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2012年2月

2012年2月29日 (水)

2月29日

今日は4年に1回やってくる2月29日だ。
4年に1回は存在するのだから、ものすごく珍しいわけでもないが、やはり日付を見ると見慣れない感じがしてしまう。

今日が29日であることとは、まったく関係ないが、今日の雪はなかなかやっかいな雪だった。
会社の同僚は朝6時半に出発したにもかかわらず、会社に到着したのは8時半を過ぎていた。いたるところで事故が起きていたそうだ。
ぼくは昼から外出だったが、これがまた大変だった。歩いて30分ちょっとかかる場所までの外出だったが、歩道は雪かきがしてなくて、しかも気温がゆるんだので、積もった雪がぐしゃぐしゃ。雪が堤防となって、いたるところが水没状態となっていた。スノトレをはいていたが、靴の中までしっかり濡れてしまった。ぐっしょりだった。
さらに車道も水たまり、シャーベットだまりだらけ。ほとんどの車は徐行してくれたが、たまに、はねを飛ばしてくれる車がいてえらい目にあった。シャーペットの塊を全身に浴びてしまった。

さんざんな外出だったが、雪がこんな状態になってしまうのも、春が近いということだろう。

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2012年2月28日 (火)

授業を前に

昨年の11月、教育懇談会という集まりで講演させてもらったことがある。
その時のことはブログにも書いた。
松本、塩尻地区の、小・中・高の先生方の集まりだった。

講演を終え帰ろうとするときいくつかの学校の先生方から、自分の学校でも話をしてもらえないか、とお声がけいただいた。そのうちのひとつ、塩尻市の洗馬小学校で、環境の授業をさせてもらうことになった。
5年生を対象にした授業で、2時限分を使うことができる。

確かめたところ、環境問題については四大公害病を少し学んだ程度だとのこと。
地球規模の環境問題についてはまだ何も手がけていないそうだ。

ということは、まずそこのところの話から始めないといけないわけだ。

授業は明後日の朝。もうあと一日しかないが、まだあれこれ考え、悩んでいる。
考え、悩むことが楽しい。
なぜなら、限られた時間の中で、かなり本質的な話をすることになりそうだから。それにはどんな組み立てで話を展開するのがよいのか、どんな事実を伝えればよいのか、なかなかよい頭のトレーニングになる。

子どもたちに絶望を感じさせてはならない。自分で考えることの必要性や重要性も感じてほしい。

そして、とにかく、わかりやすく。

ぼくのささやかな希望としては、その日、家に帰った子どもが家族に「今日、学校でこんなことを聞いたよ。それでね、こんなことを思ったよ」と話してくれるようだったら最高だ。

と、そんな期待も抱きつつ、ちょっとした夢も描きながら、もうちょっと考えてみよう。

子どもがわかる話だったら、大人にもわかるはずだから。

PS
実は、子どもだから理解できる、大人は理解できない、理解しようとしない、これもまた現実だとは思っている。

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2012年2月27日 (月)

もっとエコ生活「山川草木悉有仏性」

「山川草木悉有仏性」

「さんせんそうもくしつうぶっしょう」と読む。日本仏教に出てくる言葉だが出典はわかっていない。似た言葉には「山川草木悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」や「草木國土(こくど)悉皆成仏」などがある。

厳密な解釈はさておきいずれの言葉とも、山や川といった国土にも、草や木にも悉(ことごと)く仏となる性質があると教える。だから、なにものも粗末にしてはいけないという思想だ。

自然は時として過酷で人の想定を超える振る舞いをする。それでも日本人は自然を征服する対象とは考えず、命あり心あるものとして敬い共存してきた。この自然観は大切だ。人もまた自然の一部、自然に頼らねば生きられない。頼るべき自然を汚し傷つけていては頼ることができない。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年4月20日掲載)

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2012年2月26日 (日)

選択の連続

人生は選択の連続。
ぼくは講演の時に、たまにそんなことを言う。

どんなイメージを持っているかというと、これだ。
Photo

スタート地点から出発し、まず右か左かを選ぶ。
次の分岐点でまた右か左かを選ぶ。以下、続く...

とこれを積み重ねていくと、選択のたびにどう選んでいったかで、到達地点はかなり異なっていくように思う。
この図で言えばA地点とB地点だ。

言いたいのは、その時、その時では些細な違いでも、常にある傾向を持った行動や思考、つまりは指向性を持っていれば、それが積み重なることで、けっこう違う状況が生まれるってことだ。

その指向性とは、その人の生き方にもかかわってくるものだと思う。

人生はこの図のようには単純なものではないだろうが、でも、あながち外れていないだろうと思っている。

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2012年2月25日 (土)

「消費は社会を変える、未来をつくる」

今日は隣の村、山形村の環境活動グループ主催の講演会に招いていただき、講師をつとめた。
テーマは「消費と環境問題」。
サブテーマを「消費は社会を変える、未来をつくる」とした。

この講演会にはちょうど4年前にも招いていただき、その時は地球温暖化問題を中心に、ごみに関する話題を取り上げた。

消費。
広辞苑によれば、このように定義されている。
①費やしてなくすること。つかいつくすこと。費消。
②欲望の直接・間接の充足のために財・サービスを消耗する行為。生産と裏表の関係をなす経済現象。
うわっ、消費をする限り、環境問題なんて解決しそうもないよなあ、などと思ってしまうくらいの身もふたもないような定義だが、ぼくたちの暮らしは消費なしには成り立たない。
だからこそ冒頭のようなタイトルをつけた。
希望を持ちたいからね。

むろん、どんどん消費することが未来をつくるわけではない。どのように消費するのか、ということが問題だ。
そもそも、最近は短絡的に答を求めることが多すぎる。
「○○には何をすればよいですか?」
そんなもの、ひと言で答えられるようなものなど簡単にあるわけがない。どのようにやるのかが問題だ。
それそのものが良かったり、悪かったりなどとういうものは、そうそうあるわけではない。
薬だって、一歩間違えば毒だ。

あれ?
前置きが長くなってしまった。

話の内容としては、つまりのところ、やり方次第という話、常識と思っていたことを疑おうという話、この2つだ。
そういうことを考えるヒントになる事例をいくつか紹介した。そのうちの一つでも、今日の参加者にとってのおみやげになっていればよいのだが。

会場には、見知った顔もあった。聞けば、ぼくが話すと言うことでわざわざ来てくれたようす。
ありがたいことだ。
「あなたのしていること、気にかけていますよ」「どんなことしているか、知っていますよ」
こんなことが感じられる瞬間はうれしいものだ。
自分がうれしくなるのだから、他の人にもそうでありたい、そんなことにもあらためて気づいた講演会だった。

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2012年2月24日 (金)

「かもしれません」

このごろテレビを見ていて気になることがある。

そもそもテレビはあまり見ないし、見るのはほとんどがNHKのニュース・報道系の番組だ。
その限られた状況の中だけで感じていることなので、そういった傾向が本当に存在しているのかどうかは定かでないが、アナウンサーやキャスターがたびたび口にする言葉で、とても気になる言葉がある。

「かもしれません」

何かコメントめいたものを発言すると、決まり文句のように、最後はこれだ。
特に、夜9時からの「ニュースウォッチ9」のキャスターは、この言葉しか知らないのだろうか?と思ってしまうほどに、よく使っているように思えてならない。

断定的なことは言えない。これはそのとおりだ。
だが、「○○になる”かもしれません”」では、「○○にならない”かもしれません”」と同じであり、いったいどっちなんだ?と思う。

断定的なことを言えない状況ならば、単に事実だけを述べればよいと思う。
そうでなければ、これから起こる可能性のある事象をただ羅列するだけでよい。
妙に思わせぶりというか、何か批判めいた表現を口にし、何か考えていますよ、みたいなポーズを示す時、よく使われているように思えてならない、「かもしれません」。

「かもしれません」は逃げ場を確保するための言葉だと思う。
ぼくも会社の仕事では、社外に情報発信したり、社外からの問い合わせを受けて回答を用意する仕事をしたことがあるので、逃げ場を作っておきたくなるのはよくわかる。
だが、逃げ場の作り方というのは、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という発信をすることではなく、自分はこういう情報にもとづき、このように分析し、その結果こう考えるに至ったというものを用意しておくことだと思う。

「かもしれません」で逃げ場を作り、コメントめいたものを発してよしとするその姿勢が、本来マスコミが果たすべき役割を果たさなくなってきていることの象徴のひとつだ。

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2012年2月23日 (木)

3つの約束、声なき声に耳を傾ける

先日のブログで3つの約束について言及した。
今夜は、まだきちんと書いてなかった「3.声なき声に耳を傾ける」について書いてみよう。

自然エネルギーネットまつもとの立ち上げに際して、3つの約束をかかげた。どれも大切なことだ。
どれも大切なのだが、よくよく考えてみると、この自然エネルギーネットまつもとの意義として最も大切なことはこの「声なき声に耳を傾ける」ということだと思う。

ぼくはこのことをぼんやりとは考えていた。でもはっきりと気づかせてくれたのは、大切な友だ。ありがたいことだ。
設立総会の時に、できれば集まった人たちが互いを知り合えればと思っていた。何か自己紹介のようなものができればと思った。だが時間も短い。どうしよう?
どちらからと言えば、手法のことで悩んでいた。
そのことを友だちに相談した。
するとその友だちは「自己紹介をしたくない人もいるんだよ」と教えてくれた。自己紹介は、知らない人同士を知り合わせるために行う行為だ。つまり、自分の知らない人の前で、初対面の人に対して、いきなり、それも自分の抱負だとか希望だとか、内面に関わるようなことを話すことになってしまう。見ず知らずの人に、そういうことを話すことに大きなためらいや負担を感じる人がいる、それも少なからずいる、と教えてくれた。
自分の気持ちをふるい立たせて参加した人がいたとして、もし望まぬ自己紹介をしたら、そのことがきっかけになって会へのさらなる参加をためらうかもしれない。

さらに、そういう人たちこそ大切にしたい、とも教えてくれた。自己紹介にためらいを感じる人たちも、今のままの社会ではだめだ、変えたい、そういう気持ちは持っている。でもどうしたらよいのかわからなかったり、その気持ちを人に伝えるすべを知らなかったり、気持ちと行動とがなかなか一致しない、でも何とかしたいし、何かしたいと思っている。
実はそんな人がかなりいるのではないか。

気持ちはあるけど、次の一歩、いや半歩かもしれない、そこをためらったり、どちらへ踏み出したりしたらよいか迷っているのなら、そこに寄りそい、大丈夫だよ、と踏み出す気持ちになるような場を作っていくことが大切なのでは。
そんなことを友は教えてくれた。

そう。
もともと呼びかけに応じて集まってくる人たちは、つまりはどんどんやる人たち。極端な言い方をすれば、放っておいても、自分で何とかするだろう。
お互いを知らない、と聞けば、「じゃあ、自己紹介だ」と疑いもなく考えてしまいがちだ。
一見あたりまえのようなことにこそ、人を遠ざけてしまうものが隠れていることがある。そのことに気がついた。

為政者や権力者は、無言なのは自分たちを支持していることだと勝手に解釈する。
そんなことを続けさせてはならない。
そのためにも、声なき声を大切にしなければ。

自然エネルギーネットまつもとは、よい社会にするために、ごくごく普通の人たちが、当り前のように未来について語る、そんな場となっていけばよいのだ。そうしよう。
でも、大切なことを教えてくれる友がいなければ、ついつい少数の、いわゆる前向きな人たちだけの発想で進めてしまっていただろうと思う。
だからこそありがたかった。

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2012年2月22日 (水)

懐かしい光景

仕事を終えての帰宅途上、懐かしい光景に出くわした。

電車の中のことだ。
ぼくはドア脇の2人掛け座席に座っていた。通路をはさんで向かいの座席の2人は文庫本を読んでいる。
ふと横をみると、ぼくの隣に座った人もまた文庫本読書中だ。
へえ~
と思い、まわりを見回すと、他にも本を読んでいる人がちらほらいる。
その他はと言えば、寝ている人が多い。みんな疲れているんだなあ~、ご苦労さまです。

なぜ、へえ~と思ったか?
携帯をのぞき込んでいる人がいないのだ。ざっと見渡したかぎり、一人か二人はいたかもしれないが、その時、ぼくが見渡した時点ではいなかったと思う。

まるで10年か、20年前。携帯が普及する前の時代に戻ったような気がした。
どこかほっとした気分がした。

携帯のことを悪くいうつもりはない。
単に、懐かしさを感じる光景だと思っただけだ。これだけ携帯が普及していると、本当に珍しい光景と言ってよいだろうから。

こんなこともあるのだなあ。

電車の中では、時々、思いもしない場面に出くわすことがある。
昨日の朝もそんなことがあった。

世の中、いろいろあって、面白い。

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2012年2月21日 (火)

20120221

今日のタイトル、特に深い意味はありません。
何を書こうかなあってカレンダーを眺めていたら、なんとなく数字の並びが面白くなって。
0と1と2、なんとなくリズムがあるようなないような並び。

と、それはよいのだが、気がつけばもう2月も下旬に突入。
これで2月が終われば、今年の6分の1がもう終わり。
早いものです。

ここのところ、いくつもの集まりで、仲間からリーダーとしての役割を期待され、ぼくもそれを受けとめやっています。
忙しければよいというものではないけれど、ありがたいことです。
みんな、社会をよくしたい、未来のために何とかしたい、そう思っている人たち。
その人たちから、先導役をやってくれと、認められる。
よくよく考えれば、ほんとうにありがたいこと。
ありがたいと思うのがあたりまえ、のようなことですが、あらためてそんなことを思いました。
そして、必ず支えてくれる人がいる。そのことに心から感謝しています。

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2012年2月20日 (月)

もっとエコ生活「太陽エネルギー」

「太陽エネルギー」

太陽から地球に降り注ぐエネルギーは膨大だ。その量は、人間が必要とするエネルギーの1万倍にものぼると言われる。

自然エネルギーは太陽から生み出される。太陽光発電や太陽熱利用は当然として、風力や水力もだ。大気に温度差が生じると風が吹く。温度差は太陽が作る。太陽熱で水は蒸発し上空で冷え雨や雪となり水力として利用できる。バイオマスは光合成で作られ、まさに太陽の産物だ。

自然界は太陽だけをエネルギー源とし、食う食われるしくみのもと、命と物質の循環を続けてきた。その永続性は長い歴史が実証している。人類が持ち込んだ化石燃料やウランは自然界で共存できるのか?答はわからないし、わかった時には遅いかもしれない。太陽の恵みをもっと活用することは有力な選択だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年4月13日掲載)

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2012年2月19日 (日)

メモリアルデー

3月11日が近づいてきた。

あれから一年。この日に、脱原発・反原発のデモや集会など、いろいろな企画の情報が入ってくる。
参加の呼びかけもよく見聞きする。

3月11日のことを考えると本当に心が痛む。
地震と津波。原発人災がなかったとしても、あまりにもむごい天災だった。
そして、原発。
放出した放射性物質のせいで、不明者を捜索すべきときにできなくなってしまった。こんなにむごいことがあってよいのだろうか。

ほかにもいろいろあるが、3月11日は鎮魂の日だ。今までの社会、現在、これからのこと、よくよく考えてみよう。

この日は特別な日であるとともに、ぼくはあまり特別視したくない気持ちがある。
この日に向けてあまりイベントのようなもので気合いを入れていく気にあまりならない。
世の中をみると、何と言うのだろう、一種の盛り上がりのようなものがあるが。

その一日のために力を入れるのではなく、日々に力を入れたい。
ぼくはそう考えている。

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2012年2月18日 (土)

可能性ってなんだろう?

可能性について考えてみた。
可能性だから、可能性か。何でもアリ、身もふたもない言い方だが、けっこうそんなものかもしれない。

可能性の仲間は「発見」かもしれない。
なにかのきっかけで、あるいは体験や経験で、発見することがある。
その発見は可能性の種だ。

その種を見過ごすことなく、無視することなく、育ててみる。
その種がどこまで、どんなものに育つのか、それも気になるが、ともかく種を見つけ育てようとしてみる。

とすれば「好奇心」も仲間に入ってくるな。

可能性を信じなければ、社会だって、なんだって、変わっていかないからね。

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寒さと雪と。

毎日寒い日が続く。雪もよく降る。
春が来るのだろうか?とも思ってしまう。

これだけ寒いと、屋外はきつい。
じっとしていたら凍りつきそうだし、多少体を動かす程度では焼け石に水。いや、焼け石があればあたたかくてありがたいのだが。ともかく、体がこわばりまくっている。

風が気持ちいい季節が恋しい。

などと言いながら、これで暑くなってくると、また「ひんやりした、痛みを感じるくらいの冷気が懐かしい」とか言い出すのだろうけどね。

それにしても、気象が両極端になってきている。極寒か、酷暑。ほんとうに気持ちのよい季節はわずかしかない。季節とも呼べない、ほんとうにわずかだ。

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2012年2月17日 (金)

3つの約束、3.11があってもなくても

昨日のブログの続き。

3.11があってもなくても、やるべきこと。
エネルギーについて考えること。ぼくらはほんとうに、どれだけのエネルギーを必要とするのか、どのような素姓のエネルギーを使えばよいのか、そういったことを考えていけば、おそらく自然エネルギーという選択をするようになると思う。
自然エネルギーへの関心は、3.11の原発人災以降、急激に高まっている。
しかし、3.11があったからやる、原発が止まると電気が足りなくなるからやる、そういうものではないはずだ。
3.11のことは大きな加速要因だ。
だが、本来、原発人災がなくても、考えなければいけなかったことなのだ。
ここはよく心しておく必要がある。

原発がなくなると電気が足りなくなると脅かされ(実は足りなくなどならない)、じゃあ代わりのエネルギーは?と代替のエネルギーを探すようなことであるなら、それは原発を推進してきた姿と変わらない。

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2012年2月16日 (木)

3つの約束、これが肝心

昨日の「自然エネルギーネットまつもと」設立総会、ぼくは代表として少し話をさせてもらった。
この集まりで大切にしていきたいと思っていることを話した。3つの大切なこと。言わば、3つの約束だ。

1.自然エネルギーありきではない。
2.3.11があってもなくても、やるべきこと。
3.声なき声に耳を傾ける。

ぼくらはどんな社会を作っていきたいのか、どんな松本地域を望むのか。未来世代にとって、どんな社会であればよいのか。まずそれを考えたい。
それを考えて、その社会ではどんな素姓のエネルギーがよいのか、そもそもどのくらいの量のエネルギーが必要なのか、そこを議論してみようじゃないか。
その議論を通じて、自然エネルギーの役割や意義を明確にしていきたい。
やみくもに自然エネルギーに走ってしまったのでは、原発を進めてきた人たちと、そう大きな違いはないことになってしまう。
そう考えています。

これが、1.の持つ意味。

2.と3.については、明日、書きます。

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2012年2月15日 (水)

自然エネルギーネットまつもと、スタート!

今夜は”自然エネルギーネットまつもと”設立総会。
多少の緊張、大いなる期待とともに、会議開始を待った。
ぼくは議長役だ。

結論から言えば、設立を出席者で確認し、スタートを切ることができた。

会議は1時間半、当初の予想というか目論見では、本来の議事は早目に終え、別メニューを残り時間にあてることを考えていたが、想定以上に議事に時間を要し、予定終了時刻を守るのが精いっぱいだった。

かなり多くの質問や意見が出て、ありがたいことだったが、やや言葉や表現の意味・定義といった部分での議論に時間をとり、出席してくださった多くの方々の関心に応えることができただろうかと、やや不安も残っている。

何はともあれスタートだ。などと、ホッとはしてられない。
具体的に何をどのようにやっていくのか、その議論を始めないと。

そう、大事なことを書き忘れた。
ぼくが代表として認めていただけた。

代表として、ていねいに議論を積み重ねていくことを約束した。
目に見える成果はすぐには出ないかもしれないが、長い目で見てほしいとも言った。

これからの議論こそ本番だ。
参加者もぐっと増えた。
その中で、参加する人たちの集中力を切らさないようにしつつ、丁寧に議論を行う。
ぼくにとっては未知の領域だ。

どうなるのだろう?
いや、きっとできる。きっと助けてくれる人たちがいる。
だって、みんなでやっていくからネットワークなのだから。
ネットワークの力を信じよう。

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2012年2月14日 (火)

もっとエコ生活「プルサーマル

「プルサーマル」

原子力発電(原発)のひとつの方式。プルトニウムを熱(サーマル)中性子炉で使うことから名付けた和製英語だ。原発の燃料、通常はウラン。核分裂によりウランから生じるプルトニウムを集め、ウランと混ぜ MOX 燃料を作り原発で使う、これがプルサーマルだ。

プルトニウムは半減期が2万4千年、実質、半永久的に放射線を出し続け、化学的にも有毒だ。核兵器の原料にもなる。

政府や電力会社はプルサーマルを進めている。福島第一原発3号機は昨年10月からプルサーマル運転を始め、中部電力の浜岡原発でもプルサーマルを実施予定だ。食べ物の産地や作り方を気にする人は多い。電気についての関心はどうだろう?コンセントの向こうで何をやっているか、何が起きるのか、それを知ることが肝心だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年4月6日掲載)

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2012年2月13日 (月)

効率のわな

昨日のバウムクーヘン作りの時の話。

240個の卵、薄力粉を3キログラム、ホットケーキミックスも3キログラム、さらに6キログラムのバターと、12キログラムの砂糖を混ぜ合わせていたときのことだ。
ターナーを使って手で混ぜたのだが、けっこう大変だった。
すると、「バーミックスを持ってくればよかったね」という声があがった。バーミックスとは電動かき混ぜ器。
たしかにそうだ。疲れることもなく、短時間でささっときれいにできてしまうだろう。
でもその場では「こうやって手で苦労したほうが面白いよね」、そんな結論だった。
ついつい効率を追求してしまうが、効率を追求することで見失うものもありそうだ。

効率を追求することは悪いことではない。
わざわざ無駄なことをする必要もないだろう、たぶん。
でも、効率を追求するのがあたりまえだと思い込んでしまうのは大いなる危険をはらんでいると思う。

ぼくらはここで「自然エネルギーネットまつもと」を立ち上げる。明後日15日の晩は設立総会だ。

これから会をどうやって運営していこうか考えている。
その時、気をつけようと思っていることがある。
効率を追い求め過ぎないようにしよう、成果を焦らないようにしようということだ。

会員みんなの相互理解が大切、じゃあ自己紹介しましょう。とやってしまってはいけない。
会が立ち上がった時、まわりを見わたしても知らない人だらけだろう。
その中で自己紹介、ある意味、自分の一部をさらけ出すことは、それを苦痛と感じる人もいる。そういった想像力が必要だと思う。
じゃあ、自己紹介せずにどうやって見知らぬ人と理解を深めていくの?と聞かれるだろう。
ある段階では自己紹介も必要だ。多少はお互いの顔が認識できるようになれば、見知らぬ人のまえで、自分の一部を見せていくこともさほど苦痛にはならなくなっていくだろう。

例えばそういったことに気を配りたい。

どんどん活動する人からすれば、「どうしてこんなことを気にするの」みたいなのがあるかもしれない。でも、これから、ぼくらが仲間になってほしいのは、あまり声をあげない人たちなのだ。声をあげない、あるいはあげかたがわからない。
声が上がらないから、その存在に気がつきにくいが、実は大きな集団。
大切にしたい集団だと思っている。

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2012年2月12日 (日)

巨大バウムクーヘン

今日は会社の仕事でした。
仕事といっても、いつもの仕事ではなく、イベントの開催。
今日は諏訪の神宮寺で、木工教室と巨大バウムクーヘンづくりをやりました。

巨大バウムクーヘン。
出来上がりはこれです。
Photo

「どこが巨大なの?」と問う向きもありそうですが、質問は却下です。
「巨大バウムクーヘン」を作るよ~!と人を集めたわけなので、そう言ったからには、これが巨大バウムクーヘンなのです。

作り方とか、どんな様子だったかとか、あらためて紹介したいと思いますが、作っているときは けっこう盛り上がって、みなさん、楽しそうにやっていました。

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2012年2月11日 (土)

常識や思い込みを再点検

自然エネルギーネットまつもとの設立総会も近づいた。少しどきどきだ。

この集まりでこれからいろいろな話し合いや活動をしていく。
その時に気をつけたいと思っていることがある。

それは、どんな人たちを意識するのかってことだ。例えばこの自然エネルギーネットまつもとへの入会案内に対して応募してくださる方たちは、すでに意識はあり、関心も持っている。
極端な言い方をしてしまえば、その方たちを相手にしなくても、その方たちはたぶん自分や、すでに持っている自分の仲間たちとなんとかしてしまうはずだ。

そうではない人々。その人たちが関心を抱き、何かに気づく。気づきが行動を生む。
そうしたいのだ。

それにはどうするか?
あいにくとまだ答は持ちあわせていない。

ただ、今まで常識だと思っていたことを疑ってみることは必要だと思った。
あるいは思い込みがないかどうかと。

市民活動のなかでは常識であり当り前だと思っていることが、実は一般市民に対して垣根をつくってはいないだろうか。そんなことも考えたい。
声なき声を聞き、見えないものを見るようにするには、今まで常識だ、当り前だと思っていたことへの再点検が必要。

今までのやり方でやってきて、結局は多くの市民が無関係なままだとすれば、やはり今までの常識と考えていたもの、そのレベルからの再点検が必要だし、自分もそこを心がけよう。


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2012年2月10日 (金)

もっとエコ生活「電源構成」

「電源構成」

電気は便利だ。電気のおかげで快適な生活を送ることができる。だがそれをどこでどのように作っているのか、私たちは無頓着だ。電力会社では火力、水力、原子力などの電源を使って電気を供給する。どの電源をどう使うのか、電気の素性を表すのが電源構成だ。

常に変化する電力需要に合わせて、最も多く使う時にも不足なく安定的な発電が求められる。そこで各電源の特徴を組み合わせる。原子力は出力調整が苦手なので基本的にフル出力で発電し続ける。火力や水力は出力調整が得意だ。

中部電力の2009年度実績では、液化天然ガス火力が47%、石炭火力が25%、原子力は14%だった。火力は二酸化炭素を出し、原子力は使用済核燃料や廃炉の処理を含め放射性廃棄物の問題が未解決、それぞれ欠点がある。電気の素性を知り、代替のある欠点なのか、致命的な欠点はないのか考えることが肝心だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年3月30日掲載)

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2012年2月 9日 (木)

2月15日

2月15日。

この日はぼくの人生の中でどんな意味を持つようになるのだろうか?
未知なる世界へのおそれと期待とが混じったような気持ちだ。

来週の水曜日、2月15日。自然エネルギーネットまつもとの設立総会日だ。
今日はその日に向けての最後のミーティング、運営会議を開催した。

設立総会に提案する内容の確認、総会の運営など話し合った。
運営委員のみなさんも、だいぶなれてきたようすで活発に意見が出た。よかった。

未知なる世界とはどういうことか。
この集まりの名称に自然エネルギーとあるように、自然エネルギーの普及をめざしていることには間違いない。
だが、「自然エネルギーありき」ではないとも言っている。
そもそもぼくらはどれだけのエネルギーが必要なのか、そのエネルギーはどこからくるのか、幸福感のある社会ではエネルギーをどのように生み出し、使えばよいのだろうか。
そんなことを考えようってわけだ。
つまりは、ぼくらはどんな社会を作りたいのか、どんな社会にしたいのか。それを考えようってことだ。

こんなこと、実は真面目にみんなで話し合ったことがあるだろうか?ないんじゃないかな。
だから、未知なる世界だ。

それにしても話し合いをしていると面白い。
大きな方向性としてはみな同じなのだが、それぞれ得意とするところ、こだわりの部分など、みな違う。だから話が具体的になってくると、いろいろな意見が出てくる。
そうか、そういう考えもあるね。

傍観しているぶんにはよいかもしれないが、ぼくは議長。限られた時間のなかで、話し合うべきことを話し合い、決めるべきことを決める。
なるべくみんなに言いたいことを言わせたうえで結論を出す。
なかなか難しいが、うまく話し合いができれば達成感がある。

2月15日は、より多くの人に、考えるべきことを考えようと呼びかけ
地に足のついた社会をつくっていくスタートを切りたいと思う。

自然エネルギーネットまつもとはこちら

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2012年2月 8日 (水)

もっとエコ生活「原単位と総量」

「原単位と総量」

原単位、「げんたんい」と読むが、なじみのない言葉だろう。ある一定量の結果を得るために投入あるいは排出した物質やお金などの量を表す用語だ。総量は絶対量とも言い、投入・排出したもの全体の量を指す。

これらは身近な製品で考えるとわかりやすい。例えば車、原単位は1㍑の燃料で何㌔㍍走るのか、つまり燃費のことだ。総量は消費する燃料の合計、スタンドでの給油量と考えればよい。テレビなら画面あたりや1台あたりの㍗数が原単位、そのテレビのために支払う電気代が総量だ。

原単位は効率を表す。努力や改良の進み具合を見るにはよい尺度だ。だが燃費がよいからと必要以上に多くの距離を走ったら。省エネ型だからと大画面テレビを買ったり、長時間見るようなことになったら。結局は環境への負荷を増やしてしまう。常に総量を意識することが肝心だ。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2011年3月23日掲載)

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2012年2月 7日 (火)

気づいたことに気づこう

原発がこんなものだとは知らなかった、エネルギーが大変だ。
東京電力の原発事故で、さまざまな気づきを得た人は多い。

その気づきが、脱原発・反原発の流れを作り、人の意識を再生可能エネルギーへと向かわせている。
望ましいことだ。ぜひ、これをもっと広げていきたい。

だがその一方で、「待てよ」という思いが大きい。これでいいのか?その思いが強い。

なぜ、原発とか再生可能エネルギーとか、そのことばかりなのか。

ここのところ寒い日が続き、大雪が降った。ここで一転暖かくなり、雨だ。今まで積もった雪が新たな災害を起こしそうな気配だ。
今までとは大気の流れが変わってきていることを実感する。

この冬の気象が気候変動によるものなのかどうか、それはすぐには立証できないだろう。
だが、気候変動が進むと、このような気象が起きやすいことはすでに報告されている。

気候変動についての気づきはないのだろうか?
生物多様性についての気づきはないのだろうか?

原発の問題に気づいた時、何に気づくのかが重要だと思う。
原発の問題、そのことだけに気づくのか。
いままで気づかなかったことがある、そういうことにも気づくのか。
後者であるなら、「では他にも気づくべきことはないのだろうか?」、そういう考えが浮かんでくるに違いない。
ぜひそういう気づきでありたい。

そして、ずっと前から気候変動やら、生物多様性やら、化学物質やら、酸性雨やら、あれこれ言ってた人たちは、なぜ今まで気づかせることができなかったのか考え、ここで大きな気づきが生まれている現実をとくと見て、何が気づかせる要因なのかを考えてみることが必要だ。

気づけば動く。
だから、気づきは大切なのだ。

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2012年2月 6日 (月)

初心が大切

今、『自然エネルギーネットまつもと』の立ち上げに全力投球中だ。

会員にまではならずとも、できる限り幅広い層、多様な立場の人々がかかわってくれるようにしたいものだと思う。
そもそも会員になる人は、すでに意識があるわけで、会員だけで盛り上がっていてはいけない。

関心のない人々にどう働きかけ、気持ちを未来に向かわせるか、だ。
期待できるという意味も込めれば、女性、特にママさんたちがどう考え、動くようになるか、ここは重要なところ。
どうしたらいいだろう、ということを友だちと話していたら、やはり子どもに危険が迫っていることを知覚させるようなことがよいのでは、と語ってくれた。

そうなのだ。
ぼくの原点は1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故だ。
あの事故のあと、生まれて1歳になったばかりの長男のことが心配で心配で、いろいろな情報を集め、まずは安全な食品を確保しようした。まさに親のエゴだった。そして関心が原発へと向き、なぜこのようなものを進めるのか、その背後にあるものを考えるようになった。
広瀬隆さんの『危ない話』や、甘蔗 珠恵子さんの『 まだ、まにあうのなら』にも感銘をうけた。

そうだ。その時の”初心”、そこをもっと思い出してみるのはよさそうだ。

そんなことを考えながら、もうひとつのことに気がついた。

あのチェルノブイリの時、ぼくと同じように小さな子を持つ父親や母親は数えきれいないほどにいたはずだ。ではその人たちがぼくと同じように心配し、気がつき、考えるようになったかと言えば、決してそうではないように思っている。
別に、自分がえらいとかすごいとか、そういう意味ではない。あの時のパパさん、ママさんは、チェルノブイリの距離を考えると、ほぼみな同じ条件下にあったように思う。だが、異なる対応をしている。
何が違うのかはわからないし、何が原因かもわからないが、ともかく違いは生じた。
このあたりにも、何か課題解決への鍵が転がっていそうな気がした。

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2012年2月 5日 (日)

未知の世界を開く人たち

たいそうなタイトルをつけてしまった。

ぼくたちがふだん食べるもの、いやふだんではないな、特別の機会で食べる場合のほうが多そうだが、よくよく見ると、よくぞこんなものを食べているよなというものがある。
まずは見た目がグロテスクなもの。アンコウとかナマコとか。
次には毒である場合があるもの。フグとかキノコ。
さらに、そのまま食べるものではないが、麹などは、「かびとの違いを説明しろ」と言われも困るくらいに、よく見ればかびそのものにも見える。

こういったものを、ぼくらは「おいしい、おいしい」と食べるわけだが、最初にこれらが食べることができる、毒ではない、ということを発見した人たちはすごいと思う。

未知のものは、なかなか口に入れることはできないと思う。

どうやって、これが「食べ物だ、しかもうまい」と見つけていったのか、興味深い。

そして、最初はみなが遠巻きにしていたものが、食えてうまい、とわかれば、わっと群がってくる。

自然エネルギーも似たようなものかもしれない。
だれか、それも身近な人が、「ほら、こうやればいいんだよ」と見せる。
そうすれば、それを見ていた人から人へと情報が拡散し、自分もやろうという人が出てくるはずだ。

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2012年2月 4日 (土)

答はすぐには見つからない、まずは自分の頭で

日本の原発54基。いまやそのうち3基だけが運転中。電気は足りている。
しかし、原発がないと電気が足りなくなると思い込んでいる人は多いだろうと感じている。
無理もない。そのように刷り込んできたわけだから。

そうなると、電気が足りないどうしよう?という発想になりがちだ。
足りない電気をどうしよう?原発は放射能がこわいし...で、自然エネに注目が集まる。

しかし、自然エネルギーだからよい、自然エネルギーなら大丈夫。
そういうことではないと思う。
まっとうなエネルギーとなる素質を持っているのが自然エネルギー、だからこれを選ぶ、そういうことだろう。

が、素質を持っているだけだから育て方が肝要だ。育て方次第、使い方次第。
自然エネルギーは万能ではないこと、問題も抱えていることも十分に承知しておくことが大切だ。

そして、答をすぐに見つけようとしないこと。答をすぐに欲しがらないこと。
これもまた重要なことだ。

ぼくらは過ぐに答を知りたがる傾向があります。せめて3~5年間ぐらいのスパンで考えたいものだ。
そして、もう一つ。自分で考えること。自分の頭で考えたい。

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2012年2月 3日 (金)

もっとエコ生活「プラ製容器包装」

「プラ製容器包装」

どうしてこんなにゴミがたまるのか?昔に比べ格段に増えたと感じる人も多いだろう。家庭ゴミは1980年代に急増した。その要因のひとつはプラスチック製容器包装(以下、容器プラ)。容積比で家庭ゴミの6割を占める。

最近は多くの自治体で容器プラを分別回収しリサイクルする。だが容器プラの処理には1㌧あたり5万円以上かかる。ガラスやペットボトルのリサイクルは同1万円以下だ。容器プラはいろいろな種類のプラスチックが混ざっているためリサイクルが難しく処理コストがかかる。

科学的に分析すると材料へのリサイクルが必ずしも環境負荷を減らすとは言えない。燃やして熱エネルギーを活用したほうがよい場合もある。単にリサイクルすればよいわけではない。ゴミの量を減らすことが肝心。買う時、何かを使う時、最後には何がどれだけゴミになるのかよく考えたい。

(市民タイムス もっとエコ生活より、2010年11月24日掲載)

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2012年2月 2日 (木)

メタンハイドレートに手をつけるな

今夜のNHKでメタンハイドレートのことを報道していた。
メタンハイドレートの解説はこちら

やれ将来有望だの、国産エネルギーだの、これで国際的な地位も確保できるのだの、浮かれているとしか言いようがない。
NHKの大越キャスターもニコニコとうれしそうに。そんなにうれしいのかなあ。ぼくは悲しい。

メタンハイドレートについては、ちょうど6年前にこんなことを書いている。
この考えは今も変わらない。

新たに見つかったとはいえ、有限の資源であるはず。
それにみなが群がってしまっては、持続可能などおぼつかないではないか。

聞きもらしたと思いたいが、気候変動について触れていなかったのも気になるところ。何しろメタンですから。

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2012年2月 1日 (水)

「正しさ」が「正しさ」を排除する

原発にしても、自然エネルギーにしても、これほどまでに関心が高まり、声をあげる人がでてきたことはないように思う。だが、考えていることや目指しているところは、人それぞれ、かなり違うように思う。
違うことはあたりまえであるし、むしろ健全なことだと思うが、かなり根本的に違っているのに同じだと思い込んでやっていると悲劇が生まれそうだ。それは十分にあり得ることだと思う。

この手の問題は、やっている人たちは、自分が正しいと思っている人が多いだろう。よいことをしていると思っている。それは必要なことでもある。
一方、たとえば金儲けのようなことは、何となくやましさみたいなのを感じているのではないだろうか。だが、やましさがあることが、それに関係する人を同じ方向に向かわせる要因となるような気がする。

原発をやめさせること、自然エネルギーを普及させること。これらはともに「正しい」ことだと思う。だからこそ、気をつけないと、「正しい」ことをやっている人が、人を集め求心力を作っていくのではなく、人を排除するような振る舞いをしてしまう可能性があるように思える。
自分は正しいことをやっているのに、どうしてみんな分かってくれないんだ!みたいな感じ。

などということを考えてしまったので、せめてぼく自身はときどき立ち止まって、自分がどこにいるのか、どこへ向かおうとしているのか、それはなぜなのか、見失わないようにしよう。

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