「風評被害」への怒りはどこに向けるのか
今夜、NHKで”首都圏スペシャル「放射能とどう向き合うのか~首都圏 暮らしに広がる不安~」”という番組を放映した。
NHKのホームページから引用してくると、「身近な放射能汚染の不安と向き合う特別な秋。コメを自ら検査する農家。あえて食品の数値を公表する小売店。様々な現場の模索を通して、不安にどう向き合うか考える。」という番組だった。
首都圏には長男が暮らしていることもあり、興味深く番組を見た。
放映直後、秋の新番組のコマーシャル。松下幸之助夫妻を描いたドラマだそうで、その中で、「電気の未来は無限大」とのセリフが。原発の問題を訴えた直後で、それ?NHK、何を考えているのだろう。
そもそも、3.11から半年たったところで、松下幸之助のような人物を取り上げるあたりに、NHKの見識の低さが出ているのだろう。物質優先、大量消費の時代を作ってしまった張本人の一人なのだから。
話が脱線してしまった。番組を見ていて感じたことを書こうとしていた。
番組の中で「風評被害」のことも出てきた。風評被害の定義、何を持って風評被害と呼ぶのか、そのあたりも大いに問題ありとは思っているが、それについて今は触れない。
ともかく風評被害という言葉とセットで、"必要以上に心配して、何も買ってくれない消費者”が描かれる。その人たちを"ヒステリック”と呼ぶ。ぼくはそれは違うと思っている。
放射性物質に安全レベルなどない、これが基本だと思う。少しでもあれば危険。
ところが、例えば食べ物がどのくらい汚染されているのか、いないのか、その情報が著しく欠如している。
であれば、少しでも安全側の行動を取ることは責めることはできない。特に子を持つ親にとっては、当り前の行動と言ってもよいと思う。それは風評被害とは違う次元の話だと思う。
つまり、マスコミや政府が、風評被害と言う言葉を使って、少なからぬ市民を悪者にしたてあげようとしている構図がある、ぼくはそんなふうに受けとめている。
生産者の人たちはほんとうに辛いと思う。自分には全く過失がないのに、こんなことになってしまった。
買ってくれない。それは本当に困る。
だが、その買ってくれないことへの怒りは、東京電力にぶつけるべきものだ。
そして、この事態のなかで政局三昧の国会議員に向けるべきものだ。そう思う。
国会議員にその怒りをぶつけ、原発に真剣に向き合わない限り、次の選挙での当選などあり得ないことをわからせなければならない。そうしないと政治は変わっていかないだろう。
だが、マスコミの報道を見ていると、買わない人が悪者にされているだけで、この問題が生じた本質には迫ろうとしていないように思える。それはマスコミや政府や東電の意図的なものではないかと勘繰りたくなる。
原発は、その建設にあたって、地元の人たちの心と絆をずたずたにしてきた。
そして今、事故によって、さらに多くの人々の心をずたずたにしている。
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