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2017年1月

2017年1月 8日 (日)

教えることと与えること

昨日、ラジオを聞いていたら、モリ-・シュワルツについて語っていた。
語り手は作家の小川洋子。
その中で印象深い言葉があった。

小川さんいわく、モリ-先生は根っからの教育者だったのではないか。
そして、教えるとは与えることだと思う、というようなことを言っていた。
運転しながらだったので、詳細は覚えていないが、印象に残った。

なぜ印象に残ったのかといえば、ぼくは自分自身の傾向として、教えたがり、もしくは教えるのが好きだと思っているからだ。
さらにもう一歩突っ込んで分析すると、教えるという行為もさることながら、どのように教えようかと、それを考えるのが好きなのだと思う。
だから、自分の好きな教えるということは与えることなのだろうか?と考えたのだ。

小川さんがどういう意味でそう言ったのか正確にはわからないが、何となく感覚としてはわかる気がした。
そして今、これを書きながらふと思いついた。
与える→あげる→プレゼントする→プレゼンテーション(プレゼン)
こんな連想だ。
そして教えるという行為にはプレゼンとしての側面もあると思う。

つまりはこんなことを考えた。
教えるには相手があるわけで、その相手は何かを教わりたい、つまり何かを得たいと望んでいる。あるいは何かが得られると期待しているだろう。
一方的なプレゼントは、もらう側にとってはさほどうれしいもの、ありがたいものではないだろう。
もらう側が必要とするもの、ほしいものが差し出されてこそプレゼントとしての価値が出てくる。
そう考えていくと、教えることと与えることの関連性のひとつが見えてきたと思った。
その場合、相手の欲しいものを与えるというのは、相手に迎合するということではない。
むしろ、相手に与えた瞬間、その相手はなぜこんなものを与えるのだろうと感じることもあるかもしれない。
あまりひねったプレゼントでは、そのプレゼントの意味が一生わからないままになってしまいそうだが、少なくとも速効性が必要と言うことではないだろう。

相手が喜ぶプレゼントを差し出すことができるとはどういうことか?
それは相手をよく見ている、相手のことがわかっているということだ。
もしかすると、そこに教えるということの本質の一端があるのだろう。

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