、たしか1月に諏訪でフォトジャーナリスト中村梧郎さんの講演を聴いた。中村さんは諏訪清陵出身、ぼくの先輩だ。枯れ葉剤の話題だったが、その時にダイオキシンの話が出た。日本でダイオキシン騒ぎがまだ起きていないころだった。ぼくはダイオキシンというものを知り、これは大変なことだと思った。そして、何か知っているだけではだめだ、行動する人間になろうと思った。

大げさに言えば、その時からぼくの人生は、少しだけだが変わったと思う。
この気持ちの変化に引き続いて起きたその後の数々のことを、今振り返ってみれば、かなり人生変わったと言えるかもしれない。

40歳という年齢に意味はなかったのかもしれない。でも、もしかするとあったのかもしれない。
どっちかはわからない。
でも、40歳だったからこそ、そう思っている自分がいる。

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2011年9月16日 (金)

「ありがとう」

今夜はとある映画を観た。
とある、などともったいをつける必要はないな。『祝の島』だ。
この映画がどんな映画なのか、なぜこの映画を観ていたのか、などはともかくとして、映画を観ている間、ずっと思っていたことがある。

それはこの映画を観ることで思ったことだ。

何かといえば、「ありがたい」と思う気持ち、「ありがとう」という言葉だ。
映画に登場する祝島の島民は誰もみな「ありがたい」という言葉を口にする。先祖のおかげでこうやって暮らすことができて「ありがたい」。海のおかげで生きていける。だから「ありがたい」。こうやってありがたくも暮らしているのだから、そうやって暮らせる状態を次の世代にも引き継いでいかなければいけない。
そう語るのだ。

だからこそ彼らは上関原発建設に28年間も反対し続けてきた。

「ありがたい」と言う気持ちは、足るを知ることと同じ意味だとぼくは思う。
身の丈、ほどほど、といった価値観と同じ世界の言葉だと思う。
そこには、生きるうえでの楽しみや喜びがある。

そして、「ありがとう」。
そう言われて悪い気がする人はいないだろう。そう言ってもらえればうれしいものだ。
だが、この「ありがとう」、けっこう意識していないと出てこない言葉なのかもしれない。
例えば誰かに何かをしてもらった時、何と言うだろうか。
「すみません」
これがけっこう多いのではないか。

「すみません」ではだめだなどと言うつもりはない。
何も言わない人だってとても多いのだから、どんな言葉であれ、感謝の気持ちの表現は大切だ。

ぼくも「すみません」と言ってしまうことが多い。
それで、最近は少し意識している。「ありがとう」と言うように。

何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

でもきっと、あちこちで「ありがとう」が聞こえる社会は、けっこう幸福感を感じることができる社会だろうと思う。
人と人ともそうだ。「ありがとう」といってくれる人には、こちらも「ありがとう」となる。人間関係を築くにも大切な言葉だと思う。

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2011年9月15日 (木)

電車のドアは手動でいい

ぼくがよく使う上諏訪駅~松本駅を走るローカル列車は、ドアが手動だ。
本来は自動だったが、節電騒ぎで手動になったようだ。

実は信州では今までも、冬の期間は手動だった。
それは、駅での停車時間が長いローカル線ならではの事情によるものだろうと推測している。
つまり冬の間、停車時間が長い場合には、ドアが開きっぱなしになっていると、冷気が入り、暖気が逃げていく。
それを防ぐための措置だ。

今回は夏だから、冬とは逆だ。冷房効果を高めるための措置だろう。

そしてさらには、そもそもドアを開閉するためのエネルギーを節約する狙いもあったのだろう。

手動のドアはいろいろだ。軽くすっと開くのがあるかと思えば、エクササイズをやらせる気?みたいなけっこう重いのもある。
だから力の弱い人や、怪我の人、荷物をたくさん持った人などは自動がよいだろう。

ただ、今まで自動が当り前だと思っていたものが、手動もなかなかいいよねとの発見があったりするのが楽しい。
何と言うのかなあ、ほどほどの不便さが、実はけっこう気持ち良い、そんな感じかなあ。

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2011年9月14日 (水)

もっとエコ生活「冷蔵庫の買い替え」

「冷蔵庫の買い替え」

家庭で電力消費が多いのはエアコン、冷蔵庫、照明器具、テレビの順だ。これだけで全体の約7割を占める。冷蔵庫の省エネには大きな意味がある。

冷蔵庫は常に通電して使う。使う時間を減らすような取り組みはできない。冷蔵庫の省エネ性能の向上は目ざましく買い替えが有効な手段だ。最新機種を買って使い続けることを前提とすれば、製造時の環境負荷を含めても買い替えたほうがよいだろう。購入にはお金がかかるが、毎月の電気料が安くなるので使い続けることで元は取れる。

小さいからといって消費電力量が少ないわけではない。買う時には店頭やカタログで年間消費電力量を確認することが大切。古い冷蔵庫にはオゾン層を破壊する特定フロンや、強力な温室効果ガスである代替フロンが使われている。信頼できる業者にきちんと処理してもらうことも肝心だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年7月14日掲載)

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2011年9月13日 (火)

続・日本の一次エネルギー消費の変遷

昨日に引き続き、興味深いグラフを見せよう。
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エネルギー種別の変化がわかる。

薪炭が一気になくなってしまったという事実は驚きだ。その時、その産業に従事していた人たちは、事の成り行きをどんな思いでうけとめ、対処していたのだろう。
ちょうどこの時期、ぼくの家では炭を使っていた。俵で届いた炭を細かくするのが小学生だったぼくの仕事だった。
鼻の穴を真っ黒にしてやったものだ。

石炭の需要も興味深い。
国内の石炭産業がほとんどなくなってしまい、石炭消費そのものもなくなったかのように思いがちだが、決してそんなことはない。
近年、電力会社は低コストであることを理由に、石炭を大幅に導入してきた。そのために二酸化炭素の放出も増えてしまった。

原子力や石油の爆発的増加もきちんと認識しておきたい。

これだけのエネルギーを使ってぼくたちが手にしたものは何か、失ったものは何か、3月11日から半年を経た今、よく考えてみよう。
おそらくそれは得たものと失ったものを比べるという単純なものではないだろう。
失ったもの。それが取り戻せるものなのかどうか、取り戻せたとしても、取り戻せるまでの時間はどうなのか。

そういった社会全体での反省がないままに、電力が足りる足りないだけを気にしている。

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2011年9月12日 (月)

日本の一次エネルギー消費の変遷

信州自遊塾第1回講座でぼくが話したものの中からひとつ紹介します。

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これは、日本の一次エネルギー供給の推移を、エネルギー種毎のデータを使ってグラフにしたものだ。
たいへん、興味深いグラフである、はずだとぼくは思う

高度経済成長時代のすさまじいばかりのエネルギー消費の増大、急激に落ち込む薪炭、国内産業としての石炭は衰退しても、エネルギー源としての石炭消費はどんどん増えていること、などなど。

このようにエネルギーを使うようになってしまった時代に暮らしていることを認識するところからだろうか。

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2011年9月11日 (日)

信州自遊塾第1回講座

今日は信州自遊塾第1回講座だった。

ぼくは信州自遊塾の運営委員でもあるが、今回の講座ではパネリストもつとめさせてもらった。
15分間のプレゼン。
その15分間で、自然エネルギーとはどういうものか、自然エネルギーの具体的イメージがつかめるような話をしなければならない。正直、きつかった。15分で何を話すのか、それを考える作業は、また同時に、15分で何を話さないのかを選ぶ作業でもあった。

現在は自然エネルギーを受け入れる雰囲気が出てきてはいると思う。
だが原発だめなら自然エネルギーだ、というのはあまりにも短絡的過ぎる。
そのあたりの状況に警鐘を鳴らしたいと思った。

そもそもぼくらが使うエネルギーはどんなものであればよいのか。
エネルギーが備えるべき要件というものを考え、提案した。

それがどんな内容かまた紹介したいが、今夜は無理そうだ。
金、土、日と外での仕事や活動が相次ぎ、この3日間はほとんど家にいなかった。
いささか疲れたので、続編は明日以降としよう!

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2011年9月10日 (土)

自分のアタマで考える、佐高 信さんと

今日も先週に引き続き須坂市に出かけた。
信州岩波講座に参加するためだ。

講師は評論家の佐高 信さんと、信濃毎日新聞主筆の中馬 清福さんだ。
中馬さんについてはこの春にとあるご縁でお話を聴く機会を得ていたが、佐高さんの話を聴くのは初めて。
佐高さんの話をぜひ聴きたいと思い、参加を申し込んだ。

佐高さんは「いま、日本を読む」と題して、原発問題を題材に、現代日本の課題を指摘していた。
巧みな話の構成で、その話術とともに、楽しませてくれた。

話の内容はどれも納得のいくものばかりだった。

佐高さんの主張は、次のようなものだ。
「いい人でいてはだめ」(いい人とは考えていない人のこと)
「疑いを持て」
「自分の頭で考えろ」

ぼくが常日頃感じている課題のいくつは次のようなものだ。
すぐに答を知りたがる、短期的な成果だけを求めたがる、あっちかこっちかの2項対立的な考え方しかしない etc

要するに、自分で考えなくなってしまっていることが多い、そういうことだ。

でも、「自分で考えろ」と言われて、「はい、そうですね」となるものでもないだろう。
とすれば、やはり、自分で考えたくなる状況を作りだすことを工夫するということだ。
「気づき、疑問を抱かせる」

明日はシンポジウムで話をすることになっている。
自分のアタマで考える人を増やしたい。
そうするにはどうしたらよいか、今もまだ考え中だ。

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2011年9月 9日 (金)

電力使用制限令解除の夜

今日、9月9日夜8時をもって電力使用制限令が解除となった。
ちょうどそのとき、あずさが新宿駅を出た。
出張で東京に来ていた。そのまさに解除の瞬間、東京をあとにしたわけだ。

車窓から外を見る限りでは特に何も変わった様子はないように感じた。

これからどうなるのだろう。
先日は、飲料自販機の照明をまた点灯させるという報道を見た。

今まで我慢していた、これでガンガン使うぞ、となってしまうのだろうか。
それとも制限令の有無とは関係なく、この経験から学んだことをいかして、 将来の世代のための社会づくりへと歩もうとするのだろうか。

法律の制約がなくなったときどういう行動をとるか、そこには大きな意味があるし、行動主体の価値が問われる。
法律はやってはいけないことを示してはくれるが、やらなければいけないこと、やるべきことを考えるのはぼくたちだ。法律はそんなものを示してはいない。

だが現代社会は、決められたことさえやればよいという風潮があまりにものさばりすぎた。
自らを律しながら良きこと、正しきことをやる、もっとそういう気概をもちたい。

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2011年9月 8日 (木)

エネルギー多消費型の社会

最近、講演や講義のようなものを頼まれることが多くなった。
やはりエネルギーに関するものが多い。

話をするための資料をまとめていると、あれも話したい、これも見せたい伝えたい、というものばかり。悩ましいところだ。
そうやって資料をチェックしていると、やはりエネルギーを使い過ぎていること、そういった社会になっていることが、自分もその社会の一員としてとても心苦しくなる。
エネルギーにしても、時間にしても、いったいどうなってしまっているのか。

自分を振り返れば、最近は昔ほどではないが、入社以来、忙しくなる一方だった。何のための忙しさか?
エネルギー消費については、自分あるいは我が家としては確実に減ってきている。

社会全体のエネルギーについては、人口の増え方以上にエネルギーを消費するようになっている。
何のためにこんなにエネルギーを使うのか。
こんなにエネルギーが必要なのか。
まず、ここだな。

こんなにエネルギーを使わなくてもやっていけるよね。そんな気持ちを起こさせるような話をしたいものだ。

以下はあまり根拠のない話。直観的な話だ。
人間も生き物である以上、消費するエネルギーの適正量みたいなものがあるのではないかと思っている。
必要以上に大きなエネルギーを手にしても、それをコントロールできないだろうし、自分の体と心に対して有形無形の負担を与えると思う。
そんな気がしてならない。
人間にも、生き物としての、ちょうどよい時間の流れとエネルギーの使い方があるはずだ。
だからこそ、通常からみればゆったりとした時間は気持ちがよいし、あれもない、これもない、そんなような状態での生活がけっこう心地よかったりするのだろう。
生き物としての感性、感受性をもっと取り戻して大切にしていくことも、これからの課題だろうなあ。

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2011年9月 7日 (水)

読売新聞 9/7の社説に注目!

今日、9月7日の読売新聞社説はひどかった。

”エネルギー政策 展望なき「脱原発」と決別を”とのタイトルで、”唐突に「脱原発依存」を掲げた菅前首相”、”前首相の安易な「脱原発」に決別すべきだ。”としている。
極めつけは最後の一文。
”首相は感情的な「脱原発」ムードに流されず、原子力をめぐる世界情勢を冷静に分析して、エネルギー政策を推進すべきだ。”

途中の文章も、勉強不足が明らかで、ものごとを一面的に決めつけてしまっている。コストについても、政府や電力会社以外のコスト分析も取り上げる必要があるはずだ。

契約部数を増やすために景品配りまくりの新聞とは、この程度の社説しか書けないのだろう。

事実とデータを積み重ねて冷静に分析し、人間として、生き物としての感性を大切にすれば、自ずから結論は出てくると思う。
そのどこが「感情的」なのだろうか。少し前には集団ヒステリーという発言もあった。

脱原発、反原発というのは、極めて論理的であり冷静な主張なのだ。

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2011年9月 6日 (火)

とうとう史上2位に、北極圏海氷面積。

先日来、何回か書いている北極圏海氷面積だが、とうとう史上2位の座を確保してしまった。海氷面積の最小記録のことだ。
_110906

まだ、今年の最小値にまでなってはいないはずなので、史上1位となる可能性も残っている。

この図を見てもわかるように、大雑把に言ってこの10年間で100万平方キロメートルくらい海氷が縮小している。
日本の面積をご存知だろうか?
Wikipediaによれば、377,914平方キロメートルだ。約37.8万平方キロメートル。

つまりこの10年間で、およそ日本3個分の氷が減ってしまったというわけだ。
このように考えれば、多少は実感もわくだろうか。
大変なことが起きているのだ。

面積が減るとともに、氷の厚みも減っている。
氷の総量はかなり減っているはず。

氷が減れば、海の反射率も減少し、太陽光を取り込み易くなる。つまりは海水温も高くなる。
ますます氷の減少に拍車がかかる。

海の大循環を生み出すエンジンが停止するのかもしれないのだ。

これが”現実”なのだ。
現実でないものにしがみつき、大騒ぎしている場合ではない。


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2011年9月 5日 (月)

タイムマシンがあったなら

タイムマシンがあったなら。

そんなこと、考えませんか?考えますよね。

タイムマシンがあったらどうするか?
歴史を変えることはしないという原則のうえで、どうするか、何をしたいかと考えてみると、答はやはりあれです。

「ウィルヘルム・フルトヴェングラーの演奏をナマで聴いてみたい」

やはりこれだなあ。
モーツァルトはどうした?という声もありそうですが、やはりフルトヴェングラーを聴いてみたい。
あの、モノラルの、ノイズだらけのレコードでも、聴けば背筋に電流が通ってしまう。
ナマで聴いたら、いったいどうなってしまうのだろう?

聴いてみたい演奏会はいろいろあって、なかなかひとつに絞れない。
演奏曲目はやはりベートーヴェンの交響曲だなあ。

次には、まだ建造当時の奈良の寺や仏像も見て見たい。金や朱、緑や白、それらの色が鮮やかだったとき。きっと今とは全く異なる印象があるのではないかなあ。

はい。
とりとめのない話でした。

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2011年9月 4日 (日)

思い込みからの脱却

今日は”峰の原高原大学講座”に招いていただき、須坂市の峰の原高原に出かけてきた。菅平高原のすぐ隣の高原だ。

講演のタイトルはこれ。
『思い込みからの脱却 ~持続可能な社会への必要条件~』
主催者からは、どんな内容でもいいですよと言っていただき、あれこれ考えて、これにした。
今まで、断片的には講演や講義でとりあげてきたが、ひとつのテーマとしてまとめてとりあげるのは初めてだった。

今日は台風の影響で雨と風が心配。朝も強い風が吹いていた。峰の原高原は標高1500メートル、無事帰ってこれるだろうかと一抹の不安も感じつつ、会場へと向かった。高原に到着すると、風の勢いは一段とすごいものになっていて、こわいくらいだった。

講演自体はそこそこうまくいった、かな。
来てくださったみなさんには、初めての構成内容の講演という、多少は実験的な性格を持つものにお付き合いいただき、心から感謝している。

思い込みからの脱却。
言葉を変えれば、無知からの脱却、思考停止からの脱却、とも言える。
さらには、多様なものを認めるということでもある。

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2011年9月 3日 (土)

もっとエコ生活「カーエアコン」

「カーエアコン」

年間を通して車内を快適な温度にしてくれるカーエアコン。除湿もするので、窓のくもりを取り除き、安全確保のための装備としても重要だ。一方、条件にもよるが燃費を約10~40%も悪化させる原因ともなる。

暑い時、カーエアコンは取り入れた空気を冷却して車内に吹き出す。空気の取り入れに外気導入を選ぶと車外の熱風を冷却するので効率が悪く燃費をさらに悪化させる。内気循環がおすすめだ。炎天下に駐車した車の発進時は、ドアの開閉や窓の開放などで外気を入れ室内の温度を下げてからカーエアコンを使うとよい。

カーエアコンをなるべく使わない工夫も肝心。渋滞や日中の暑い時の走行はできる限り避けたい。さらにはカーエアコンを使うことが当り前だと思いこんではいないだろうか。現在の快適な車内空間は、未来の温暖化した地球と引き換えだと常に意識したい。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年8月4日掲載)

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2011年9月 2日 (金)

北極圏海氷面積、見かたを変えると

先日も書いたばかりだが、北極圏の海氷面積のこと、しつこくまた書こう。

海氷面積についてはこちらを見てもらえばよい。
どうだろう。今までもっとも面積が少なくなったは2007年だ。
今年のデータを見れば、その記録を更新しそうな勢いだ。

このサイトでは、数値データをダウンロードできる。ダウンロードした数値を整理してみると、「やはり」という感じでまた見えてくるものがある。

毎年の最小面積記録、それだけを拾い上げてグラフを書いてみよう。
こんな感じになる。

Photo

この図、2011年については9月1日の測定値を採用してある。まだ変わる可能性がある。いや、変わるはずだ。

この図をみると、この10年間くらいだけという前提のもとで、やはり年々、最小面積が少なくなっていく傾向があると言ってよいだろう。
この傾向が続くとどうなるのか、そのことをもっと真剣に考えたい。

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2011年9月 1日 (木)

アメリカシロヒトリ

今年はアメリカシロヒトリが大発生しているというニュースを見ました。

いや~な予感。
我が家の庭木にもよくアメリカシロヒトリがつくのです。

たいてい、悪い予感は当たり、よい予感ははずれるもの。それが世の中です。
先週の朝、庭の柿の木についているのを発見。これから東京出張という忙しい時。でもしかたありません。
高枝切り鋏で枝を切り、ひとまず始末しました。まだ、いるよなあと思いつつ。
出張の電車の時刻は迫るわで、気が気ではなかった朝でした。

そして今朝。再び発見。
しゃあないなあ。出勤前の忙しい中、しかも小雨の降る中、枝を切って木をゆらすたびに、葉っぱからの大量のしずくを浴びながら、退治しました。今回も完治の手ごたえなし。

これも外来種だよなあと、生物多様性担当らしい感想も抱きながらの作業。
あ~、忙しかった。
終わった時には、水も滴る、でした。

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