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2012年1月

2012年1月31日 (火)

異なる想いのベクトルを合わせる

先日のブログでも紹介したように、”自然エネルギーネットまつもと”を立ち上げる

会員募集案内の冒頭には次のように書いた。

“自然エネルギーネットまつもと”は、「自然エネルギーありき」ではなく、望ましい社会、持続可能な社会とはどのようなものかを考え、社会や暮らしを支えるエネルギーはどれだけ必要なのか、どういったエネルギーが必要なのか、それらを我がこととしてとらえ話し合うところから始めたいと考えています。その作業を通じて、自然エネルギーの役割や意義・必要性を明確にしながら、自然エネルギーの普及に取り組みます。

いろいろな立場、年代、レベルの人に集まってほしいと思う。レベルというのは、自然エネルギーに関しての知識や経験といったとこだ。

今まで3回開催した設立に向けての準備会でも強く感じた。いろいろな人がいる。まさに専門家という人たちがいる。自然エネルギーという言葉を知ったばかり、というような人もいる。それが重要なところだ。
多くの人は専門家の話すことが理解できない。しかし実際に自然エネルギーを普及させていくのは一般の人たちだ。その人たちが理解できないことを話していては、いつまでたっても理解できないままだ。

専門家の多くはいろいろな経験や体験、あるいは思考を経て、今がある。一般の人たちが悩んだりわからなかったりしていることは、すでに経験したり、あれこれ考えて結論がもう出ているものだったりする。ならば、知識や経験が共有できれば、無駄に悩まなくてもいいかもしれない。ちなみに、一見無駄に見えても、じつあ無駄でなかったということはよくある話。気をつけよう。

自然エネルギーと書いてきたが、そもそも自然エネルギーならいいのか、自然エネルギーでいいのか、という話がまず大切だ。

いろいろな人が集まり、様々な観点から、様々なレベルからの話が始まる。
最初は混乱があるだろう。
だがそこをていねいにときほぐし、みんなで共通に話せるものを見つけていきたい。
それをやらないから、今の社会になってしまった。

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2012年1月30日 (月)

エネルギーを多様にとらえる:エネルギーは姿を変える

もっともわかりやすいエネルギーはなんだろうか?
たぶん、燃料とか電気だろう。まさにエネルギーそのものだ。

だが、エネルギーはそれだけではない。
例えば信州の冬の道。昼間晴れていて夕方から雪になった時などによくわかるが、道路の雪の積もり方、凍り方が顕著に異なる場合がある。よくよくみると日陰になってしまう部分は雪は融けず、時間とともに氷になってしまう。
アスファルトが太陽の光で温められ、夜になってもまだ余熱があるということだ。
太陽の光があたった部分は、他のところよりエネルギーを持っていると言える。

ぼくらが毎日食べるもの、使うもの、いろいろなモノは、エネルギーを使わなければできないモノばかりだ。
とすれば、身のまわりにあるモノ、まさにエネルギーのかたまりと言ってよい。

エネルギーはさまざまなものに形を変えている。

だから、単純に原発ないと電気が困る、原発の肩代わりをしてくれるのはどんなエネルギーなの?
みたいなのはやめ、モノとエネルギーのつながりをよく考え、エネルギーを作り出すことだけで
なく、エネルギーの使い方がおだやかになるような暮らしを作っていきたい。

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2012年1月29日 (日)

もっとエコ生活「引越し:運ぶ」

「引越し:運ぶ」

入学や就職、転勤。春は引越しの季節だ。手間もお金もかかって大変、しかも少なからぬ環境負荷が発生する。逆に見ればエコな取組みのチャンスだ。引越しにはものを運ぶことと、ものの購入・処分という側面がある。共にやり方次第で環境負荷は大きく変わる。

エコに運ぶためのポイントは、運ぶ量を減らすこと、梱包材を減らすことの2つ。前者はものの購入・処分とも密接な関係がある。今回は梱包材の工夫を考える。

梱包によく使うのは段ボールと緩衝材。リサイクルできる材料だが、リサイクルにもエネルギーを使う。これらを何とかしたい。繰り返し使う梱包資材を手配してくれる引越し業者がある。梱包専用なので使い勝手もよく、梱包・開梱時間を短縮でき、開梱後の梱包材処理の手間も不要、費用も安上がりなどエコ以外の利点もある。引越し予定があれば早めに業者を調べることが肝心だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年3月2日掲載)

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2012年1月28日 (土)

自然エネルギーネットまつもと 会員募集開始

今まで「自然エネルギー松本地域協議会(仮称)」として設立準備を進めてきました。
地域学習会、3回にわたる準備会、その他の打合せなどを経て、いよいよ正式に立ち上がります。
名称も今までの仮称から「自然エネルギーネットまつもと」としたいと考えています。
設立総会を2月15日に開くことにしたので、その時に名称も正式なものを決めます。

会員募集のために、非常に簡単なものですがホームページも用意しました。
参加を希望する方、参加してみようかどうか考えてみようという方、自然エネルギーネットまつもとのホームページをご覧ください。

みなさん、どうぞよろしくお願いします。

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2012年1月27日 (金)

エネルギーを多様にとらえる:世界一高い木

世界一高い木はアメリカにある。
カルフォルニアのレッドウッド海岸にそびえたつセコイアの巨木、これが世界一の高さを誇る。
その高さは115メートル強。すごいものだ。

実物を見ると、きっと畏敬の念がわくような気がする。

こういう巨木の存在を聞くと、いつも不思議に思うというか、自然はすごいと思うことがある。この巨木も生き物である以上、100メートル以上の高さの部分にも水分を運ぶ必要があるはずで、実際に運んでいるのだから生きていて、それがすごいと思う。

根から吸い上げた水を先端にまで届ける。100メートル以上の高さがあるところまで。
人間の科学と工業の力をもってすれば、それは可能なことだが、大がかりな設備を必要とする。
ところが木は、木自身だけでそれをやってのける。普通に根と幹と枝と葉だけの木だ。
外から与えられるエネルギーは太陽エネルギーだけだ。
すごいものだ。

自然の営みは人智の及ぶところではない。
まわりから見る限り、格別のエネルギー投入をするわけでもないのに木や草は育つ。ただ実際には太陽エネルギーがあってのことだ。
つまり木や草はエネルギーと等価といってよい。
あるいはエネルギーの使い方が、プロセスが、ぼくらの使い方とまったく異なるのだ。

今日のところは何のことだかよくわかない文章になってしまったが、エネルギーを多様にとらえたいと思う。
何も燃料や電気だけがエネルギーではないということだ。
この考察、しばらく続けてみよう。

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2012年1月26日 (木)

甘酒

先日、甘酒を作った。
甘酒をつくるのは初めてだ。

そもそもは塩麹というものの存在を知り興味を覚え、市販の塩麹を買ってみて、そのおいしさに驚き、では自分で塩麹を作ろうと思ったのがそもそもの発端だった。

産直の店に行ったところ、麹を売っていたので、さっそく買い求めた。
帰ってさっそく塩麹を仕込んだのだが、麹はけっこう余っている。そこで、前々から気になっていた甘酒を作ってみたというわけだ。

お粥を作り、少し冷ましたところで麹をまぜ、あとは50~60℃で保温する。それだけだ。
我が家には炊飯器のような保温に適したものがないので、湯たんぽを使った。
甘酒を入れた鍋に湯たんぽを抱かせ、フリースの毛布でくるんだ。

10時間の保温が必要とのことで、途中で2回ほどお湯を換えて保温を続けた。

初めてだったから?ビギナーズラック?上手にできたと自画自賛。
とてもおいしかったです。

こんなことなら、もっと前からやればよかった。

次回は玄米で甘酒を作ってみる予定。

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2012年1月25日 (水)

不揃いなものに価値をつける

ぼくは料理が好きだ。

そんなにレパートリーがあるわけではないが、ともかく料理が好きだ。
たいていは、家の中にある食材を見て、それを使って作るので、ある意味、レパートリー無限大!かもしれない。

料理をしていて、よく思うことがある。先日も書いた再現性に関することだ。
つまり、同じものを作るのはむずかしいってこと。それは、例えば今日作ったものと同じものを明日また作ろうとしても、なかなか同じにできない、というのがまずある。さらに、例えば餃子を焼くとか、揚げ物だとか、お菓子だとか、同時に複数のものを作る時、それらをどれも同じように作るのもまた難しい。

だが、まてよ、と思う。
こういう、言って見れば「ムラ」にあたるものが、うまくやれば”手作り感”を醸し出すはずだ。
大量生産で、売るものはムラなど許されないだろう。

だが、「手作りです」と言って売るのだとすると、むしろある程度のムラがあったほうがよさそうだ。

ムラと言うからいけないのか。多様なもの、と言えばよいのかな。
多様なものに価値をつける、ってことか。

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2012年1月24日 (火)

なぜ自然エネルギーなのか?

前に書いた松本地域協議会(仮称)、いよいよ正式立ち上げとなる。それについてはまた詳しく書くが、設立の趣旨について少し書いてみたい。

なぜこの会を立ち上げ、何をするのか?ということだ。
つまりは設立趣意書。
今夜は設立のための準備会であり、ぼくは設立趣意書を提案した。

このような内容だ。最終的にはもう少しまともな文章になるはず。

「2011年3月11日の東日本大震災に起因する原子力発電所の事故は、人間が制御できない側面を持つ集中型の巨大システムは持続可能な社会とは相容れないものであることを示しました。

なによりも、社会や暮らしを支えるエネルギーについて、私たちが無関心で他人任せにしてきたことが、このような事態を招いたことを思い知らされました。

私たちは持続可能な社会、よりよい松本地域におけるエネルギーとはどうあるべきかを考え、それを通じて自然エネルギーの意義や役割を明確にすることが必要と考えます。」

3.11以降、代替だ、自然エネルギーだという声をよく聞く。
だが、やみくもに自然エネルギーへと突っ走ることは、原発を容認してきた体質と何ら変わることはないと思う。

なぜ自然エネルギーをやろうとするのか、その問いかけが重要だ。

ぼくらはどんな社会を作りたいのか。その社会で必要とするエネルギーはどのような要件を満たすべきなのか、それに見合うエネルギーはどんなものなのか。そこの議論が重要だ。

むろん、松本ではここのところから始めるつもりだ。

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2012年1月23日 (月)

もっとエコ生活「トイレットペーパーの量」

昨日のブログの続き

「トイレットペーパーの量」

日本人は平均で1日約9㍍のトイレットペーパーを使うらしい。年間では一人約7.5 ㌔㌘。原料が森林資源であることを考えると少しでも使用量を減らしたい。トイレでの本来の用途に支障をきたさずに使用量を減らせるのか?実はちゃんと減らす方法がある。

紙が二重になったダブル巻でなくシングル巻を使うのが有効だ。一回に引き出す紙の長さは、ダブル巻にしたから
といって半分になるわけではない。ロールには芯、つまり紙管を使うものが多いが、芯なしタイプもある。これだと最後に紙管が残らず無駄がない。ただしペーパーホルダーの形状により合わない場合もあるので、選ぶときに確認が必要だ。

さらにロール幅を通常より1割程度狭くしたものもある。狭いといっても欧州ではこれが普通だ。毎日使うトイレットペーパー、エコの目で選ぶことが肝心。あとは普通に使えばよい。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年2月23日掲載)

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2012年1月22日 (日)

もっとエコ生活「トイレットペーパーの質」

「トイレットペーパーの質」

かつてオイルショックの時には奪い合いの騒ぎとなった。まさに生活必需品だ。紙のリサイクルは一般的になったが、この紙ばかりはどうしようもない。一回使えばそれまで。しかも毎日使う。だからこそトイレットペーパーの環境配慮は重要だ。着眼点は質と量。紙そのものをエコにすること、使用量を減らす、この2点だ。

古紙から再生したものを選びたい。木材をパルプにし紙を作るのと、古紙からの再生では二酸化炭素発生量に大きな違いはない。だが木材パルプを作るのに森林伐採が伴う。森林は、今ある森林を大切にすることが重要だ。

白すぎないものを選ぶことも肝心。白さを求めると、古紙から再生する場合も原料は白い上質な古紙に限定され、漂白剤の使用量が増えるといった問題が生じる。白さにこだわらないことが、原料の選択肢を広め、貴重な木材資源の有効活用につながる。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年2月16日掲載)

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2012年1月21日 (土)

雪かき

毎月2回くらい、東京出張がある。ほとんどは会議だ。会議開始を待つ時間、あるいは休憩時など、出席者と話をしていると、必ずといってよいほど出る話題がある。特にこの時期は。
ぼくが長野県から来ていることを知ると、あるいはすでに知っている場合も、「雪はどのくらい降るんですか?」と聞かれる。

ぼくが生まれ育った諏訪、現在の居住地である塩尻、ともに冬になれば雪は降る。だが、都会の人が信州と聞いて思い浮かべるほどに、おそらくそれは野沢温泉とか白馬村のイメージなのだろうが、そんなには降らないし、積もらない。
だが、雪かきは必要だ。

木曜の夜は雨だった。その雨は夜中には雪になったが、この時期に雨だったくらいだから、気温も高め。重い雪だ。
金曜朝、起きるとそこそこ積もっている。朝一番の電車で出張だったが、出発前に雪かきをした。
豪雪地帯に住むようになったとして、その時にも同じセリフを言うかどうかはわからないが、今は、「雪かき、けっこう好きです」と言える。

どんな順序でどこから雪をかくか、とか、雪の質や量に応じて用具を選ぶとか、知恵を使う場面はいろいろある。そして、やった結果が一目瞭然。なかなか面白い。
とはいえ、雪が重いと、腕や腰にかなりくる。これはどうしようもない。

雪かきにはいろいろなものが垣間見える。朝早くからやる家。夜中のうちに、一回、やっておく家。きっちりかく家。とりあえず、やる家。ま、いろいろだ。個性はあるが、みな、雪かきをする。

ところが、だ。
我が家の近くに新興住宅地がある。整然とした区画に、きれいな家が並んでいる。ここは、雪かきをしない。
塩尻・松本は降雪量は少なくても、寒さは厳しい。家の北側の日陰の道路など、いつまでも凍ったままになっている。だが、その住宅地では雪かきをしない。凍ったままだ。

どの家も南向きに建ててある。玄関も南側だ。だから家のまえの道は日があたるので、仮に雪かきをしなくても、晴れればだんだんと雪はなくなっていく。だが北側は別だ。いつまでも雪が残り、車によって踏み固められ、スケート場ができあがる。その家にとっては北側の道は使わない道、関係ないということなのかもしれない。

整然とした区画に、整然とならんだおしゃれな家。それだけに、道路の半分、家の裏側にあたる部分がいつまでも凍りついているのは、何とも言えない対比だ。

ぼくは、自分の家では使わない部分も、家のまわりの道路は雪かきする。理屈ではない。そうしなくてはいられない。

路上に残る雪と氷が物語るものは何だろうね。


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2012年1月20日 (金)

はさみを研ぐ

刃物が好きです。

でも、決して怪しい者ではありません。
そう言っている時点ですでにそうとう怪しいということも言えなくもない、とは思いますが。

刃物は使ってこそ。
使えばだんだんと切れ味は鈍くなります。そこで、研ぐ。
自らの技量が端的にわかる作業ですね。

今日、東京出張でした。
そして、小さくて、とても目の細かい砥石を買いました。
何に使うのか?

実ははさみの切れ味が落ちたので、それを何とかしようと思ったのです。

そして、さっきから、研ぎ始めています。なかなか難しい。
何しろ刃が曲面ですから。
慎重にやってます。
少し時間はかかってもいいので、はさみの研ぎをマスターしたいです。

切れる刃物を使えば、息が切れない。
ここですね。

刃物も、研ぐ人によって、切れ味は天と地ほどに違ってくる。
面白いものです。


今まで、包丁やナタは自分で研いでいました。
はさみは難しいだろうと思い(実際、難しいのでしょうが)、手を出さずにいました。
でも、手をださないでいれば、いつまでたってもそのまま。
たとえ最初はうまくいかなくても、やってみること、それが大切だと思い、はさみの研ぎに挑戦です。

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2012年1月19日 (木)

再現性

先日、アップルパイを作った。
家にあるリンゴでフィリング、つまり煮リンゴを作り、冷凍パイ生地を買ってきて、ガスオーブンで焼いた。

幸いなことにおいしくできた。
作ったものを差し上げたところ、そこの子どもさんたちもおいしいと言ってたとのことで、ぼくもうれしい瞬間だった。
自分でも、そこそこうまくできた、と思った。

だが、これと同じようにもう一回と言われると、まったく自信がない。

これがプロとアマの差なのだ。
プロはどんな時でも、コンスタントに、味も見栄えもよいものを出してくる。
これができない。
つまり、再現性がないのだ。

じゃあ、いろいろなものの分量を守ったり、調理の時間を管理したりすれば、同じようなものが出きるだろうか?
基本はできるのだろうけど、違うものができてしまうことも多いのではないかと思う。

つまり、再現したつもり、真似したつもりでも、本来の再現すべきポイント、あるいは再現にあたってのキーポイントと言ったものを見逃してしまっていたら、なかなか再現も難しいだろう。

何がそれを支配しているのか。そこを見極める力が問われそうだ。

ただし。
再現性は大切な要素だと思う。
再現できるのであれば、そういった技術は持っていたほうがよいだろう。
でも、再現できずとも、その一回、一回に思いを込めて作ること。まずそこだろう。


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2012年1月18日 (水)

賦存量(ふぞんりょう):隠された能力

「賦存量」ということばがある。読みは「ふぞんりょう」。

おそらく、辞書を引いても、パソコンで変換しても現れてこない。造語、新語のたぐいだろう。
賦存量は、自然エネルギーの分野ではよく登場する言葉であり、重要な概念だ。

この意味は、理論的に算出できる潜在的なエネルギー資源量だ。エネルギーの潜在能力と言ってよいだろう。
ある地域での自然エネルギーを考える場合、その地域の自然エネルギーの賦存量といえば、その地域で活用できる潜在的な自然エネルギーの理論的な総量を指すことになる。
むろん理論値なので、実際に活用できるのはこれより少ない。

ここで、待てよ?、と思う。
ぼくは賦存量の算出方法を正確に知っているわけではない。
理論に基づき算出するということなので、見かたを変えれば、既存の考え方に基づき算出するとも言えるだろう。

何を言いたいか?
つまりはこういうことだ。
既存の考え方を離れて発想すれば、もしかすると賦存量は増えるのではないかということだ。
例えば水力であれば、水の量と高低差により位置エネルギーが決まる。これが賦存量になるのだと推察しているが、水そのものの持つ価値であるとか、使い方を考えると、エネルギーとは呼べないかもしれないが、潜在的な可能性としては新たなものを見いだせるような予感がある。

潜在的なもの、隠れた可能性のあるものに、もっと目を向け、思いを巡らせたい。
例えば、子どもの潜在能力は無限大と言ってよいだろう。
親は、自分の子の潜在能力を探し、認めようとするだろう。いや、まず信じるところからだな。きっと、この子は、と思い、信じるだろう。

どうも社会の中を見回しても、明るい話、希望のある話より、がっくりくるような話、脱力する話、怒りがこみ上げる話、そういったもののほうが圧倒的に多そうだ。

だが、生きていく以上、もう少し希望や夢や期待を持ちたいものだ。
ぼくたちはあまり固定観念や、前例にとらわれる必要はない。
もっと自由に考え、また色々な考えがあることを認めたい。
そして、自分の住む地域の賦存量を高めたいと思う。何も、エネルギーにこだわる必要はない。
気持ちよく暮らせて、住みやすければよいのだ。そのための潜在的なものはきっと見つかるだろうし、もっと言えば、作り出していくことができる。

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2012年1月17日 (火)

やるべきことはみなやったのか?東電値上げ

東京電力が値上げを発表した。
企業向けが対象で、17%の値上げとのこと。

企業の電力費がかさみ経営を圧迫するとの話もあるようだ。企業の規模や業態によっては厳しいだろう。特に、電力を多く使う企業は大変だ。

自社の社員の給与に影響が出るとした場合、その経営者は黙っているのだろうか?
東京電力は値上げの前にやるべきことはみなやったのだろうか。

水準は下げたものの賞与は支給したと聞く。
給与水準も高いらしい。

その企業が値上げを通告してきて、一方では自社の社員の給与を下げざるを得なくなるとして、その経営者は東電に抗議しないのだろうか。
社員の生活を守るとは、どういうことか。
ともかく雇用を守るために給与を引き下げるというのも一つの選択だ。
だが、その原因を作った会社が自社よりずっとよい給与条件をあたりまえとしているのだったら。もしそうだとしたら。値上げをすんなり認めてしまってはいけないと思う。
いや、単に比較の問題ではない。まずは姿勢と考え方の問題だ。
あれだけのことを起こしてしまって、今までと同じであろうとするのだとしたら、そこに根本的な問題があると思う。
我が身で考えてみればよい。
取り返しのつかないようなことをしてしまったとき、今までと同じで、ということはないだろう。

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2012年1月16日 (月)

映画上映から一年が過ぎ

昨年の1月16日のブログでこんなことを書いている。

そう、その前日の1月15日には松本で、『ミツバチの羽音と地球の回転』の上映会を行った。監督の鎌仲ひとみさん、自然エネルギーと言えばこの人 飯田哲也さん、そして松本出身のシンガーソングライター 美咲さんを招いてのトークショーも行った。
映画は3回上映し、全部で350人以上の市民が来てくれた。今、この顔ぶれで同じプログラムをやれば、1回の上映だけで、この人数が集まることだろう。

1月17日にはこんなことも書いている。

あれから一年経った。
この一年間、ほんとうにいろいろなことがあった。などという軽々しい書き方では表現できない一年だ。

日本では3.11。世界でも数々の出来事があった。そしてぼく自身にも数々の出来事や変化があった。ぼくの人生を変えただろうし、変えつつある、そんなふうに感じている。

一年前の上映の時、飯田さんと自然エネルギー信州ネットのことについて話した。飯田さんがあたためた構想だった。やってみないかと誘われた。断る理由などなにもない。2月から本格的に準備が始まった。
そして3月11日がやってきた。

ぼくらが、そして多くの市民が取り組んでいること。それは脱原発・反原発だったり、自然エネルギー普及だったり、地球温暖化防止だったり、幸せな社会づくりだったりする。
その時、忘れてはならないのは、3.11があっても、なくても、それらは本来やらなければならないことだったということなのだと思っている。

3.11以前からやっていたり、考えていたなどということを言いたいのではない。3.11は決しておろそかにしてはいけない。だが、ことの本質は、3.11から離れたところにすでに存在しているはずなのだ。

3.11があってもなくても、やらなければならないことがあった。
にもかかわらず、3.11があってもやらないとはどういうことなのか?

3.11があっても、結局は変わらない人々や意識。
ぼくらはつい、大きな体制や仕組み、政策に目を向けがちだが、実はすぐ身のまわりにこそ、手をつけるところがあるのだと思う。

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2012年1月15日 (日)

湯たんぽ:体質が変わった?

体質が変わった?シリーズの第3弾。

昨夜、湯たんぽを使ってみた。すごく珍しいことだ。
子どものころは、豆炭あんかを使っていた。時々、足に低温やけどをやらかしていた。やけどの跡は今もかすかに残っている。

その後は、寝る時、あるいは寝ている間に暖房や保温のための器具や設備は使うことがなかった。
「冷たい布団にもぐりこんだときの、あのゾクッとする感じがたまらない」
あ、これは、とても”いい”という意味でのたまらない、です。

「ゾクッとしたところから、自分の体温で布団の中が温かくなっていく、あれがいいのだ。」
などとうそぶいていました。

でも、すでにあんなことこんなことを書いたように、この冬は変化が生じています。

それでもって湯たんぽの登場です。
これが我が家の湯たんぽ。銅製です。

Photo

けっこうコンパクトになっていて、ぼくの好きなデザインですね。

この頃は前よりも健康に気を配るようになりました。
湯たんぽを使えば、もっとぐっすり、つまり質の良い睡眠ができるのではと考えたのです。

一晩使った感触では、あまりよくわかりません。まだ慣れていませんしね。
でも、気持ちのよいものであるとは思いました。

ゆたんぽでビックリしたことがあります。
湯たんぽを使った後のお湯の温度を測ってみました。熱湯を入れてから約8時間後のデータです。
な、なんと、45℃ありました。これが証拠写真。


45

なかなかの保温力です。

自分で使うことのできる時間は限られています。だから、自分の時間の質を高めていくことは意味もあるし、大切なことでしょう。
湯たんぽで時間の質を高める、とは大げさかもしれませんが、そうでもないだろうと思っています。
湯たんぽを使う→もっとぐっすり眠るようになる→体調が良くなる→健康維持
まあ、こんな感じでしょうか。

やはり、健康でいることが大切。
それは時間の質を高めるのと同じ事だろうと思います。

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2012年1月14日 (土)

もっとエコ生活「コールドドラフト」

「コールドドラフト」

聞きなれない言葉だが、その現象に日々悩まされている人は多いだろう。室内の暖かい空気が冷たい窓ガラス表面で冷やされ下降気流となる現象だ。窓からの冷気は床面をはうように広がり、足元や腰を冷やす。冷たい窓は結露の原因ともなる。

対策は2つ。一つは窓ガラスそのものを冷えにくくすること。二重窓やペアガラスで窓の断熱性能を高める方法だ。根本的対策で効果も高いが、工事が必要で費用もかかる。簡易的には窓ガラスにエアキャップを貼る方法もあるが見栄えは良くない。

もう一つは冷気の流れを止める方法。カーテンの工夫だが、裾を床に着けるのが肝心、これで冷気の広がりを防ぐ。アジャスター付きのカーテンフックを使えばカーテンの高さが調整できるので、簡単に床との隙間を無くすことができる。カーテン生地は保温性のある厚手のものがおすすめだ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年2月9日掲載)

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2012年1月13日 (金)

続・体質が変わった?

昨日の話の続きです。

昨日も書きましたが、今年は今までになく厚着をしているようです。
その原因は会社の居室。
なぜか今年は寒く感じるのです。

いえ、去年もその前も寒くは感じていたのですが、今年はちょっとこれを我慢し続けるとあぶないかも、と思ってしまいました。
実際のところはどうなのだろう?いちおう机上の温度計は19℃を指しています。去年もそんなものだったような気がしますが。

というわけで、今年はフリースを2枚重ねて着ています。さらにはユニクロのヒートテックが加わる日も。

まわりをみると、ひざかけしている人、手袋している人、ダウンを着込んでいる人、やはり寒いことは寒いのですね。

体質が変わったなら変わったなりに素直に認め、あまり無理はしない。
去年までは多少は無理をしていたかも、今にしてみればそんな気がしないでもないです。
わざわざ体に負荷をかける必要はありませんからね。

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2012年1月12日 (木)

体質が変わった?

この頃、体質が変わったのかなあと思うことがある。

例えば。
この冬、家の中にいるときに靴下をはいていることが多くなった。去年までは決してなかったことだ。
外から戻った時に真っ先にやるのが靴下を脱ぐこと。季節を問わず、だ。これが今までの習慣。
ところが、今回の冬はそうではない。

靴下をはいている理由は2つある。
ひとつには、「寒い」と思って、靴下をはいたときがあった。
ぼくはかかとが荒れやすく、冬はひび割れたりする。今年はそうさせたくないと思い、小まめにクリームを塗り、靴下をはいている。かかとのあれ防止。これがもうひとつの理由。

変わったと言えば他にも、明らかにいままでよりは厚着になっていると思う。

体質が変わったのか、はたまた、今までは無意識のうちに少し寒さをがまんしていたのが、がまんしすぎないようにという意識の変化があったのかもしれない。

がまんもほどほど、快適さ追求もほどほど。やり過ぎや、我慢のし過ぎがなくて、楽しく暮らせればよいのだろうね。


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2012年1月11日 (水)

もっとエコ生活「熱伝導と体感」

「熱伝導と体感」

寒くなると何かに触れた瞬間その冷たさに驚く。かなり冷たく感じるものもあれば、そうでもないものもある。考えてみると不思議なことだ。ずっと同じ環境に置かれたものならば、表面温度は同じはず。しかし触った時の感覚、つまり体感温度はかなり違う。

同じ温度でも30度の部屋は暑く30度の風呂は冷たく感じる。この体感の違いは熱が伝わる速さの違いだ。触れたものに体温が素早く奪われると冷たく感じる。ゆっくりならそうでもない。金属は布や木よりもずっと速く熱を奪う。

実は最初の冷たさが肝心。これが楽にしのげれば、あとは体温で接触部分などが温まり冷感がなくなる。座る場所や手足が触れるところなど、冷たさを感じない材質のものを使うとよい。布団や毛布など活用したい。エネルギーを使わない寒さ対策だ。便座用シートは座った瞬間の冷たさを和らげ、ヒーターが不要となる。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年2月2日掲載)

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2012年1月10日 (火)

第1回政策調査部会

今夜は自然エネルギー信州ネットの政策調査部会を立ち上げる会議を開いた。
ぼくが立ち上げの世話人を任されていたのだが、あれこれと抱え込んでいる仕事をうまくこなしきれず、今日この日まで立ち上げがずるずると遅れてしまった。

政策調査部会はその名のとおり、政策提案や調査活動を行うことを想定している。

今夜は、活動方針や活動計画を話し合った。
いちおう世話人として検討用のたたき台を作り、会議に臨んだ。

活動方針については4つの方針を提案し、みなさんの同意を得ることができた。
4つの方針のうち、最初のものは「ビジョンづくり」だ。

ぼくらは信州に自然エネルギーを普及させたいと考えている。
でも、「自然エネルギーありき」ではないはずだ、と訴えた。
まず、どんな信州にしたいのか、それを描こうじゃないか。その姿の中から、やはり自然エネルギーだよね、自然エネルギーで行こう、と、自然エネルギーの意義や必要性が見えてくるはず。そこが大切なところでしょう、と。

のっけから自然エネルギーで決まりだよね、では、原発を進めてきたのと同じになってしまう。

最後に部会長を選んだ。
みなさんからの、「あなたしかいないでしょう」の声に押されて、部会長をやらせてもらうことになった。

「あなたしかいない」
この声に応えたいものだ。

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2012年1月 9日 (月)

今日はカキカレーの日

カキカレー。

さあ、どんなカレーでしょう?
冬と言えば牡蠣、牡蠣をふんだんに入れたカレー!ではないのです。

ふんだんに入れた、という点ではそのとおりですが、カキはカキでも、柿をふんだんに入れたカレーを作ってみました。

我が家の庭には富有柿が植えてあります。

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今年はアメリカシロヒトリにかなり葉を食べられてしまいましたが、それでもこうやって実をつけてくれました。虫のせいかどうかわかりませんが、例年ほどの甘さはありませんでした。摘果もしないから、かも。

重さにして30キログラム以上の柿がとれます。おすそ分けしても、食べきれないくらいです。
毎年、正月の時にはまだ収穫した柿が残っています。かなり柔らかくなり、ヘタをとってそこからスプーンですくうとゼリーのようにして食べることができます。廊下に保管しておけば、何しろ冷蔵庫よりも気温が低いので、とっても冷たいデザートになります。

この正月には、いつもより多くの柿が残ってしまいました。さて、どうしたものか?
そうだ!カレーにしてみよう。カレーに挑戦です。
なぜカレーと思ったのか?
実は暮れにカレーを作ったときに、試しに少しだけ柿を入れてみました。気のせいか、おいしくなった感じでした。

で、今回は柿を主役にして作ってみようと思ったわけです。

柿をいっぱい、ボケた紅玉を2個、玉ねぎを1個、にんにくを少々。圧力鍋に入れた状態がこれです。

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たしかに柿です。
これをアラジンのストーブにかけます。もう35年以上使っているストーブ。働き者ですね。

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5分間加圧してできた状態がこれ。味をみると、さすがに甘い。でも思ったほどの甘さではなく、さわやかな甘さです。

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水は加えてありません。

これにカレールーを加えます。
実はこの時点で少し悩みました。生活クラブのルー、手元にはカレーとハヤシがあります。ハヤシのほうが合うかも。
でも今回は、カレーにしたらどうなる?がメインテーマだったので、予定どおりカレーにしました。
カレールーを加え、続いて朝岡スパイスのカレー粉を少しずつ加えて、辛さを調整。
さあ、できあがり!


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おいしかったです。
甘口のカレーで、食べていると、細かな細かな辛さの粒子がときどき舌を刺激してくれて。

新しい発見。何でも、やってみるものですね。

やってみなくちゃ、よいものはわからない。ほんとうにそう思いました。


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2012年1月 8日 (日)

なぜ駐車場を拡大?塩尻ウイングロードビル

昨日(1月7日)の市民タイムスを読むと、塩尻市のウイングロードビル周辺に平面駐車場の開設を構想しているとのことだ。ぼくはこの新聞記事の情報しか知らないので、ひとまずこの記事に書かれていることが事実であるとの前提で、以下のことを書く。

ウイングロードビルには立体駐車場がある。511台分の駐車スペースがあるが、これがよく満車になってしまうので、増設しようという話ではない。紙面によれば、単に3階や4階に駐車したくない、さらには、「用がある店の近くに止められなかったから帰った」という話もあるそうだ。
要は店のすぐ近くに止めたい、歩きたくないということなのだろうか。

いずれにせよ、駐車場スペースとしては不足していないのだから、平面駐車場を作る必要はないと思う。

平面駐車場を作ることで利便性を増し、集客力を向上させることによって、市街地活性化をはかるとのことだ。
そうやって、車がどんどん集まってくる状態を作りたいのだろうか?それが活性化なのだろうか?
違うと思う。

平面駐車場を作るために税金を使ってほしくない。お金は、車を使わなくても、いや、車を使わないからこそ人が安心して行き交い、生き生きとした街を作るために使うべきだ。

信州では車は必要だ。それは認める。
だが、ドアツードアが必要という発想をしているのなら、それは違う。

税金を使うのであれば、自動車をなるべく使わずにすむための工夫に使うべきだ。
例えば自転車専用レーンの拡充であり、店舗の前にきちんと駐輪スペースと駐輪設備を整えることであり、ずっと放っておかれている「安曇野やまびこ自転車道」を完成させることだ。

そして何よりも、「車の利便性を最優先にはしない、人を最優先にする」というメッセージをきちんと出していくことが大切だ。

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2012年1月 7日 (土)

七草の朝

昨夜、ちょっと用事があって出かけた時、ちょうど雪が降り始めました。
夜中になってもやむ気配はなし。

眠ってからはそれほど降らなかったみたいです。
朝起きると、そこそこの積雪に。
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右のほうにある背の低い木はビワ。長男がまだ小さい頃、ビワを食べ、その種を自分で庭に植えたものがここまで育ちました。まだ実はなったことはありませんが、親にしてみれば子の思い出そのものの木です。

七草がゆを作りました。
かなり前に買った乾燥七草があったので、それを使いました。ふだんは玄米100%ですが、今朝ばかりは白米を。白さがまぶしい~っ!

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おかゆと言っても、まだ粒がしっかり残った状態。昆布と鰹節の出汁で炊き上げたので、味はけっこうよかったと思います。

七草がゆの習慣は、野山の自然の恵みと季節の移り変わりがつながりあったものでしょう。大切にしたいものだと思います。でも、地域によっては放射性物質により、自然にあるものが食べられない状態に。このことだけを持ってしても、やはり、やってはいけないことはやってはいけない。そう強く思う朝でした。

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2012年1月 6日 (金)

諏訪には天然の宝物がある

諏訪は温泉町だ。
かつて、ぼくが小学生だった頃には、諏訪の温泉湧出量は全国第3位と習った記憶がないではないが、あまり自信がない。

いたるところに共同浴場や給湯栓があった。今はかなり減ってしまったが、まだある。
温泉を引いている家庭も多い。ぼくの実家など、庭に温泉の井戸があった。
お風呂と言えば温泉がかけながしになっているのが当り前。ずっとそういうものだと思い込んでいた。
大学進学で東京に行き、長野県出身者用の学生寮に入ったが、お風呂はわかすものだと知ったとき、そして当然のことながら、入る順番が遅くなるとお湯はぬるくなるわ、そもそもお湯がないわ、という事態になってしまうこと、それらをリアルに体験した時、けっこうびっくりした。

諏訪のどぶには温泉が流れ込むので水温が高く、家庭の水槽から逃げたのであろうグッピーが繁殖してたりもした。

学校にも温泉がきているから、掃除の時の雑巾がけにはお湯を使うことができた。お湯汲み場までバケツでお湯を取りに行くのは大変だったが。

前置きが長くなりました。
実は勤め先の会社にも温泉が引いてあり、いくつかの流し台ではお湯が出ます。そして、会社の中に張り紙がでました。そこには、湯たんぽの使用を認めること、湯たんぽのお湯には温泉のお湯を使うように、ということが書いてあったのです。
おお、さすが諏訪の会社、と思いました。

実はエネルギー消費の内訳をみると、温かさや熱を必要とするために使うエネルギーがかなり多いです。熱量を持ったものは、熱エネルギーとしてそのまま使うことが理想です。それを電気に変換し、その電気からまた熱を作り出すなどというのは無駄の積み重ねになります。

その点で、天然の恵みである温泉をありとあらゆることにつかうのは、まさに人間のアイデアの出しどころ、知恵の使いどころです。

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2012年1月 5日 (木)

子どもたちの未来のために知っておいてほしい… 太陽光エネルギー&風力発電の問題について  山田征さんのお話しを聞く会

市民活動仲間から、以下の情報拡散を頼まれたので、ぼくのブログでも掲載します。
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子どもたちの未来のために知っておいてほしい…
太陽光エネルギー&風力発電の問題について 
山田征さんのお話しを聞く会

1/14(土) 13時~16時 申込不要
会場=パレア松本・女性センター(長野県松本市Mウイング3階ネットワーク室)

なるべく公共交通機関をご利用ください
資料代500円(お茶&お菓子付)

ママパパ子連れ歓迎!※託児はありません(ごめんなさい)


●山田征さんプロフィール

東京・三鷹在住の主婦 30代のころから給食食材改善運動を始め、子どもが平和に暮らすため、環境問題や原発の問題に取り組んでいらっしゃる方です。著書に「ひとりNGO」(現代書館)※NGO=なんでもやっちゃう(N)グレート(G)おばさん(O)のこと
●このお話会について3.11の原発事故以来、子どもたちを放射能から守るために「知る」「学ぶ」「実行する」ことを大切にしたいというママたちが集まって立ち上がった「松本あかつぶ会」主催。(松本市後援)

※「あかつぶ」とは、目に見えない、匂いもない放射能を「赤いつぶつぶ」に「可視化」した絵を、原発事故以降毎日画いていらっしゃるイラストレーター柚木ミサトさんの絵から名付けられました。インターネットやツイッター上で、全国のママたちから賛同や共感を得ている「ママ運動」です。今では、あかつぶの絵展や、あかつぶグッズなど、絵以外にも展開しています。http://www.mikanblog.com/

●1/14についてのお問い合せはパレア松本 女性センター

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大人とは、子どもとは

人の考えや言動を評するときに、「大人」とか「子ども」という単語とともに評することがよくある。
例えば、「大人の対応」、「子どもっぽい考え方」、「子どもじみた行い」などなど。

たいていの場合、大人がよくて、子どもはまだまだ、そんなニュアンスだろうか。

大人の対応、ってのは微妙だな。トラブルを避ける、そんな対応だろうか。よい意味での大人の対応という場合もあるだろうし、目をそらし口を閉ざして対応するような場合にも使っているだろう。

だが、このごろよく思う
大人はそんなにえらいだろうか。
子どもの考えは、とるに足らないものであり、てきとーに(いい加減にという意味)あしらっておけばよい、そんなものなのだろうか。

大人や子どもという単語にこだわっているわけではない。
子どもの頃の考え方をあなどりたくはないし、むしろ本質を突いた考えをしている場合が多いと思う。そして豊かな発想や、ユニークかつ鋭い観察眼。
大人だからこその寛大さや包容力。多様なものを認める力。
いや、こう書いたが、寛大さも包容力もむしろ子どものほうが持っているかもしれない。多様なものを障壁なく受け入れる力も持っていそうだ。まあ言いたかったのは、年の功、みたいなものだ。経験を積んだからこそという部分はきっとあるに違いない。

ごちゃごちゃ書いたが、自分だけが正しいなどということはありえないし、他人に自分の考えを一方的に押しつけてもうまくいくわけがない。ところがそういうことをつい忘れがちになってしまう、それに気をつけたいということだ。

特に3.11以降の社会では、価値観を問われる場面が多い。そんなときこそ、多様な価値観があることを忘れてはいけない。
ただし、全体の大きな方向性としてはこういう価値観で行こうよ、そういった着地点へ向けて議論する、それは大切なことであり、ただ多様性があることを認めていればよいわけではない。多様であることを前提として対話を重ね、あっちでもこっちでもない、この道を作っていくことをやっていきたい。

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2012年1月 4日 (水)

よく働いてくれた。

この年末年始、出汁をとるために鰹節を削った。かなりの量だった。
削って、出汁をとる。手間はかかるが、それに応えてくれる楽しさもある。削った鰹節に熱湯を注いだ時に立ち上るあの香り、ほんのり色づきあくまでも澄んだ出汁。嗅覚と視覚を満足してくれる。

それに、鰹節を削るのも、それほどの手間ではない。ぼくはそう思っている。
その時に肝心なのは、削り器がちゃんと削れる状態にあるかってことだ。
切れる刃と、刃の出し具合の調整、この2点がポイントだと思う。

年末年始の休みも今日で終わり、
この休日のあいだ、大活躍してくれたことへのお礼も込めて、削り器の刃を研いだ。


Photo

これは研ぎ終わった刃の写真。
刃が真っすぐであるように注意して研いだ。

Photo_2

こちらは研ぎ終わった刃を削り器につけて、刃の出具合を調整したところ。
試しに削ってみると、やはり、研ぐ前とは削れ味、削れる時の音が違った。

やはり、こまめなメンテナンス。これが大切なことだ。

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2012年1月 3日 (火)

青森県を注視しよう

昨年暮れの話だが。

12月27日、青森県の三村知事は県内の原発関連施設の緊急安全対策について、安全であると了解したそうだ。これによって、青森県の各施設が試験や工事の再開準備に入る。
具体的には次の3つだ。
・六ケ所の再処理工場試運転
・大間原発の建設
・むつ市の使用済み核燃料中間貯蔵施設の工事再開

そもそも、仕事納めをひかえた時期に了承することが許しがたい。世間が年末年始のお祭りムードに突入するところでのこの対応。多くのひとに気づかれないうちにやってしまえ、おおかたそんなところだろう。

しかも、各施設での試験や工事再開を実際に行うかどうかは、各事業者の判断に任せるのだそうだ。つまり青森県は緊急安全対策の内容についてのみ判断し、試験や工事の是非については判断を示さないということらしい。

もしこれが本当だとすると、県は責任を放棄したといえるだろう。
原発が、市民の命や安全に深くかかわっていることがこれほどまでに明らかになっているにもかかわらず。何の判断も示さないとはどういうことなのだろう。県民の安全を確保するという責任を放棄したことになるだろう。

まずは青森県と各事業者の動きを注視したい。
そして、あちこちでこの問題を取り上げよう。
注視して、中止させよう。

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2012年1月 2日 (月)

思い込みの酸辣湯

酸辣湯(サンラータン)が好きです。

酸っぱいものが好き。
辛いものが好き。
中華が好き。


となれば、酸辣湯は最強の組み合わせと言ってもよさそうですね。
ええ、言われるまでもなく酸辣湯が好きです。

ところが、なぜか酸辣湯を自分で作ったことがありませんでした。
なんとなく、お店で注文する料理であって自分では作らない(作れない)料理のように思い込んでしまっていたみたいです。

でも、その状況が変わりました。
先日、友だちと話をしていたら、その友だちもサンラータンが大好き。ぼくよりも好きだろうと思います。
その友だちが言うには、サンラータンはよく自分で作って食べているとのこと。
言われてみれば、なあんだ、です。
中華スープに酢と辣油を足せば、基本的には酸辣湯の味になります。あとは片栗粉でとろみをつけ、溶き卵を流しいれれば完成です。

どうして今まで自分で作ることを考えなかったのだろう?不思議だ。
やはり思い込みですね。何となくではあるものの、自分で作るものではないと思い込んでいました。
酸辣湯
暮れにゆで豚を作ったのですが、肉をゆでるのに使った汁をとっておいて、これで酸辣湯を作ってみました。
味を確かめながら、少しずつ酢を加えます。辛味にはコショウと辣油を使いました。
玉ねぎや白菜、ニンジンなど野菜もたっぷり加えました。

出来上がり?味?まあ及第点というものでしょう。

工夫すればいろいろとバリエーションも楽しめそうですし、冬には体も温まるので、これからは酸辣湯の登場機会が増えそう。
思い込みの結果として、手がけてみたり体験してなかったりするものは多いのだろうと思いました。

ちなみに次の写真は、12月に銀座をぶらぶらした時に、昼食を食べに入った紅虎餃子房の酸辣湯麺です。

Photo_2


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2012年1月 1日 (日)

2回目の正月

むろん、ぼくの生涯でこれが2回目の正月であるわけがいない。

ただ、新しいパターンで迎える正月としては2回目だ。
かつて暮れと正月、少なくとも大晦日から元旦は実家で過ごした。
だが母が亡くなり、父が亡くなり、実家に住む人がいなくなり、その習慣もなくなった。
暮れから正月、ずっと自宅にいる。
昨年がその初回だった。こんな元旦だった。

今日は、何かを始めては別のことが気になり、そっちに手をつけてはまた別のことに、そんな感じだった。
そして何より、何かを食べる量、回数、ともに多い。これが目下の心配ごと。

明日は少し集中して、1月に進めるべき会議の構想を練る予定。
なかなか、こんな時間はないのだから、大切にしないとね。

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2012年の始まり

今日から2012年。

先日のブログで年賀状について書きました。
今日のブログはその年賀状を紹介し、このブログを読んでくださったみなさんへのメッセージとさせてください。


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