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2011年12月

2011年12月31日 (土)

2011年は終わるのか?

今日は大晦日。2011年が終わりとなる日だ。
カレンダーの上では終わりだが、気持ちの中では終わりという言葉がどうもしっくりこない。

今年は『ミツバチの羽音と地球の回転』松本上映会で幕を開けた。1月15日の上映会。監督の鎌仲ひとみさん、自然エネルギーの飯田哲也さんにも来ていただいた。
原発をやめよう、自然エネルギーの社会にしようというメッセージを込めた上映会だったが、3月11日でまさにこれからの社会の選択をつきつけられる事態となった。

ぼく自身にも、ぼくの身近なところでも大きな変化があった。新しいつながりも生まれた。
確実に社会は変わり始めたと思う。社会全体としては従来のまま、という部分が多いが、少数派ではあっても変えようとする力が生まれ動き続けている。

だが、東京電力の原発事故とその後の状況を見ているかぎり、なかなか一年の終わりという言葉を素直に受けとめることができない。まだ、なんの区切りもついていない。そう思ってしまう。3月11日のあった2011年は、気持ちの中ではまだまだ続いている。
こんな気持ちで新年を迎えることは今までの人生で初めてのことだ。

1月4日まで会社は休み。その間、特に出かける予定もなし。家で静かに過ごす予定。
今までのこと、これからのこと、じっくり考える時間にしようと思う。

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2011年12月30日 (金)

手をかければ応えてくれる

年末のこの時期、ふだんよりも調理の機会が増える。
そうなると気になるのが包丁の切れ味だ。

山での仕事はチェーンソーやナタが主役だ。切れない刃物を使っていては、息は切れるが木は切れない。
包丁も同じ。
切れる包丁を使えば、手早く調理でき、仕上がりも美しく、疲れもしない。妙な力を使ったりしないからだろう。
特に、薄切りの範疇に属するようなこと、あるいは皮むきなどは、包丁の切れ味の違いを如実に感じる。

ようするに、包丁は研いで使わないと意味がない。
どんなによい包丁でも、いつまでも最初と同じ切れ味のまま、などということはない。
包丁を研ぐのはむずかしいという声もたまに聞くが、あわてず丁寧にやれば、そしてこまめにやれば、かなりの切れ味を再現できる。
手をかけてくれれば応えてくれるのが包丁であり、刃物だ。

どんなによい包丁でも、研がずにいれば、手をかけずにいれば、ただの包丁になってしまう。
これは他のことでも同じだろう。
大切なものを大切なままに、よいものをよいままに、保っていくにはこまめでていねいな手入れが必要だ。

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2011年12月29日 (木)

口コミのチカラ

ぼくらが市民活動、NPO活動などをやるとき、かなり頭を悩ますものがある。
集客方法だ。

講演会やシンポジウム、映画上映会など、いろいろなイベントを開く時、目標とする来場者数の確保には、いつも悩む。多くの市民団体やNPOは、専従者がいるわけでもなく、資金もほとんど持っていない。知名度など、まったくない。

お客さんを集めるには、まず告知だ。
新聞のお知らせ欄を使ったり、自治体の広報への掲載を手配したり、チラシを配り、ポスターを貼る。
もちろん、ネットも活用する。ブログ、ホームページ、ツイッター、メール、などなど。

あれこれ手を尽くすのだが、結局のところ口コミが最も効果があるというのが結論だ。

口コミの基本は人対人。信頼感がものを言う。
「あの人が言うなら」、そう思ってもらえばしめたもの。

あ、逆もあるか...
「あの人が言うなら、やめておこう」。こうなってしまってはいけない。

あの人が言うのなら、ちょっと行ってみるか。信じてみようか、やってみようか。
それはとても大切なことだ。
これから、今までとは違う社会を作っていかなければならない。
その時、まず個人対個人の信頼感のつながりのレベルのところから、動きが生まれていくはずだから。
人を信じたいし、信じてもらえるようになりたい。

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2011年12月28日 (水)

年賀状

数日前から年賀状を作り始めた。構想の段階、徐々に具体的なものにする段階を経て、昨夜、やっと先が見通せそうな段階まできた。あともう少しで完成だ。

毎年、年賀状を出している。基本的文面はプリンタで印刷し、必要に応じてコメントを書きくわえている。
発送は正月になってからとなることが多い。

今年の年賀状は悩んだ。
東京電力の原発事故があった以上、とても通常の年賀状を書く気にはなれない。
時候のあいさつのようなもので、あまり深く考えず、互いの消息を伝え会うための手段として、いつもと同じような年賀状を出せばよいという考え方もあるだろう。そういった考え方について、ぼくはとやかく言わない。
ただ、自分が出す年賀状に限って言えば、やはり「おめでとう」と書く気分にはなれない。

考えていることや言いたいこと、考えてほしいことはいっぱいある。何しろ、今までと違う社会にしていかなければいけないことをはっきりと認識したのが2011年という年の持つ意味だと考えているから。
ましてや、年賀状をやりとりする人たちには、ぼくが今どんなことを考えているのか知ってほしい。そして、何かを考えるきっかけとして受け取ってもらえるとうれしい。

とはいえ年賀状。あまり重苦しいもの、自分の主張だけを展開するようなものにはしたくない。

そんなことを友だちに話してみた。友だちからは、アドバイスや、ぼくの背中を押してくれる言葉が戻ってきた。
ありがたいものだ。

あれこれ悩み、ああでもない、こうでもないを繰り返し、やっとどうにか形になってきた。
こうやって完成に近くなってくると、なかなかいい、と思う。自画自賛だ。

今回は特別な年の年賀状という発想で考えたが、今回の様式を今後も続けてもよいのではと思った。

忘れなければ、新年になってからのこのブログに掲載したいと思う。

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2011年12月27日 (火)

もっとエコ生活「グリーン電力証書」

「グリーン電力証書」

自宅で太陽光発電や風力発電をしたくても、実現となると資金や場所など制約も多い。自分では発電設備を持てないが、自然エネルギー拡大に役立ちたい、そんな思いに応えるしくみがある。

太陽光や風力、水力、バイオマスなどの自然エネルギーで発電した電気をグリーン電力と呼ぶ。これは地球環境への悪影響が少ないという「環境価値」を持つ。この価値を証明する証書を誰でも購入できるしくみがグリーン電力証書だ。購入者が消費する電力量のうち、証書購入分に相当する電力量はグリーン電力によってまかなったと見なすことができる。

証書を直接買わなくても、証書のついた商品を買ったり、証書を使ったイベントに参加するなど、間接的に活用する方法もある。証書の購入代金は自然エネルギーの普及に使われる。しくみを作ること、それを支える人々、その両方がこれからの社会に肝心だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年1月5日掲載)

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2011年12月26日 (月)

ダシをとる

会社の帰りに松本で買い物をした。
お目当ては、松本城近くの植田鰹節店だ。

ぼくは基本的にはダシをとる。粉末ダシを使うこともあるが、できる限りはコンブと鰹節でダシをとる。鰹節は削り器で、削りたてのを使う。ちゃんとダシをとれば、ほんの少し塩を加えるだけで、あとはあれこれしなくても、いや、しないほうがおいしいものが手に入る。

その肝心の鰹節が残り少なくなり、この調子だと年末年始の大量に使うであろう時期を乗り切れなくなりそうな予感がし、あわててお店へと走った次第。
2本買いました。

仕事納めして、休みになったら、鰹節削りの刃も久々に研いでみようと思っている。

ダシはシンプルの極みではないだろうか。
だがダシの作り出す味の深みはおそろしく深いと思う。
ダシそのもののうまさもあるし、そのダシでいろいろな素材を煮れば、素材のおいしさも倍増する。

ああ、なんとなく人生訓の世界に入りそうだ。

つまりはこういうことだ。
シンプルで頑固な生き方をすることで、自らも味わい深く、さらには自らにかかわる人も味わい深くさせる、そんな人生を作っていければ、それは素敵なことだろう。
などと思った。

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2011年12月25日 (日)

本を選ぶ。丸善松本店に期待!

本を読むのが好きだ。
本を選ぶのも好きだ。

だが、書店がない...

かつて、ぼくがまだ現役の学生だった頃、諏訪にも松本にも多くの書店があった。諏訪の書店は規模は小さいものの、狭い町の中にいくつもの店があり、その店をはしごして歩くのが楽しかった。
松本には、諏訪から比べればずっと大きい規模の書店があった。

おそらく経営上の問題だろう。多くの書店が店をたたんでしまった。
松本駅前にはブックスロクサン、千歳橋には鶴林堂という書店があり、好きでよく行ったものだが、ともに閉店してしまった。

やはり本は、品揃えのある店で、「おっ、こんな本がある!」とか、「あっ、探していたのがあった!」とわくわくしながら探すのが楽しい。
幸いというのがよいかどうか、ぼくは毎月東京への出張があるので、どうしても東京の大書店で本を選ぶようになってしまう。そうでなければamazonだ。これだ、とわかっている本だと、amazonで注文してしまっている。
ほんとうは地元の書店で注文すれば、地元にお金が流れるのだが。

12月22日、松本駅前に丸善松本店がオープンした。まだ足を運んでいないが、年内には行ってみるつもりだ。
地下1階から地上2階までのフロアーを使い、県内最大規模との触れ込み。楽しみにしている。

紙媒体も電子媒体もそれぞれよさがある。
どちらでなければだめだと言うつもりはない。
ただ、本というものはいつまでもあってほしい。
本を作るには森林資源を使うが、価値ある本ならそれだけの意味があると思う。

本は、作り手と読み手、それぞれが大切。
ぼくはよい読み手でありたいと思う。よい本を見つけ、書かれたことを自分のこととして消化し、何らかのかたちで役に立てる。自分を高める。そうやって、本の価値を高めていく。
そんな読み手でありたい。

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2011年12月24日 (土)

『足もとの自然から始めよう』

先日のシンポジウムで上田壮一さんがある本を紹介してくれた。そこでは聞きそびれたので、夜の懇親会の時に教えてもらった。上田さんは、「ぜひ、読んで見てくれ」と、力を込めて語ってくれた。

さっそく本を注文し、それが今日届いた。100ページほどの本。夕食を終えてから読み始め、中に引き込まれ一気に読み終えてしまった。

その本は、デイヴィド・ソベル著の『足もとの自然から始めよう』。
原題は、「BEYOND ECOPHOBIA』。「エコ嫌いをなくす」というような意味らしい。ECOPHOBIAは自然恐怖症と訳されている。

直接的には子どもへの環境教育について書いた本だ。

環境教育の場では、例えば地球温暖化では、「地球温暖化は二酸化炭素が原因で、こんな仕組みで温暖化が起きます。温暖化が進むと世界はこんなことになってしまいます。」といった話の展開が多い。そして、地球が大変なことになってしまいますから、みなさんで温暖化防止を進めましょう、で終わる。

こんな話では、子どもたちに恐怖心や絶望感をうえつけてしまい、環境問題へ向ける目を閉ざさせ、耳をふさがせてしまう。では、どうすればよいのか?
そういったことが書かれているのが『足もとの自然から始めよう』だ。

子どもたち、特に小学校4年生くらいまでの子どもたちには、抽象的なことや概念的なことを教えるのではなく、自然との付き合い、それも身近な自然、足元の自然との付き合いが大切である。この本はこう主張する。
自然と付き合ううちに、子どもは自らの感覚と頭脳で、いろいろなもののつながりやしくみを学んでいく。そして、何が良いことで、何が悪いことなのかわかるようになる。さらに、良いことを進めるための行動まで起こしてしまう。

名著だ。今夜は一気に読んでしまったが、繰り返しじっくり読みたい。

先ほど、子どもへの環境教育の本だと書いた。
だが、子どもの環境教育にたずさわる人だけでなく、子育て中の人も、そして最も読むべきは、ぼくらのように環境問題に取り組んでいる人たちだ。

ぼくらは正しいものは正しい、と思ってしまいがちだ。そして論理性も重視する。事実も重視する。多くの人に、今、何が起きているのか知ってほしいと思っている。
だが、やりかた次第では、ぼくらのやりたいことと、受け手の間には大きなギャップが生じてしまうということだ。

これからぼくらが進める取り組みのやり方を考えるにあたって、とても大きなものを与えてくれた本だった。

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2011年12月23日 (金)

我がこととするには。専門家か、生活者か。

これもまた、エコプロでの生物多様性シンポジウムで上田 壮一さんが提供してくれた話題だ。

ドイツの「ゴールデンプラン」の話だ。
これは1960年に始まった。15ヵ年計画で進めた国民の健康増進運動だ。
実際に進めるにあたり、ドイツは「第2の道」という施策を採用した。子供や障がい者、高齢者などを含む一般国民にスポーツを普及させる施策だ。対して「第1の道」とは、トップアスリートの育成・強化の道だ。
ドイツは「第2の道」を選択した。

その結果、ドイツはスポーツ大国となった。一般国民がスポーツに親しむ中で、トップアスリートも育っていったのだろう。

この事実は、3.11の日本の社会づくりのうえで大きなヒントを与えてくれている。特にエネルギーの問題については、まさに「第2の道」を選ぶべき時にきた。

「第1の道」とは専門家の育成・強化に努めるものだ。
「第2の道」は、生活者が、環境や社会のことを楽しんで学び、自分ごとにできる環境をつくるというものだ。

以上が上田さんの話。

ぼくもそのとおりだと思う。特にエネルギーの問題については、エネルギーの技術的な問題もさることながら、ぼくらの社会をどんな社会にしていくのか、自分はどのような生き方をしていくのか、そういったところから考えていかない限り解決しない問題だ。
一部の専門家だけが考えればよいということでは到底ありえない。

多くの市民が、我がこととしてエネルギーのことを学び、調べ、自分の頭で考える。そのことなくして、新たな社会づくりはできない。

ぼくらは、何ごとにおいても、「我がこと」「自分ごと」として考えることがなくなってきてしまった。何につけても、
「どうなってるんですか?」、「どうするつもりですか?」
と言うだけだ。そして、文句をつける。

自分の責任でものごとを進めることがなくなってきてしまったのも、こうなった大きな要因だろう。
ぼくも大きなことは言えない。何しろ、そこそこの規模の企業に勤める会社員。
出勤して仕事をしていれば、生活に困ることはない。

だが、例えば自営業の人は大違いだ。日々が自分の責任の上に成立している。
そういった人と話をすると、学ぶことが多い。

企業は、よく利益を追求する集団だと言われる。本当は違うと思う。社会の中で果たすべき役割、例えば多くの人のために役立つ商品を提供し、その見返りとして利益が生じる。そういうことだと思う。
ぼく自身は、自分の生活そのものはそこそこ安定しているわけだから、それはそれで活用し、まさにこれからみなで考えるべきエネルギーの問題、これについて一人でも多く「我がこと」として考える人を増やすことをやる、これが現代に生きる自分の未来の世代に対しての責務の一つだと考えている。

エネルギーを考えることは、持続可能性を考えることとほぼイコールだ。
なぜなら、化石燃料やウラン燃料に頼る限り、限りあるエネルギー源を使い、使った結果として有限の閉空間である地球に廃棄物を放出するわけで、どう考えても続くわけがない。つまり持続可能ではないのだ。
ではどうすれば持続可能になるのか。持続可能な状態に近づくことができるのか。
その大きなテーマにすぐにぶちあたるはずなのだ。

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2011年12月22日 (木)

学びたい気持ちを作る

「学ぶ」ことの大切さや必要性が、今年ほど注目された年はないかもしれない。
教育施策としてではなく、個人個人が自発的に学ぶ重要性への気づきがあったものと思う。

学ぶことが大切だとなると、学ぶための環境が問題になってくる。
教えてくれるひと、教材や資料。そういったものに容易にアクセスできる環境、などなど。

だが、ここでないがしろにされがちなものがある、そんな話を聞いた。
「学びを始める前に、学びたい気持ちを作るという大事なプロセスがある」
「そのプロセスがないがしろにされていないか?」

モチベーションが大切だということだ。
関心を持ち、好奇心が生まれれば、それは行動につながる。

学びの場、そのものを充実させるまえに、学びの場へといざなう入口となるもの。ここに注目しよう。
多種多様な入口があるはずだ。

ぼくら環境問題にたずさわる人たちは、ともすれば問題や課題を人におしつけ、「どうしてこれに気づかないの?」といった態度をとってしまいがちだ。
これは、好奇心や関心の芽を摘み、せっかく芽生えるかもしれなかった学びへの動機を失わせてしまうだろう。
まず、そのことを常に心することも大切。


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2011年12月21日 (水)

理性、感性、感覚

先週のエコプロでの生物多様性シンポジウムでは、パネリストとしてThink the Earth の上田 壮一さんが登場した。
以下、上田さんの話の中から、ひとつの話題を紹介しよう。

1

上田さんはこんな感じの図を使って説明した。
図については、上田さんの使った図とほぼ同じと考えてもらってよい。
ただ話の内容はぼくの記憶の中にあるものなので、必ずしも上田さんの話した通りではない。

上田さんの話、全体としては「コミュニケーションはエデュケーション」というものだ。
人が何かを知覚し、「わかった!」と思えるとき、それには「理性(あたま)」と「感性(こころ)」と「感覚(からだ)」、この3つセンサーがバランスよく働くことが必要だ。だが、今までは理性ばかりが優遇され、感性や感覚がないがしろにされてきた。これからは、感性と感覚を働かせよう、そんなような話だった。

理性というのは、理屈とか経済(お金)と考えるとわかりやすそうだ。
人間としての感性や、生き物としての感覚、それらは理性の前ではレベルの低い、取り上げる必要のないものとされてきてしまった、そういうことなのだろう。

上田さんの図はわかりやすい図であるし、そうだろうとも思う。
ぼくは、これとは違うものを考えた。それは、感性や感覚がベースになっていて、そのうえに理性が構築された状態だ。まず、感性と感覚が重要。そう思う。

最近よく考えるのは、倫理観なき理性は危険だ、ということ。もう少し正確に言えば、技術や科学には倫理観が必要ということだ。ここで言う倫理観は道徳というような意味での倫理観ではない。環境の分野では、世代間倫理と呼ばれるものに相当する。
その倫理観とは感性や感覚が正しく働いていてこそ、持つことができるものだと思う。

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2011年12月20日 (火)

風邪か?

風邪だな、これは。
鼻水が出る、もしくは鼻がつまる。体温は平熱より少しだけ高い。
喉は痛くないが、体はなんとなくだるい。

エコプロ中は、気合いを入れていたのだろうか、とりあえず乗り切った。
だが終わったとたん、土曜夜の帰りのあずさの中で異変を感じ始めた。
日曜は再び東京に出かけたのだが、この時はもう風邪を確信。
佐渡裕さんの第九を聴きに行ったのだが、聴き終えたところで、早々に帰宅した。

日曜を含め、特にひどい症状になるでもなく、かといって快調という状況でもなく、低空飛行が続いている。
なんとか、持ち直したい。

なにしろ年末は鬼門だ。

割れるような頭痛に襲われたり、熱が出たり、たいていは年末だ。
暮れから正月にかけて、寝ていたことがよくある。
一年間、ギリギリのところでやってきて、最後でプッツンしてしまう感じ。

今年はそれほどでもないが、これ以上悪くしないようにしよう。


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2011年12月19日 (月)

もっとエコ生活「グリーンウォッシュ」

「グリーンウォッシュ」

環境に良い洗い方?そうではない。うわべだけのごまかしを意味する英語「ホワイトウォッシュ」からの造語。いかにも環境に良さそうに見せかけること、それがグリーンウォッシュだ。

環境問題への認識の高まりとともに、エコをアピールする宣伝も急増した。だがその主張をうのみにするのは危険だ。ごく一部だけの環境配慮の強調、あいまいな表現や難解な解説で実態をわかりにくくする、関係のない動物や海・森などのイメージ映像だけ、これらはグリーンウォッシュの一例。宣伝の内容をじっくり見れば、怪しげなものが見つかるはずだ。

ごまかしのエコ商品の存在は、真のエコ商品への不信感を生む原因にもなる。グリーンウォッシュな企業や商品を市場から退場させるのは生活者の力だ。その環境性能に納得し、自らの言葉でそのよさを説明できるのものを買い、使うことが肝心だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年1月26日掲載)

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2011年12月18日 (日)

もっとエコ生活「リメイク」

「リメイク」

繊維を使ったものに特にその傾向がありそうだ。何かの理由で使わなくなったが処分できずに持ち続ける。捨てられないのは愛着を持っている証拠。使わなくなった原因をリメイクで解消すれば、再び使うことができる。

リメイクとは作り直し。元々は古い映画の作り直しで使われた言葉だが、今やエコ関連でもよく使う。サイズ直しだけでなく、古着のデザインを変える、別用途のものを作るなどアイデアと技術でリメイクの世界は広がる。例えばネクタイから小物、傘からバッグ、また衣料品に限らず家具や雑貨など様々なものが対象となる。

ものは原料を採取・採掘し材料にするまでの過程で環境に大きな影響を与える。既に材料になったものを使えば負荷はわずかだ。エコ生活を実践する有力手段だけでなく、大切にしてきた愛着やこだわりという気持ちに応えるのがリメイクだ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年1月19日掲載)

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2011年12月17日 (土)

エコプロダクツ2011 3日目

今日でエコプロも3日目、最終日だった。

特筆事項というほどのものでjはないが、鳩山元首相がブースに立ちよってくださった。
鳩山さんと東大で同級だった方、東大名誉教授の方だが、鳩山さんを案内して、会場内のいくつかのブースを回っていたのだ。
その名誉教授とは知り合いだ。もしかするとと思い、通路で待ち受けたら目が合い、「おお、それでは」と当社ブースに案内してくださった。
3Dシアターを見ていただいたが、最初、メガネの電源が入っていなかったとのハプニングはあったものの、満足していただけたものと思う。

今回の仕事では持ち場のペアを組んだ同僚に驚かれた。
あんなにテンションあげて、子どもにも子どもモードで対応できるなんて、すごくなれていそう、
そんな感じの驚きだったようだが。まあ、こういうこときもあるさ。

3日間の終了10分くらい前に会場に流れる「蛍の光」。いかにもではあるが、けっこうあれを聞くのが好きだ。

昨日に引き続き、昼食の紹介。
今日は野菜たっぷりカレーでした。

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2011年12月16日 (金)

エコプロダクツ2011 2日目

今日はエコプロダクツ2011(エコプロ)の2日目。
エコプロは木金土と開催曜日が決まっている。
毎年、2日目、つまり金曜日だが、これはもっとも人出の多い日だ。

ぼくの仕事は自社ブースでの、割合と単純な作業。
体力は必要とするが、頭はあまり使わない。でも知恵の出しどころはある。
そして何よりも、愛嬌、笑顔が要求される。

人によっては「あなたをこの仕事で使うのはもったいない」と言う人もいたが、そんなものでもないだろう。
ともかく、どんな仕事であれ一生懸命やってみよう。
そして何よりもお客さま相手の仕事。何百回と言うであろう「ありがとうございます」を心を込めて言おうと思った。そしてその思いを込めてやってみた。
ぼくにとっては何百回、何千回であっても、そのお客さまにはその一回だけのことなのだからね。

早めの昼食。いくつものお店が出ていた。地産地消やオーガニックを売り物にする店だ。
ぼくは湘南の「ちがさき・濱田屋」のシラス丼にした。シラスが好きなのと、”限定販売”という張り紙に負けた。
久しぶりのシラス丼。おいしかったです。

混むはずの2日目。
確かに人は多かったが、何となく例年と違う感じがした。
特に、夕方近くのあのなんとも言えない熱気を持った混み方が、今年はなかった。
今日の入場者数、さっき確認したところではまだ発表されていないが、明朝には発表のはず。昨年より減っているような気がしてならない。

明日は最終日。家族連れや、会社員としてではない家庭人や市民としての来場者たちが多い日だ。
自分が気持ち良くなるために、明日もまた一生懸命やってみよう。


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2011年12月15日 (木)

行動しないのは心が動いていないから

今日からエコプロダクツ2011が始まった。
3日間、ぼくは基本的に自社ブースのサポートだが、今日の午後は生物多様性のシンポジウムに参加した。
ぼくも準パネリストとして発言を求められていたのだ。

なかなかよいシンポジウムだった。
そのなかで、「行動しないのは心が動いていないから」という話があった。
ほんとうにその通りだと思う。

今はネットの時代。多くの情報や知識も手に入る。だが、それらを得ても、何もしないのであれば、それは単に知っているだけ。結局は何も変わらない、変えようとしないのだから、知っていても、知らなくても同じだ。

だが、心が動けば行動を生む。

自分が行動するのはもちろん大切なことだが、他の人も行動する人になってもらいたい、そう思うじゃないか。
ならばどうするか。
「心を動かせばいい」
そりゃそうだが、どうやって動かすか?

そもそも、人の心を動かすなど不遜だ、そんな感じがしないでもない。

でも、自分の心が動いたときはどんな時だったか。それは大きな手がかりになる。
そして、自分のまわりになにか行動を始めた人がいたら、その人に、なぜ行動するようになったのか教えてもらうという手がある。

無理やり心を動かすわけにはいかないけど、心を動かすかもしれない状況を作ることはできる。

3.11を経て、多くの人が行動するようになった。自分の頭で考えるようになった。
これは大きな財産だと思う。
未来の社会のための大きな財産だ。

この財産をもっと有効な財産としたい。
少しだけだが、できそうな気がしてきた。

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2011年12月14日 (水)

6時間 3本勝負

しばらく東京だ。

今日は生物多様性の研究会の会議。明日からはエコプロダクツ2011、自社ブースのサポートや生物多様性のシンポジウムの発言者だ。

今日の会議は毎月一回開く会議。いつも昼過ぎから夜までかけて、長丁場の会議となる。
わずかな休憩をはさんで3つの会議。休憩時間もレイアウト変更や、打合せをするので、トイレに行くのがやっとだ。
最初はワーキンググループ。研究会の研究テーマ毎に作業グループを作って活動している。ぼくは最初からずっとリーダーだ。業種も異なる企業のメンバーの集まりをまとめていくのは気も使うが、面白い。
続いては全体の会議。最後はリーダーが集まっての会議だ。

こういう研究会や会議をやっていると、当たり前のことではあるが、気がつくことがある。
発足時はメンバーは14社程度だった。それが今は39社だ。約3倍。。

はじめのうちは全員の顔と名前が一致していたし、全ての人と話をした。誰がどんな声で、どんな風に話をするのか知っていた。

だが今は違う。まず、出席者名簿の顔と名前が一致しない。ましてやその人と直接話したことなどない(名刺交換を除く)、そんな人が増えてしまった。

そうなってくると、人数の多さ(全体の会議だと60~70人が出席)から来る威圧感めいた活気はあるが、生き生きとした躍動感ある活気にはなかなかならない。
おしきせでない、意思を持った人たちの集まりなのだが、やはり人数が多いというのは、ひとつの障害になる。

それでも、いわゆる会社の仕事だからと義務感だけで参加する人たちの会議とはかなり違う。

だから3本終わったときには、かなりぐったりする。
こんなのを毎月やっています。

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2011年12月13日 (火)

もっとエコ生活「修理」

「修理」

形あるものはいつか壊れる。壊れたら直して使う、これはエコ生活の基本だが現代社会は修理もままならない。特に工業製品は安価な新品が出回り、製品の入れ替わりも激しく、中身は複雑でブラックボックスだ。修理を縁遠くさせるさまざまな要因がある。

ものは作る時にエネルギーを使うだけではない。原材料のための資源採掘・採取は自然にダメージを与え、最終的にはごみ処理も必要。ものは一生を通じ環境へのさまざまな負荷を生じさせる。だからこそ傷んだ部分だけを直す修理という行為には、ものを大切にする精神的な意味だけでなく、必要部分の負荷の追加だけでものを再び使えるようにすることで、環境負荷低減の大きな価値がある。

探せば修理サービスはけっこう見つかる。自分の好みで個性的で愛着のわくものへと作り直すことも修理の魅力だ。壊れたらまず修理を考える、それが肝心だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年1月12日掲載)

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2011年12月12日 (月)

三回忌

昨日は父の三回忌だった。ぼくが喪主だ。
お寺は茅野市の長円寺。最近は紅葉がきれいだとだいぶ知られてきたらしい。

年が明けて1月になると、父が亡くなってからちょうど3年が経つ。こうして三回忌をやってみると一区切りがついたなあと、少し感慨にもふける。

今年は大変な年だった。
地震、津波そして原発人災によって、多くの人々が死に別れ、あるいは、生きながらも故郷を離れざるを得なくなり、家族がばらばらに暮らすようになった。原発を原因として、価値観の違いがはっきりしてしまい、離婚に至った人も多いと聞く。

その現実を見ると、今、こうして自分のまわりにいる人々、ぼくとつながっている人々を大切にしなければと思う。それらの人たちとの関係を大切にしたいと思う。

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2011年12月11日 (日)

”京都”を捨てた国

UNFCCC COP17/CMP7、ダーバン会議が閉幕した。会期を延長して、何とか決裂状態を割け、合意をとりつけることができた。
京都議定書は存続となり、2013年から第2約束期間を始めることとなった。要するに京都議定書の仕組み、法的拘束力を持った削減目標という仕組みは今後も機能するわけだ。
COP17の先行きの見えない、絶望的ともいえる状況からすれば前進といえるかもしれない。
しかし、COP3 京都会議から14年を経て、まだこんなレベルでの議論。暗澹たる思いだ。

許せないのは、日本が”京都”を捨てたことだ。
日本はこともあろうに、京都議定書からの離脱を表明した。
主要排出国に義務が生じていない現行の枠組みでは意味がない、すべての排出国の参加が必要という主張は正しいと思う。
だが、結局のところは、義務がない主要排出国はずるい、ということで、自分もそのずるい国の仲間に入りたいというわけだ。あまりに情けないではないか。

「どうして京都議定書から離脱したの?」と子どもから聞かれたとき、その子を納得させる説明ができるか?
できない。

政府がそういうことなら、あとは市民がやるしかないのだろう。
せめて、そういう市民の動きに対して、足をひっぱたり、障害物を置いたりしないでほしいものだ。
それと、かつて日本が国際的な公約として示した「 2020 年 25%削減」という目標の確実な達成。これは堅持させなければならない。
京都議定書からの離脱とセットでこの公約を取り下げることのないよう、しっかり見ていこう。


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2011年12月10日 (土)

皆既月食

今夜は皆既月食。
天気もまあまあ。みんな空を見上げたことだろう。

諏訪清陵高校 天文気象部OBとしては、やはりここは写真を撮らねばと、久しぶりに天体写真撮影をした。


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皆既月食中の月、オリオン座、スバルが写っている。

使ったカメラはニコンのD700。実は、このカメラで天体写真を撮るのはこれが初めてだった。


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ありがとう

「ありがとう」

いい言葉だよね。
そう言ってもらえるのも、自分が言うのも。
心がなごみ、いい気持ちになる。

何かしてもらったとき。例えば、道とか場所を譲ってもらったとき。
「すみません」もいいが、「ありがとう」もいい。

ありがとうと思える気持ちが大切。
ありがとうと思ったら、それを素直に表現することもまた大切。

ありがとうがあふれれば、社会ももっと住みやすくなるだろう。
こんなギスギスした社会にはならない。

些細なことでもありがとうと言いたい。
心からありがとうと言いたい。
ありがとうと言われたら、ありがとうと言ってくれてありがとうと思う。

大切な言葉。大切な気持ちだ。

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2011年12月 9日 (金)

大人の顔は履歴書

藤本義一さんは、「男の顔は履歴書、女の顔は請求書だ。」と言ったそうだ。
ふむ。

人によって、少しずつ受けとめ方は違うだろう。
特に請求書の解釈は、いろいろありそうな気がする。

「大人の顔は履歴書」
これは誰が言ったのか?知らない。
自分の頭に浮かんだ言葉だ。

いろいろな方と会って話をしてみると、人生が顔を作るものだなと思う。
顔は履歴書だ。
人生だけが顔を作るわけではないが、その人の歩んだ人生や人柄が顔に出る、表情に出る。男も女も同じことだと思う。
素敵だなあと思う場合もあれば、当然、その逆もある。

自分の顔はどうだろう?
良くも悪くも履歴書だ。
いい表情だと思ってもらえるような人生を歩みたいものだ。

そして、笑顔。
笑顔はいいよね。大切だ。人の心を解きほぐす。
素敵な笑顔の人にもなりたいと思う。

自分の思うようにできるものではないが、自分の生き方の反映が表情や顔つきになるのだとしたら、やはりまっとうに生きていきたい。

PS
顔の話のついでに。

ぼくはたまに目が大きいと言われる。
両目ともに二重まぶたなので、そう見えることが多いのか。
さてこの二重まぶたは本物だろうか?
実は子どものころ、右は二重だが、左は一重だった。
少なくとも大学生のころまではそうだった。

だから昔の写真を見ると、右と左で目の大きさがアンバランス。写真を撮られることはあまり好きではなかった。

それがいつのまにか両目とも二重になった。不思議だ。
疲労で二重になり、それが定着したのではないかと思うが。
これは、人生が顔を作ってくれたわけではないが、こんなこともある。

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2011年12月 8日 (木)

オリンパス問題もいいけれど

このところオリンパス問題がニュースを賑わせている。たしかにとんでもないことをしでかした。
だが、とんでもないこと、企業の責任を問う問題であれば、比べようもないくらいの会社がある。
言わずと知れた東京電力だ。

なぜだ。
マスコミはなぜもっと東電のことを取り上げないのだ。
ニュースに出てくる東電の話題と言えば、単に東電が発表したことをそのまま垂れ流しているだけではないか。

オリンパスのことはたしかに重大な問題だ。
だが、この問題の究明はもう専門家に任せておいてよいと思う。
社員や株主をはじめとして多くの利害関係者が被害者となったと言えるが、そもそも利害関係者はオリンパスの事業によって自分に利益が生じることを期待しているわけで、それは今回のようなリスク案件も含めての、ある種の運命共同体だ。
つまり、問題としては限定的な状況であり、ぼくとしては、本来のマスコミの使命としては東電の追及に全力を傾けることにあると考えている。
福島第一原発の影響の範囲はとてつもなく広い、利害関係者かどうかなど関係なく、すべての人を巻き込んでいる。しかも許せないことに、未来の世代まで巻き込んでいる。オリンパスのことをこうやって話題にしてしまったが、そもそも比べようのない問題だ。

今、オリンパスをたたくのは楽なことだろう。楽なことをやるのがマスコミの仕事ではない。


オリンパスのことはほんとうに残念だ。
ぼくが生まれ育った諏訪とも深い縁のある企業。カメラや顕微鏡でとてもお世話にもなった。
一生懸命仕事をしてきた社員のことを思うと、胸が締めつけられる。

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2011年12月 7日 (水)

リニアを作ってはならない

11月27日に松本で開いた講演会とシンポジウム

シンポジウムでは、いくつかの質問が取り上げられた。質問は質問用紙に記入・回収方式だった。
その中で、リニア中央新幹線についての質問があった。
中馬さんに、リニアについての考えを問うものだった。
気のせいかもしれないが、「リニア」の言葉が出た時、会場内の空気が変化した感じがした。
それまでは原発の話題ばかりだったから、唐突感があったのかもしれない。いや、原発との対比など関係なく、そもそも、「なぜ、リニアの話題?」みたいに思った人が多かったのかもしれない。

実は、あの質問はぼくが出したものだった。

原発に関する質問が多いだろうと読み、では違う話題を取り上げてみようという気持ちが働いていたのも事実。
だが一番の動機は、リニアの問題に関して、あまりにもみな無関心なのではないかと感じていたので、一石を投じたいと考えたのだ。

リニアの問題は難しい側面があると思っている。
例えば長野県民について言えば、利害関係者となる一部の人を除き、多くの県民にとっては、あってもなくても同じといった感覚があるのではないだろうか。

たしかに、リニアができて走っていようといまいと、日々の生活についていえば影響はないように思える。

だが、リニアは巨大電源を必要とする。地下水脈があるところにトンネルを掘ろうとしている。
そもそも、そんなに速い乗り物が必要なのだろうか?
仮に移動時間が短縮され、新たな時間が生み出されたとして、その時間をどうするつもりなのか。

たいした議論もなく、ここまで来てしまった。

ぼくはこれから折にふれ、リニアのことを取り上げようと思う。
あれは、なくてもいいもの、ではない。
作ってはいけないものだと考えるからだ。

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2011年12月 6日 (火)

自然エネルギー松本地域協議会(仮称)

今、タイトルの集まりを立ち上げようとしている。

そもそもは、ぼくも設立呼びかけ人のひとりとなり、7月31日に設立総会を開いた『自然エネルギー信州ネット』という集まりがある。産官学民の協働で、信州に自然エネルギーを普及させるだけでなく、地元に雇用を生み出し、地元でお金が回る、そういった取り組みを支援していくことが目的だ。
その信州ネットの構想のひとつに地域協議会がある。

具体的に進めるには、地域にあったエネルギーを選ぶ必要がある。だから、実際の自然エネ普及は地域単位でやっていこうというものだ。信州ネットと地域協議会は、対等の立場であり、連携して活動していくことになる。

ぼくは今、松本地域の協議会を作ろうと、ここでもまた呼びかけ人となり、設立準備を進めているところだ。
ありがたいことに、学習会には70名ほどが集まってくれ、設立のための準備会にも30人ほどの市民が集まってくれた。

設立のための叩き台づくりを始めるところだ。これも有志を募ったところ、10名近くの人が名乗りをあげてくれた。

集まって、話をしてみて、つくづく思う。
みな、語りたいし、いろいろなことを知りたいのだ。
伝えたいことがあり、つながっていきたいことがある。
やるべきことをやろうと思っている。
自分の利益のため、などとは考えていない。

自分の頭で考え、動こうとしている人たちがいる。
そこが大切なところだ。

設立し、動きだすまでにはまだ時間がかかるだろう。
でも、焦らずていねいにやっていこうと思う。
目に見える成果はすぐに出す必要はない。
みんなの大きな意思を同じ方向へとたばね、方向さえ定まれば、あとはみな好きなように自由にゴールに向かって歩き出せばいい。
道すじはいくらでもある。

苦労や障壁もいっぱい出てくるだろう。
それでも、何とかなるだろう。
みんなで知恵を出せば何とかなる。

あまり根拠のない楽観とともに、ひとまずは設立へ向けて、もうひと踏ん張りだ。


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2011年12月 5日 (月)

やってよいこと、悪いこと

松本地方の地元紙「市民タイムス」で毎週水曜にコラムを寄稿している。
今年の初め、市民タイムスが声をかけてくれ、『新春随想』ページを与えてくれた。

その時の文章のタイトルが、今日のブログタイトルだ。

「世の中にはやってよいこと、悪いことがある」。社会全体を見回したとき、これはやってはいけないだろう、手をつけてはいけないだろう、せめてもっと慎重にできないか、そのようなものがありませんか?ぼくにとってそう思えるものの代表格は遺伝子組み換え作物と原子力発電です。

こんな文章で随想を始めた。
原発については、やってはいけないことをやっていたことが、悲しいことに実際に起きたことによって証明されてしまった。

ありがたいことに、今年の正月もそのページを与えてもらえた。
今年は何を書こうか?あれこれ考えているところだ。

一年前のものより、よりものごとの本質に迫る内容、しかも読んだ人が、家庭の中で話題にしてくれるようなものにしたいと思う。

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2011年12月 4日 (日)

満腹と満足、今夜食べたもの

今夜の献立。
ペンネをたっぷり入れたポテトサラダ、なめこおろし、おぼろ豆腐、野菜たっぷりの汁もの。
Photo

ポテトサラダは自分で調理したものだが、なめこおろしはなめこを湯通しして大根をおろしただけ。おぼろ豆腐は買ってきたパックからあけるだけ。汁ものに至っては、昨夜の鍋の残りをベースに作りなおしたもの。

たいして料理と呼ぶほどのことはしていないが、こうして用意するのは楽しい時間だ。
料理の面白さのひとつに、いかにゴールを同時にさせるか、ということがある。
その点では、今日のメニューは楽勝パターンだが、加熱した状態で出すべきものが複数あるときなどは、けっこう頭を使う。
加熱だけでなく、調理具の使い回しとか、お湯の使いまわしとか、頭の使いどころはいろいろあって、これが楽しい。
味はともかく、サラダはたっぷり作ったので満腹になった。

今夜は食後に楽しみがあった。
友だちがお土産にとらやのお菓子を持ってきてくれた。
初めてみるお菓子。季節限定のものらしい。
「柚子ごよみ」

Photo_2

ひと口食べて、ビックリ。
濃厚な柚子の味と香り。まさに濃厚という言葉がぴったり。
でもしつこさはない。
甘さもバランスがとれていて。
さすが、とらや。
満足の味だった。

数年前に、京都のとらやでかき氷を食べたときも、うならされる出来だった。お値段もそれなりではあるが。
やはり、ちゃんとした仕事をしているというのが伝わってくる。


満腹と満足、両方が満たされた夜だ。

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2011年12月 3日 (土)

入院に付き添って

今週末は、信州大学病院にいた。
家族の手術のつきそいだ。
命にかかわるような大手術ではないが、あまり気分のよいものではない。

手術は成功、もう心配はないだろう。

病院にいると、ほんとうに多くの人が病院にいることに驚く。
患者さんだけでなく、医療スタッフ、病院の運営を支えるスタッフ。
病院だけでひとつの町ができているようだ。

他人事のような言い方をしたが、ぼくもこの頃は病院のお世話になることがときどきある。

これからは社会も高齢化し、医療の必要性も増すばかりだろう。
経済性優先の社会では、ますます医療格差が生まれていくだろう。暮らしにくい社会だ。

ぼくは環境問題に取り組んでいるわけだが、病院の中にしばらく身をおいてみると、変な言い方だが、病気や怪我をおそれずにすむ社会にしていきたいものだと思う。

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2011年12月 2日 (金)

冬だ!

昨日から12月。
12月の到来とともに、一気に寒くなった。

今朝は雪。
前夜のうちに多少の予感はあったものの、やはり、目覚めるとびっくりだった。
わずかではあるが積雪もあった。
今シーズンでは初めての雪。通勤通学には焦る日でもある。

我が家の庭には富有柿が植えてある。毎年、かなりの収穫がある。
先週、三分の一ほど収穫し、友人におすそ分けもした。

まだ木に残しておいた柿に雪が積もった。


Photo


Photo_2

柿の朱色と雪の白のコントラストがなかなかよかった。
実は、柿が取れ過ぎて、毎年、消費するのに苦労している。
今年はジャム作りでもやってみようかな。

これはおまけ。
松本のマサムラの和三盆ロール。すごくおいしいよと友人が教えてくれた。
和三盆による柔らかな甘さがいい感じ。

Photo_3

最近はいろいろなロールケーキが出てきて、話題にもなっているようだ。
ふわふわに作れば、それだけでもけっこうおいしいのは確かだと思う。
だが、このマサムラの和三盆ロールには、それらのロールケーキとはまた一味違うものがあると思った。
けっこう食べごたえもある。

ちなみに、マサムラと言えばベビーシュー。
それも買い求めたのは言うまでもないことだ。

帰宅し、紅茶を淹れる。
ロールケーキにナイフを入れ、ベビーシューをぱくつく。
幸せだなあと思う。
安上がりな幸せだ。

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2011年12月 1日 (木)

やはり自然はすごい、と変な角度からの感嘆

今日は真冬の寒さだった。12月の始まりにふさわしい気温の低さだったと言えるかもしれない。

近年、気象の変化が激しい。
例えば気温。夏かと思わせる日の翌日が冬のような気温に、などということも珍しくない。
そんな時、ぼくは思う。
「自然とはすごいものだ」と。

自然はいとも簡単に、やすやすと気温を変える。大気の温度、全体を変えてしまう。
こんなことは、人間にはとてもできない。

タイでは洪水が大変な被害をもたらし、まだまだ水位は高いままのようだ。この洪水にしても、膨大な水の量を考える時、人間にはとてもできるものではない。むろん、洪水など起こす必要もないのではあるが。

自然の力はすごい。
自然の前には人間の力など、あまりにも小さいものだと思う
ところが、こと気候変動の原因という話になれば、人為的なものが主要因だ。
大気を変えるまでに人間の経済活動は拡大してしまった。

今、南アフリカのダーバンでCOP17 を開催中だ。
京都議定書で定めた第一約束期間の終了を来年にひかえ、ポスト2012を決めなければいけないのに、まだまだ見通しが立っていない。

各国が「国益」なるものを主張している。主張だけしか知らないのだろうか?
それぞれが「国益」をかざし、自分たちの主張こそが正しいとだけ大声をあげていても、それは議論とも対話とも呼ぶに値しない。

自分の利益の主張しかしないやつ。
そんなのが自分のまわりにいたら、どう思うだろうか。
いやなやつだと思うのではないか。

そろそろ日本は「正しい」ことをやる国に変わっていくべき時だと思う。
政治家が経済のことしか口にしない国から脱皮すべきだ。
「正しい」ことをやっている国は、きっと金儲けは下手だろうが、まわりからは共感してもらえるはずだ。
きっとそのほうが、豊かで幸せな国になると思う。

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