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2016年5月18日 (水)

神事は絵になる

御柱をやっていて思ったこと、神事は絵になる。
これは、仏事は絵にならないという意味ではない。
仏事も絵になる。
神事、仏事それぞれが絵になり、その絵になり方が異なるということだ。

これはぼくの直感。間違えているかもしれないが。
仏事は、仏様が中心にすえられている、のではないか。
参加者の意識、志向が仏様へと向かう。

神事は神様?
神様と書くと、イエス・キリストを連想してしまうが。
神事においても神様はおわすわけだが、ぼくの感覚としては参加者の意識は神様ではないものに向かっているように思った。
それは何か。
自然だと思う。
御柱は神であり、みなの意識が御柱に向かっていれば、やはり神に意識が向かっているとも言えるのだろうが、御柱の先にある自然、そういったものが根底にあるような気がしてならない。

そういった自然との結びつきの強さが、絵になる要因のように思えた。

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