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2012年6月17日 (日)

ドクダミ

庭にドクダミが生えている。
もとは植えたものだが、今は増えすぎてしまい、雑草扱いとなってしまった。

雑草扱いというのは、嫌われるほどに増えたことの証し。
視点を変えれば、何かを普及させたい時のお手本にも思えてくる。

ドクダミの生え方を見ていると、まず根がそこらじゅうにはびこっている。根で増えるようだ。
だが、それだけでは説明のつかないところにも生えている。種を飛ばして増えたのだろう。

雑草という呼び方の是非はいったん置いておいて、なぜ雑草と呼ばれるか考えてみると、増えてほしくないもの、目障りなもの、関わりたくないもの、そんな意識が働くからだろう。

環境問題や自然エネルギーに取り組む人たちは、嫌われるとまではいかずとも、社会全般からすれば関心を持たれない、あまり相手にしたくない、そんな存在なのかもしれない。

最初は点でしか生えていなかったドクダミ。今はその点が無数になった。しかもよくよく見れば、その点は相互に根っこでつながっている。
抜いても抜いても生えてくる。

ありきたりだが、へこたれないこと、あきらめないこと、つながりをつくっていくこと、これらが雑草が増えていくために必要なことだと思う。むろん、雑草にこんな意思のようなものがあるかどうかはわからない。だが、彼らの増え方を見ていると、そう思わずにはいられない。

つまりはこうだ。
環境問題に取り組む人たちは、今はまだ社会のマイノリティー。
ちょっとやそっとで、諦めたり、投げ出したりしては、広がらせたいものも広がっていかない。
点としての活動を続けるしか仕方ない時もあるだろう。ともかく、愚直に続けていく。

「雑草のように」との言い方は、どこかたくましさを感じさせてくれる。
そんなに力強くなくてもよい。
それでもまだ続けている、みたいに、あきらめず続ける。かっこ悪くても続ける。

続けること自体に価値を持たせたい。

なかなかできないことでもあるけど、「いつかはきっと」、そう信じる気持ちを失わずに持ち続けよう。

父の日にあたり、って特につながりはないのだが、そんなことを考えた。

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