「かもしれません」
このごろテレビを見ていて気になることがある。
そもそもテレビはあまり見ないし、見るのはほとんどがNHKのニュース・報道系の番組だ。
その限られた状況の中だけで感じていることなので、そういった傾向が本当に存在しているのかどうかは定かでないが、アナウンサーやキャスターがたびたび口にする言葉で、とても気になる言葉がある。
「かもしれません」
何かコメントめいたものを発言すると、決まり文句のように、最後はこれだ。
特に、夜9時からの「ニュースウォッチ9」のキャスターは、この言葉しか知らないのだろうか?と思ってしまうほどに、よく使っているように思えてならない。
断定的なことは言えない。これはそのとおりだ。
だが、「○○になる”かもしれません”」では、「○○にならない”かもしれません”」と同じであり、いったいどっちなんだ?と思う。
断定的なことを言えない状況ならば、単に事実だけを述べればよいと思う。
そうでなければ、これから起こる可能性のある事象をただ羅列するだけでよい。
妙に思わせぶりというか、何か批判めいた表現を口にし、何か考えていますよ、みたいなポーズを示す時、よく使われているように思えてならない、「かもしれません」。
「かもしれません」は逃げ場を確保するための言葉だと思う。
ぼくも会社の仕事では、社外に情報発信したり、社外からの問い合わせを受けて回答を用意する仕事をしたことがあるので、逃げ場を作っておきたくなるのはよくわかる。
だが、逃げ場の作り方というのは、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という発信をすることではなく、自分はこういう情報にもとづき、このように分析し、その結果こう考えるに至ったというものを用意しておくことだと思う。
「かもしれません」で逃げ場を作り、コメントめいたものを発してよしとするその姿勢が、本来マスコミが果たすべき役割を果たさなくなってきていることの象徴のひとつだ。
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