憲法、原発、遺伝子組み換え
今日は憲法の日だ。
松本の地方紙、市民タイムスには市民たちが全面の意見広告を出した。
この中にはぼくの名前も入っている。
前にも同様のを出した。そのときもこれに加わったが、もう5年くらい経ってしまっていた。
今、憲法を変えようという動きになっている。
憲法が変わり、戦争容認となれば、この意見広告にあるように、現在の子どもたちが兵士となって戦場へ行くことだって十分にあり得る。
憲法を変えさせた当の本人たちは戦争に行くこともなく、選挙権もなく自分の考えを国政に反映できない子どもたちが戦場におもむくわけだ。
そんなことが許されるはずもない。
憲法を変えさせないのは、子どもに対する大人の責任だ。
憲法のことを考えていて気がついたこと、思ったことがある。
憲法を変えてしまってはいけないと考えている人たちは、原発はやめなければと考える。
遺伝子組み換え作物などもってのほかだ。
この3つがすべてイコールでつながるわけでもないだろうが、かなり高い確率で、改憲も原発も遺伝子組み換えも拒否するだろう。
憲法を変えたい人たちは、原発を再稼働し、さらには新設させたくてうずうずしている。遺伝子組み換えこそが世界を救うと思っている。そんなつながりだ。ほとんど、そうつながっているように思う。
とすれば、どれか一つのことについての考えが変われば、残りのものも芋づる式に変わるのだろうか。
あるいはみなつながっているがために、ちょうど編んだロープのように、強固な考えになってしまっていて、とても一点突破などできないのだろうか。
このつながりの持つ意味、このつながりをどうにかできないか。
そんな着眼点を持ってみようと思う。
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