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2011年10月

2011年10月31日 (月)

あれから一年

あれからもう一年経ちました。
今日は結婚してちょうど29年が経った日。

この一年間、大変なことが起きました。もちろん3.11の震災と原発人災。こちらでは6.30の地震もありました。
まずは家族4人が、といっても息子2人は別のところで暮らしていますが、無事でいることに感謝です。

この一年間、体調に関しては万全とはいえないところもあったりで、年相応のケアも必要だよななどと反省もしつつ、3.11以降をどうするかは、まさに自分のこれからの生き方を問われている問題で、しかも時間のかかる大変な問題で、やはり今までの人生への責任もすごく感じています。
だからこそ体も大切にしつつ、まわりの人にも助けてもらって、自分が少しでも未来の社会のために役立つことが出きればと、人生のちょっとした区切りの日に、ミニ決心を積み重ねました。


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2011年10月30日 (日)

本日の鳳凰堂はカラス堂?

宇治の平等院に行ってきた。

平等院と言えば鳳凰堂。10円玉の模様としても有名だ。
10

鳳凰堂は、中堂と左右の翼廊・尾廊から構成される。その姿が鳳凰のように見えると言われる。また中堂の屋根には1対の鳳凰像が据え付けてある。


Photo

ところがだ...
この写真ではほとんどわからないだろうが、今日の鳳凰堂は妙なことになっていた。
いや、ぼくは平等院に来たのが初めてだから、もしかすると日常的なことなのかもしれないし、おそらくそうなのだろうと思うが。
実は、左右の鳳凰像の尾のところにカラスと思われる鳥がとまっていたのだ。
ポーズまでとって。

左右に1羽ずつ。ずっととまっていた。

これじゃあ、カラス堂だよなあ。と思ってしまった次第。

それにしても鳳凰堂は不思議な建物だ。どのように不思議かはまた後日。

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2011年10月29日 (土)

正解かどうか、待っていられない

今日は自然エネルギー学校2011・京都の4回目。
藤井 絢子さんが講師だ。

藤井さんと言えば、琵琶湖のせっけん運動や、菜の花プロジェクトで有名な方。
ぜひ、ご本人から直接お話しを聞かせていただきたいと思っていた。

3.11をうけての菜の花プロジェクトの活動の話を中心に、今までの活動について話してくださった。

現在進行形の話、つまりは放射線量の高い土地をどうするのか、ということでは、いろいろな悩みを抱えつつも、何とかしなければという藤井さんの思いがひしひしと伝わってきた。

藤井さんは、菜の花を育てることで除染をするとともに、そういった活動が生活に結びつくようなことを考えている。
そして、国レベルでちゃんとやらないなら、地域でやってみせるという強い意気込みでやっている。

ぼくの解釈としては、「それが正解かどうかわからない。もっとよい方法があるかもしれない。だが、少しでも改善できるのなら、やはりやるしかない」ということなのだろうか、と思った。
また、人々が「生きよう」という気持ちを強く持てるかどうか、そこに重心があるのだろうとも感じた。

実際にお話を聞いてよかった。
どうやって活動を広げていくのがよいか、人に伝え、人を巻き込み、つなげていったらよいのか、質問させていただいた。これについてもよいヒントを頂戴した。
自分や仲間とでやってみようと思った。

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2011年10月28日 (金)

自然は除染できない

自然は除染できない。
そう決めつけてしまったが、本当のところはわからない。
もしかすると自然の力で浄化できるのかもしれない。
だが、今までの知見の中では、多少の浄化は期待できても、除染できたといえる状況にはならないように思う。

最近、除染の話題が多い。また除染技術も開発が進んでいるようで、報道でもよく取り上げられる。

確かに除染が必要な場合も多いし、除染技術の開発も大切だ。

だが、除染は人間の生活の場のことだけを考えたものだろう。
自然界全体を対象としたものではない。

言いたいのは、除染していないところから、また放射性物質が舞ってくるのではないか、というようなことではなく、生物全般が放射性物質の影響を受けているはずだということだ。

人間の生活空間だけが除染できたとしても、生態系全体からみれば、何も解決していないに等しい。
そのことをぼくらはしっかり認識しないといけないだろう。
自然界でこれから何が起きるのか、どんな影響を与えてしまっているのか、それはわからないが、おそらく何の影響もないということはないだろう。

除染のことばかりがクローズアップされ、ある程度除染が進んだとしたら、それで放射性物質汚染の問題が収束を迎えるということでは決してないのだと思う。
除染で多くのことが解決するかのごとき扱いには、人間の大いなるおごりが潜んでいる。

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2011年10月27日 (木)

もっとエコ生活「暖房便座」

「暖房便座」

冬には重宝な暖房便座、便座の中のヒーターを電気で発熱させ座面を暖める。従来からの方式は常に暖めるタイプだ。ふたを閉めないと、便座を使ってトイレ室内全体を暖房するのと同じことになり無駄が大きい。使用後はふたを閉め、温度設定も高くし過ぎないことが省エネのコツだ。

最近は人の接近をセンサーで感知し、自動的かつ瞬間的に便座を暖めるタイプもある。必要な時に必要なだけ暖めるため省エネ効果は高い。新たに購入する場合には瞬間型は有力な選択肢だ。

もっと効果的な省エネ対策もある。暖房しない便座、座った瞬間は冷たさを感じるが、あとは自らの体温で便座が暖まり気にならなくなる。便座カバーや便座シートを使えば最初の冷たさが和らぎ、電気を使う必要がない。便座シートは座面に簡単に脱着できるので使いやすい。手軽なものなので、試してみるとよいだろう。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年11月10日掲載)

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2011年10月26日 (水)

『どくとるマンボウ航海記』

北杜夫さんが亡くなった。

ぼくは小学生の時、『どくとるマンボウ航海記』と出会った。こんなに面白い本があるのかとびっくりした。
何回も何回も繰り返し読んだ。
ぼくの今までの人生の中で、これほど繰り返し読んだ本は他にはない。

北さんは旧制松本中学出身、松本とも縁が深い。

さらに、ぼくの親友の父上が北さんの医局時代の同僚だったとのことで、その父上も北さんの本の中に登場している。

何か縁を感じる。

さらには、ぼくの影響かどうかはわからないが、ぼくの長男もまた北さんの本を読みまくっていた。
父親としてはうれしい限りだ。

ぼくは祖父に可愛がられて育った。祖父は脳卒中になり、寝ていることが多かった。
夜は祖父の部屋で一緒に寝た。
祖父はラジオの落語が好きでよく一緒に聴いたものだ。楽しい夜のひとときだった。
当時はNHKラジオで日曜名作座という番組があり、これも愛聴番組だった。
そこで、北さんの『さびしい王様』を放映したときのことは、今でも昨日のことのようによく覚えている。
もう40年も前のことなのに。

その北杜夫さんが亡くなった。
ぼくの中で、何かはよくわからない、でも何かが終わった感じがした。さみしい限りだ。

北杜夫さんのご冥福を祈ります。

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2011年10月25日 (火)

根拠のない「楽観的空気」

まさにそれが問題だ。大きなリスク。

前内閣官房参与の田坂弘志さんが日本記者クラブで講演した。その時の発表用パワーポイントを見てほしい。

冒頭に出てくるのがこれ。
”根拠のない「楽観的空気」”

ぼくもそれを強く感じている。
だからこそ、原発国民投票も焦ってやってしまうと危ういだろうという気がしてならない。
冷温停止がすぐにもできそうな発表をし、何かといえば除染で対応しようとする。もちろん除染は必要だが、根本的なところで、やらなければいけないことをやっていない。

そして、やたらと「風評被害」という言葉を使う。買わない人を悪者に仕立てあげようとしている。
大きな悪である東京電力をのさばらせ続けている。

節電だって、まだ習慣化できていないだろう。


政府、東電、マスコミなどの情報操作によって、この楽観的空気が作られているのだろうか。
そもそも日本人はそうなのだろうか。

と、まわりを責めていても、これまた何も変わらない。

3.11を経験したときに、心から感じたあの感覚。このままではいけない。あの場所に戻ってはいけないと、決心したつもりの心。その心を、ほんとうに揺るぎのないものにし、その気づきや決心を大勢の人々の共通認識とするまで、あきらめることなく、仲間と手を取り、日々こつこつとやっていく。

気持ちを持ち続け、行動すること。

息子たちに対して親として果たすべき責任でもある。


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2011年10月24日 (月)

今、この瞬間。佐渡さんとともに。

あらためて、一昨日の話。
つまり、佐渡裕さんのコンサートの話だ。

念のため確認すると、場所は松本文化会館。
ベルリン・ドイツ交響楽団との日本ツアー2011の初日。

演目は、次のとおりだ。
ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番 Op.72b
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64

最初のレオノーレは、これから始まる演奏会への期待をいやがうえにも高めてくれる曲だ。
期待を高めてくれる曲としては、モーツァルトのフィガロの結婚序曲がピカイチだと思っているが、レオノーレもそれと並ぶ曲だ。
演奏そのものは奇をてらわず、きっちりとベートーヴェンのこの曲を堪能させてくれるものだった。

続くモーツァルトのピアノコンチェルトK.488。これまた大好きな曲だ。
若手のピアニスト、エフゲニ・ボジャノフとの競演。
ピアノ演奏に余裕感のあるものだったと思う。
久しぶりに生で聴く、K.488そのものの魅力にどっぷりはまってしまった部分もあった。
そうなれたというのは、やはり演奏がよかったということだ。

さらに、アンコールでショパンのワルツを弾いてくれた。
これが素晴らしかった。
メインのコンチェルトを弾き終えた開放感なのだろうか、楽しく奔放な感触のある演奏だった。
ほんとうによかった。

最後のチャイコフスキー第5番。これは佐渡さんの演奏スタイルにぴったり合った曲だと思う。
もう何も言うことはない。ぐいぐいと引き込まれた。
聴きながら、「もしかすると、ぼくはいま、佐渡さんのあぶらののりきった時期の演奏を聴いているのかもしれない」
そんなことを思った。まさに今、この瞬間。

もちろん、まだまだ佐渡さんの演奏は進化していくだろう。
だが、いつの日か、あの時の演奏として記憶に残る演奏になったと思う。

アンコールでは、期待通り、佐渡さん自らアンコール曲をアナウンスしてくれた。
佐渡さんの魅力のひとつだ。

会場は満員。

よい時間だった。

12月には東京へ佐渡さんの第九を聴きに行く。
これまた大きな楽しみだ。

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2011年10月23日 (日)

もっとエコ生活「暖機運転」

「暖機運転」

単に暖機とも言う。機械を始動する時に負荷をかけずにしばらく動かして、動作状態を円滑にする操作のことだが、一般的には車の発進前にエンジンが暖まるまでアイドリングすることを指す。

昔の車はエンジン回転を安定させるために暖機運転が必要とされたが、現代の車は性能が向上し暖機なしで大丈夫だ。暖機中のガソリン消費量は、10分間の暖機で約 160㍉㍑とされる。二酸化炭素の発生量で見ると、800㍗の電気器具を1時間使うことに相当する。

エンジンをかけたらすぐに発進し、急激な加減速をしないように気をつけて車全体のウオーミングアップに心がけることが肝心だ。車はエンジンだけで走るのではない。たくさんの機構部品が組み合わさっている。それらに無理な動作をさせないように運転することで機械は円滑に動き、その結果、燃費が向上し寿命も延びる。車も人間も同じだ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年9月8日掲載)

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2011年10月22日 (土)

カサコソオンにロックオン

今日は待ちに待った佐渡裕さんのコンサート。場所は松本文化会館。
ベルリン・ドイツ交響楽団との日本ツアー2011の初日だ。

演目は、次のとおり。
ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番 Op.72b
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64

この演奏についての感想はまた別途として、ちょっと勘弁してよ~という出来事があったので、まずそっちから。

演奏が始まってしばらくしてのこと。どこからか、カサコソする音が。実際に現場を見たわけではないので、あくまでも想像だが、のど飴を袋から出して口に入れるまでにどのような音がでるかを想像してもらえばよい。まさにそういう音だった。
マスクをしている人、咳をする人、少なからずいたからね。
たぶん、あくまでも想像だが、たぶん当たっている想像だろうと確信している。

音の方角と距離感からしてそれなりに離れたところだと思うのだが、よく聞こえる。
というかさあ、こっちとしては演奏に集中したいわけだ。だから集中できていれば、その音がどんな音だったかとか、どのあたりから聞こえたなどというような話は、書けるわけがない。
だが、こうやって書いている。

そう、その音が耳に入った瞬間、「あ、いかんいかん、演奏に集中だ」と言い聞かせるのだが、どうしても気になってしまう。カサコソ音に耳がロックオンしてしまうのだ。
「そっちに意識をやるなよ、やるなよ~、あ~、また聞こえてしまった。だから演奏、演奏、あ、まだカサコソいってる。気にするな、おれ....駄目だ。トホホ。」
ま、そんな状態でした。

そのうちにぼくの隣に座った初老の女性は、バッグをあけて何かまさぐり始めるし。

時間にすればわずかだが、あっちこっちでそれをやられるとねえ。ちょっと滅入る。

演奏が飛びぬけて素晴らしいものだっただけに、残念だった。
あの音、なぜか遠くまで通り、意識を刺激するんだよね。


最後にお口直し。
文化会館3階の窓から見下ろしたイチョウの木と落葉。
同じカサコソでも、落葉のカサコソは気持ちいい。

Photo


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2011年10月21日 (金)

10月26日は「原子力の日」

今まで意識したことなどなかったが、「原子力の日」というのがある。10月26日だ。
当日になると、その日だったことを忘れてしまいそうな気がしたので、少し早目だが今日の話題に取り上げることにした。

1956年のこの日、 日本が国際原子力機関に参加した。
1963年のこの日、 茨城県東海村の日本原子力研究所の動力試験炉(JPDR)が日本初の原子力発電に成功した。
これらのことにより、この日を「原子力の日」とすることを1964年に閣議決定したとWikipediaに書いてあった。

おそらく、毎年この日には、原発に群がる企業や機関が記念行事やら広報活動を展開していたのだろう。
今年はどうするのだろう?
「さよなら原発記念日」にでもすればいいのに。まあ、無理だな。

ともかく、もう不要な記念日だ。

これから冬に向かう。
冬にはまた電力需要が増す。
おそらく原発がないと困りますよキャンペーンも展開してくるのではないだろうか。
だが、この冬をしっかりと乗り切れば、「なんだ、原発なくたって大丈夫じゃん」が、けっこう国民の間で認識され共有化されるように思う。
実践によって、原発などいらないのだという真実を現実のものとしていきたい。

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2011年10月20日 (木)

湖周マラソン

今日は湖周マラソンの日だったそうだ。好天のもと、みな精一杯走ったことだろう。

湖とは諏訪湖のこと。諏訪清陵高校の学生が諏訪湖一周約20キロメートルのマラソンをする日だ。
懐かしい。

用事があり、昼で会社の仕事を切り上げ、長野に向かう電車に乗った。すると、諏訪清陵の女子たちが何人も乗ってきた。そうか、走り終わったあとだったのだな。いや、若さ爆発。とても諏訪湖一周を走った後だとは思えなかった。つり革にぶら下がってはしゃいでいたものなあ。

ぼくが高校生だったとき、夏休みが終わると体育の授業はマラソンに備えてのトレーニングとの名目による、山道マラソンだった。学校から2キロメートル離れたところまでの上り坂を走り、そこでUターンして戻ってくるというもの。あとは自習と称して、みな勝手に遊んでいた。
いい高校生活だった。
生涯、諏訪清陵の体育教師でいられるのであれば、こんなに素敵な職業はないと思ったくらいだ。
なにしろ、「ほれ、行ってこい」。これだけだもんなあ。

この23日、日曜日には一般市民による諏訪湖マラソンが開催だ。天気が心配だが、大勢のランナーでにぎやかなことだろう。
ぼくの友だちや知り合いも走ると聞く。
天候に恵まれてほしいと祈るのみだ。

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2011年10月19日 (水)

つながった

先週の木曜に「つながらない...」と書いた。
それから一週間。なかなか対処の時間が取れずにいたが、やっと今夜、修復できた。

どうしてつながらなくなったのかは、今も謎だが。
また、ここでつながるようになったのも、修復できると確信を持ってやったわけではない対処が結果的に良かったらしいという部分もあり、なんとなく危うい。

だが、いちおう自力で修復したことには大きな満足感がある。

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節電と経済

三菱東京UFJ銀行の「経済レビュー」、10月17日版No.2011-12に注目した。

「日本経済と電力問題」アップデート”一億層節電”の夏を振り返る~
というレポートだ。

この夏、実際にどの程度の節電が行われ、それが経済活動にどのような影響を及ぼしたのかといった内容だ。

そこには、次のようなことが結論付けられている。
・政府が設けたピーク時の電力需要の抑制目標が確実に達せられ、生産面への悪影響も顕著な形では表われなかった。
・昨年比電力需要▲10%強のうち、操業日・時間を制限の掛からない土・日曜日や早朝・夜間へ移したり、照明、冷房、事務機器の使用を控えたりと、経済活動水準を落とさずにクリアした部分が大半を占めたと推察される。
・今夏の経験は電力需給の調整と経済活動の完遂が必ずしも相反しないことを伝える。

レポート本文中には、次のような記載もある。
「深刻な電力事情の中でも、今年の夏場並みの制約レベルまでなら生産・経済活動への悪影響を最小限に食い止めることが可能、とは以上みてきた通り。今夏の実績が証明済みである。」

さらに詳しいことは同レポートを読んでほしいが、要するにいろいろな工夫の積み重ねによって、節電が実現できたこと。そして、それがために経済活動が停滞したかといえばそうではないことが分析されている。

これらは示唆に富む分析だ。

節電には大きな可能性があること、さらに限られた電力供給の中でも従来並みの経済活動ができたこと、これは日本全国で共有すべき事実だ。

ぼくたちは新しい社会へと歩む必要があるし、そこに歩み始めていることを示している。
新しい社会が夢物語でなく、現実のものとなり得ることが示されている。

新しい社会とは、今よりもエネルギー消費を少なくした社会だ。それがまず大前提。
さらに、経済というものも見なおしたい。拡大することだけが経済なのか、違う道はないのか。拡大せず、むしろ縮小させながら、しかし満足感と幸福感のある暮らしが実現できるのではないか。そんなことを考え、さらなる小エネルギー社会とするのだ。

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2011年10月18日 (火)

健康

昨日は胃の精密検診をやってきた。胃カメラ、ですな。

明日は肝臓の定期検診だ。今回は血液検査のみ。エコー検査をするときもある。
あと、近いうちに眼科と歯科にも行ってこなければ。
本当は整形外科にも通わないといけないのだが、ちょっとこっちは最近さぼっている。

まあ年相応にいろいろとガタが来ているってことかなあ。

時々悩む。
自分の体のことはそこそこに、やらなければいけないこと、やりたいこと、山積みになっているそれらに少しでも取り組むか。
それともまずは自分の健康を第一にするか。

自分のことはどうでもいいやって気持ちもあるし、少なくとも自分だけの楽しみや趣味などは後回しだよな、とは思っている。
でも、健康でいることによって自分がなにか未来の社会のために役立つことがあるのなら、健康も大切だろうとも思う。

これもまた生き方を問われる問題だ。


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2011年10月17日 (月)

お金の使い方 2

昨日に引き続き、お金の使い方の話。

日本が化石エネルギーを輸入し支払う代金は、1998年には約5兆円だった。それが2008年には約23兆円になっている。そのほとんどは値上がりによるものだ。
化石燃料は今後も値段は上がっていくだろう。23兆円ではすまなくなっていく。
注目すべきはこれらのお金は海外に流れていってしまうことだ。日本国内で流通するお金ではない。

今、電力料金の中に「太陽光発電促進付加金」というものがある。これについてはまた別の日に詳しく書きたいが、太陽光発電の余剰電力買い取り制度の、買い取り費用をまかなうためのものだ。
この付加金については批判の声もあるようだが、ここでひとつ重要なことは、この付加金はそのほとんどが日本国内で使われるようになるはずだということだ。

ぼくたちは自分のお金が「何に」使われるのかとともに「どこで」使われるかもよく考え、そこにお金を使うようにと行動を変えていきたい。これをみんながやると、これは大きな力になる。


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2011年10月16日 (日)

お金の使い方

昨日の自然エネルギー学校で学んだことの続き。

何ごとにもお金は必要。
自然エネルギーを市民出資で始める場合も、まずは初期投資に必要な金額が集まるかどうか、そこが大きな課題となる。

こんな話があった。
「一般的に寄付というものは思うようには集まらないが、集まる場合もある」
「それは、自分のお金が何かに役立つことが見えると集まる」

例えば、災害に対しての寄付は、それが復旧に使われると思うから集まる、そういうことはありそうだ。

ぼくたちが使う電気。電力会社が地域独占となっているため選択肢がない。その結果、電力料金として支払っているものが何に使われているのかもよくわからない。あるいは、そのお金を原発には使ってほしくないと思っていても、そうはいかない。

今、自分のお金を原発には使いたくない、原発に使われることなど耐えがたい、という人は多くなっていると思う。

そこに自然エネルギーの存在意義がでてくる。
出資なり、投資なりしてもらう。それがきちんと自然エネルギー普及に使われることを示す。
さらには、自分の出したお金で実現できた自然エネルギーが、自分の使うエネルギーであれば言うことはない。

その仕組みができれば、自然エネルギーの可能性は大きく広がるだろう。

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2011年10月15日 (土)

不完全なら人は考える

「そうか、なるほど」、よい気づきがあった。

今日は自然エネルギー学校2011・京都の3回目。
今回の講師のお一人は、おひさま進歩エネルギーの原さんだ。

『市民の意志あるお金で取り組む自然エネルギーの普及促進 ~今こそエネルギーシフトを~』
と題して、原さんが今までやってきた取組みを熱く語ってくださった。
原さんは実践の人であり、市民出資の自然エネルギー普及の第一人者だ。
今までの経験、苦労をふまえてのお話は、大変重みのあるものだった。
原さんとは自然エネルギー信州ネットの立ち上げからご一緒させていただいているが、初めて聞く内容も多く、とても感慨深いお話だった。

その中で、原さんたちの設置事例のひとつとして明星保育園の話があった。
この保育園の屋根に太陽光パネルを設置し、発電するわけだが、その発電量を示す「発電表示器」も設置した。
発電量に応じて、おひさま進歩エネルギーのマスコットキャラクターが一つずつ点灯するものだ。

フルに発電すれば5つ点灯。あとは発電量に応じた数(0~5)を点灯させる。

この設置に際して、原さんたちは考えた。これを自動的にやる、つまり発電量に応じた数の点灯を自動的に行う装置を作ることはできる。しかしお金もかかる。そんなにお金はない。そんなことにお金を使いたくない。でも、表示器は必要だ。
どうする?
じゃあ、自動じゃなくて手動式にしよう、としたのだ。

発電量はメーターで確認できる。
原さんたちは、5つのマスコットキャラクターのそれぞれに点灯スイッチをつけた。
保育士さんたちがメーターを見て、その数値に応じてマスコットを手動で点灯するのだ。

表示器は、発電していることを園児たちにわかってもらうために、どうしても必要なのだ。
環境教育の重要なツール。

やってみてすごい効果が出た。
保育士さんたちは忙しく、メーターをチェックし、スイッチを操作することをついつい忘れてしまう。

そうすると雨降りなのにいくつも点灯していたり、晴天なのに何も点いていないなんてことが生じる。
子どもたちが、それを「おかしい?」と気づくようになったのだ。
変だ、と思うとそれを先生に告げる。先生はあわてて、正しい表示にする。

子どもたちはいつのまにか、太陽光発電の何たるかを理解していたのだ。

これはすばらしいと思った。
そこまで意図していたわけでの手動式ではなかったのだろうけど。

自動式のものなら、こうはならなかった可能性もある。

完全、必ずしも完全ならず、といったところだろうか。
不完全なものだからこそ、そんなことに気づいた。

その保育園の子たちは、「もったいない」ということにも自ら気づき、それを家の中でも自然に口にし、ふるまっているそうだ。それは家族にも大きな影響を与える。

自然とともにあるエネルギー、自分の目の前でつくりだすエネルギー、そんなエネルギーだからこそだと思う。


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2011年10月14日 (金)

70億分の1

この10月中に、世界人口は70億人に達するらしい。

ちなみに、国連人口基金(UNFPA)は、『世界人口白書 2011』を、10月26日(水)に世界同時発表とのこと。
おそらくこの日が70億人到達日なのだろう。

60億人になったのは1999年10月12日だ。サラエボで生まれた男の子が60億人目と認定されている。その子ももう12歳。どんな子になったのだろう。

12年間で60億が70億になった。すさまじいものだ。
日本に住んでいると、それが実感としては伝わってこないが。

70億人もの人が住む地球。
誰かと知り合ったとして、世界全体の人口の中でその人と知り合う確率は70億分の1、か。
限りなくゼロに近い。
だがその70億分の1はすごく大切な70億分の1だ。無限に大きな70億分の1かもしれない。

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2011年10月13日 (木)

つながらない・・・

メインに使っているノートPCが突如としてネットにつながらなくなってしまった。
どうもワイヤレスアダプタに原因があるようだが。
困った。

とりあえずはサブのノートPCが動いているので、何とかなるが。
早く復旧させなくては。

ああ、そうか。アダプタのデバイスドライバに問題があるのか。
Windowsのアップデートが失敗したのかも。
まずは自分で直してみよう。

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2011年10月12日 (水)

もっとエコ生活「発進の心得」

「発進の心得」

まさに「はじめが肝心」、車の発進はエコドライブのスタートとして重要だ。発進回数とエンジンのアイドリング、この2つを減らすことが鍵となる。短距離の走行は燃費を大幅に低下させる。本当に車でなければだめか、用事をまとめ一回の走行で済ませないか、そのチェックから始めたい。

車に乗ってすぐエンジンをかけていないだろうか?シートの位置調整やミラーの角度確認、シートベルト装着など全ての準備を終えてから最後にエンジンをかける。かかったらすぐに発進。無駄なアイドリングはなくそう。

アクセルをじんわり踏み5秒かけて時速20㌔㍍とする「ふんわりアクセル」と呼ぶ発進が推奨されている。ゆっくりした加速で燃料消費は減るが、信号待ちの状況により青信号の間に通過できない車が出てしまい交通全体の燃料消費を増やすので注意したい。状況に応じた運転がエコドライブだ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年9月1日掲載)

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2011年10月11日 (火)

伝え方と伝えるもの

原発のこと。

今や多くの人が原発について知るようになった。ベクレルやシーベルトなどと言った単語も日常的だ。
だが、まだまだ知らない人、関心を持たない人も多い。

以前から脱原発・反原発にかかわってきた人たちは、自分たちと同じ思いを持つ人を増やそうとやってきた。何かやるたびに、ひとり、ふたり、数人と仲間は増えていったが、微々たるものだった。そして、増やそう、伝えようとしてきた人たちは、「本気でやってきたか?」とみな自問している。

人に伝えるには、伝え方と伝えるもの、この両方を考えないといけないだろう。
どちらが欠けてもいけない。

そして、ともすれば伝え方のほうに考えが行きがちな面もあるように思う。

何を伝えるのか、伝えるものについての検討は、もしかするといままであまり重視してこなかったかもしれない。
だが、これは工夫してわかりやすい内容にすれば、多くの人の気づきや納得感を生むもののように思う。
例えば、原発のコストの話だとか、原発なくても電気は足りるだとか。まだまだ、あるぞ。

それらを、まずは伝える側の人間がちゃんと理解することが大切だ。他人に伝えるのはそれからの話。
どうもそのあたりのことをきちんとやってこなかった。そんなことをこの頃考えている。


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2011年10月10日 (月)

自然のものほど信じられなくなる理不尽

今日は森倶楽部21の活動で、ぼくらの活動拠点である長峰山矢ノ沢地区の道路の両脇の藪をきれいにした。
草や灌木を刈り、道路にたまった落ち葉や枯葉を掃き、側溝をきれいにした。
やればやっただけきれいになる作業、成果が見える作業。
なかなかよいものだ。

作業を終え、休憩場所へと向かう時、カラマツ林で”じこうぼう”を見つけた。これは諏訪地方での呼び名で、松本では”りこぼう”というようだ。学名は”ヌメリイグチ”、キノコだ。

子どもの頃は親に連れられて八ヶ岳山麓の山林でよくこれを取ったものだ。びくに何杯も取った。

今日の収穫は、夜にさっそく鍋で賞味した。
が、ちょっと複雑、やや不安な気持ちで食べた。

やはり放射性物質による汚染が気になる。
ここ信州だって、安心材料などない。平均値としては問題ないのかもしれないが、個々の場所については別問題だ。
自分の年齢を考え、そう大量に食べるものでもないから、と思いながら食べた。

悔しく、残念なことだ。

原発人災の問題は、特に自然農法、有機農法でやってきた人たちに深刻な影響を与えている。
自然の力を使ってやってきた人たちほど大変なことになってしまっているはずだ。

本来ならもっとも安心できて安全なものを作ってきたやり方が、それが自然と密着したものであるがゆえに、大きな不安を生み出してしまっている。

その状況を作り出しているのが東京電力であることを、もっとぼくらは強く意識しなければならないし、多くの人にそれを認識してもらうよう働きかけていくことが必要だ。

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2011年10月 9日 (日)

守屋山 森林の集い

守屋山山頂から少し下ったキャンプ場で森林の集いを行った。
神宮寺生産森林組合とあずまや会とともに開催している。
会社が支援している関係で、3年前から社員も参加するようになった。今回は40名の社員と家族が参加した。家族連れでの参加が多かった。

今年は写真家 西村豊さんによる写真教室をメインに、大人はキノコ狩り、子どもはツリークライミングやロープウエイ遊びをやった。

ツリークライムはきちんとした研修を受けたインストラクターの指導のもと、子どもたちがロープ1本で木の上まで登るものだ。

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子どもたちは飲み込みも早く、するすると登っていった。

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西村さんはヤマネの写真で有名だが、他にも多種多様な被写体について、ご自身の経験と知見に基づく非常に興味深く面白い話を聞かせてくださった。

西村さんとは、写真教室終了後も昼食まで残ってくださったので、引き続いてあれこれとおしゃべりを楽しませてもらった。西村さんは京都出身とのことで、ぼくの大好きな北野天満宮に関連する貴重な情報を教えていただいたのが、今日の大きな収穫だった。ちょうど、もっと詳しいことを知りたいと思っていたまさにその案件だった。まさか今日、そのことについて詳しい話を聞かせていただけるようになるなど、思ってもいなかった。

キノコについては、今年は不作との事前情報のとおり、惨憺たる成果だったが、晴天のもと、気持ちのよい秋の一日を楽しむことができた。

少し残念だったのは、地元である神宮寺地区の子どもたちの参加がとても少なかったこと。
おととしくらいまでは、かなり来ていたのに。
この時期、スポーツクラブなどに入っていると、大会やら試合があったりで、子どもも忙しかったりするしなあ。
そもそも親が関心を持たなければ、子どもだけでは来れないしなあ。

ぜひ、次回は多くの子どもたちに来てほしい。
お待ちしてます!

と、彼もかしこみ、お願い申しあげています。

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2011年10月 8日 (土)

不思議なアンケート

今日と明日(10月8・9日)、安曇野市の堀金総合体育館で「あづみ野環境フェア2011」が開催されている。
地元で環境活動をしている団体の出展を見ていると、けっこう楽しめる。
「へえ、こんなことやってるんだ」
いや、ほんとにいろいろな団体があって、さまざまな活動をしている。すごいものだ。
これらの団体が連携すれば、何か大きなことができそうな気がするが、そうならないのが長野県らしいところなのかも、という突っ込みはさておき、ブースが並ぶメイン会場の入り口に、少し異質な感じのするブースがあった。
中部原子力懇談会」のブースだ。

ホームページによれば、この懇談会は「『中部地方における原子力の開発・利用と放射線利用の促進を通じて地域産業の発展に寄与する』機関として設立されました。」とのことだ。なるほど。

そこのブースではクイズ&アンケートをやっていた。
こんなものだ。

「chugenkon.pdf」をダウンロード

このクイズ&アンケート、特に後半のアンケート部分が気になった。
これで何を知ろうとしているのか、何を伝えようとしているのか。

自然界にはもともと放射線が存在し、医療や工業、農業などでもよく使っていますよねえ。だから、気にし過ぎないでね。
ということなのだろうなあ。

まあ営利目的の組織が行うアンケートは、たいていは誘導的なものだから、こんなものだろう。

ブースとしては広めのブースだが、なんとなくひっそりと、淡々と展示していた。
もっと、「原子力は安全です、放射線も気にすることありません」とバーンと打ち出して、来場者との議論の場を作るようにすれば面白いのに。

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2011年10月 7日 (金)

自然エネルギー松本地域学習会

昨夜は松本合同庁舎で自然エネルギーに関する地域学習会を開いた。

自然エネルギー信州ネットが立ち上がったのをうけ、県内各地で、その地域にあった自然エネルギーの開発と普及を目指して、地域協議会を立ち上げようという話になっている。
そこで、松本地域の協議会を立ち上げるべく、いっしょにやろうという仲間を集めたい、どんな協議会にしたいか多くの声を集めたい、そんな思いを込めての学習会だった。

それゆえ、2時間の学習会のうち前半1時間で説明や事例紹介を行い、後半1時間はワークショップ形式で参加者が意見を出し合う場とした。
参加者全員が少なくとも2回は発言したはずで、通常の「長い説明+質疑応答」形式のものよりは満足感があり、何よりも当事者意識を持つことができたのではないかと自負している。

約70名の参加があった。
みなさんの意見や提案、準備会への参加意思などを記入したアンケートは、地方事務所からコピーが送られてくるばずで、それを見るのが楽しみだ。

まだまだ前途は容易ではない。
だが、これだけの仲間がいれば、何か動き出しそうだと、そんな気持ちになった学習会だった。

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2011年10月 6日 (木)

続々・国民投票

水曜の勉強会での話し合い。
結論としては、国民投票については保留となった。

もちろん、やるべしと考える人はどんどん呼びかけていけばよい。

国民が原発のことを自分で考えるような状態にならないと、国民投票の意味はない。この認識はみな一致した。

となればやることは決まってくる。
国民投票があろうとなかろうと、原発への市民の関心を高め、市民が考え議論する状態を作ること。そういう場を用意すること。そんなところだろうか。

正しい情報を公開させ、原発推進派も脱原発派も同じテーブルで対話する。これも必要なことだ。

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2011年10月 5日 (水)

もっとエコ生活「ほうきとちりとり」

「ほうきとちりとり」

新方式の商品の発売が続く掃除機、人がいなくても自動運転で掃除するものまで登場した。だが掃除と言えばほうきとちりとりを忘れるわけにはいかない。ほうきは1000年を超える長い歴史を持つ。

使う場所や目的に応じてさまざまな種類のほうきがある。プラスチック製もあるが自然素材のものが多い。必要な時にさっと使え場所取らず便利なものだ。電気要らずで音を立てないのも魅力。ちりとりには柿渋を塗った厚紙で作ったものもあり、間口が床面に密着するので使い心地がよい。

畳に使ったほうきがすり減れば板間やタイルを掃き、更に減れば屋外で使う、こんな知恵もある。ほうきとちりとりが進化したものが掃除機か?互いにコンセプトや文化が異なり、それぞれ存在意義がある。電気を使う器具が当たり前のようになったが、昔からの道具のよさを再認識し、先人の知恵に学ぶことも肝心だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年9月15日掲載)

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2011年10月 4日 (火)

さらば、フランス座

諏訪には”フランス座”というヌード劇場がある。正確に言えば、「あった」になってしまった。
ヌード劇場というのは、当のフランス座の建物にでっかでかとそういう看板がでているから、まあそういうことなのだろう。ストリップを見せて、魅せて、かな?くれるところです。
何しろ入ったことがないから、何を、どんなふうにやってくれているところなのか、皆目見当つかずです。

このフランス座、古いです。ぼくが中学生の時にはすでにあったと記憶。小学校の高学年の時も、たしか、あったと思う。たぶん40年以上前からあったのだろうなあ。もう50年くらいはたつのかも。

そのフランス座が、この8月30日をもって閉館した。

会社の帰り、実家に寄る時にはこの前を通るので、建物の前に張ってある踊り子さんを紹介する小さなポスターをなんとなく横目で見ながら歩いていたりしたのだが、ある日、写真のかわりに「8月30日で閉館しました」の張り紙が。びっくりした。

なんかねえ、とてもさみしい感じがしてしまった。
諏訪に古くからあるもの、それがまたひとつ消えてしまう。

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今日は午後から外部の会議で、会議の会場へは徒歩で行ったのだが、ちょうどフランス座の前を通ったので、撮った写真がこれ。まだ建物が残っていてよかった。看板もそのままだったし。

多感な中学生の頃は、「フランス座」という言葉を口にしただけで、みんなでゲラゲラ笑い転げていたものだ。
この建物の前を通るたびに、あの頃の笑い転げていた仲間たちを思い出す。

そういえば、諏訪に生まれ育ちながら、諏訪でわりあいと有名なところで入ったことのない建物が2つある。ひとつは高島城の天守閣。もうひとつフランス座だ。

諏訪と言えば上諏訪温泉。小学生のころは湯量が全国で3位だと習った。駅前の国道沿いには小さな店が並んでいたのもよく覚えている。土産物屋さんも軒を連ねていた。
その頃はお客さんも多かったのだろう。
今や裸を見たければ、別の媒体でいくらでも見ることができる時代。
ぼくはストリップについて語れるものは何も持っていないが、おそらく商売として続けるにはかなり厳しい状況があるのだろう。

ストリップ劇場という商売ゆえ、地元の人たちがみな親しんでいたとか、よく通っていたとか、そういうことはあまりないだろうが、諏訪にはとけこんで、風景のひとつになっていたと思う。

自分が子どもだったころの思い出と強く結びついているだけに、閉館の文字を見た時は、ほんとうにさみしい気持ちがした。

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2011年10月 3日 (月)

続・原発国民投票

原発国民投票のことを考えている。
実は、今週の水曜に、市民活動仲間の集まりで原発国民投票について勉強会のようなものを開こうとしている。
そこでは、あまり原発や国民投票だけに焦点を当て過ぎずに、やや広くとらえて、市民の意見の形成とか、その意見をどうやって政治に反映させるのか、そんなことをみんなで話し合ってみたいと思っている。

と、そんな事情もあって考えているわけだ。

で、思ったのは、国民投票という結果だけの問題ではないな、ということだ。
国民投票とは何か、あるべき国民投票とはどんなスタイルなのか、そういったことを考える人を増やしていくことや、国民投票そのもの、あるいは国民投票で取り上げようとしているテーマ、こういったものについて、深く考察し議論していく、その過程がとても重要なのだろう、そう思った。

原発について言えば、いかに多くの人が日常的に原発のことを口に出すようになるか、そこだな。

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2011年10月 2日 (日)

原発国民投票

最近、原発国民投票について勉強し、考えている。

国会を見れば、民主党も自民党も原発推進党。国会が脱原発方針を打ち出すことは期待できない。
で、国民の意思をダイレクトに表明するには国民投票を、ということだ。

国民投票という手法を使うこと自体には賛成だ。
その一方で、もしも国民投票の結果が原発推進もしくは原発容認になってしまったら、それは原発推進・継続にお墨付きを与えてしまうようなことになってしまいそうで、それもこわい。

国民がみな、原発の実態を認識したうえでの投票が必要だ。
そういった状況ができずに、投票だけが先行してしまったらどうなるのか?
そのあたりのところで、思い悩んでいる。

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2011年10月 1日 (土)

ナイアガラ

ナイアガラと言っても、滝の話ではない。

過日、好きな食べ物の話としてスイカのことを書いた。
スイカは好きだが、夏しか食べることができない。

となると、スイカが出回らない季節で好きなものは何かと言うことになる。
秋はいろいろな果物が出回る。いい季節だ。

この季節、ぼくがもっとも好んで食べるのはナイアガラだ。
聞くところによると、全国どこにでもある種類のブドウではないらしい。
今日は近くの産直に行き、ナイアガラを買ってきた。

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ひと箱で800円。安いと言えよう。これを2箱買った。


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ナイアガラは味もよいが、香りがすごい。
今日も、店で買ってから家に着くまでの間、クルマの中はナイアガラの芳香で満たされ、それはそれは幸せな時間だった。

ブドウの栽培をおこなっている地域の気温が高くなってくると、ブドウの甘みが増していくらしい。だがワインには甘いのはあまりよくないのだそうで、最近は勝沼のワインより、ここ塩尻のワインのほうが味がよくなってきているという話も聞く。そして塩尻も、さらなる温暖化に備えて、より高地での栽培を検討するなどしているらしい。

ナイアガラは種のあるブドウだ。
だが、ぼくはいつも種を出さずに食べる。種ごと食べないと、ナイアガラの良さが出てこない。というより、種を出すような食べ方をしてしまうと、ナイアガラの味の魅力を大きく損ねてしまうと思う。
たぶん、種を出さずに食べる人は多いはず。
種を出そうとすると、このすばらしく甘いブドウが、酸っぱくなってしまう。酸っぱいナイアガラなど、何の魅力もないと思う。


ナイアガラも市場に出回る期間はそれほど長くない。
今のうちに楽しんでおかねば。


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