一国の総理が「こんな人たち」と言い放った。
これについてはすでに多くの投稿、意見表明がされているので、今さらという気がしないでもないが、やはり書かずにはいられない点がある。
それは「こんな人たち」に続く言葉だ。
映像で確認すると「こんな人たちに、みなさん、私たちは負けるわけにはいかない」と言っている。
「こんな人たち」に続けて「私たち」と続いている、これを注視したい。
「負けるわけにはいかない」と、ものごとを勝ち負けでとらえる姿勢もどうかと思うが、ここでは「こんな人たち、私たち」を取り上げる。
一般には「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と引用され「こんな人たち」が大きくクローズアップされて問題視されているように感じる。
「こんな人たち」だけを取り上げると蔑視や差別のような感触だ。そこに反応しているコメントも多くあると思う。
「こんな人たち」、これだけでも十分に問題発言だが、これに「私たち」が続くことで、問題が鮮明になってくる。
ものごとを二項対立、二者択一でとらえる。いや、対立や択一ならまだましだ。結局のところ「私たち」だけが正しく、他の人たちの意見は聞かない、他の人たちは遺棄すべきものと見なす、それが今回の「こんな人たち、私たち」発言で鮮明になった。
多様性を認めようとしない。
そして「お友だち政治」「お友だち内閣」が生まれる。
健全で暮らしやすい社会のためには多様性が欠かせない。多様性は社会のあり方の根本にあるものだとぼくは考える。
その多様性を大切にしないどころか、認めようともしない。
そのような価値観、考えの人たちだけで国の政策を決めたり、閣議決定したりしてよいのだろうか、よいはずがない。
だが、この安倍総理発言の問題は、この日本の多くの組織が抱えている問題とつながっているのではと思った。お友だち内閣を支えてしまう素地が実は多くの組織(例えば多くの企業や団体)にあるのではないかと考えた。
「それが組織というものだから」という半ば思考停止の価値観のもとに、長と名のつく人の言うこと・決めたことを絶対的な是としてしまうことがないだろうか。
それがあるからこそ組織が成立するという側面があることはわかる。
だが多様性を尊重しよう、多様性を取り入れようという姿勢があるだろうか。姿勢だけでなく、実際に尊重しているだろうか。
多様性を尊重しない体質が、「こんな人たちに私たちは負けるわけにいかない」と言いのけてしまう最高権力者を生み出してしまっている、そんなことを今回の件で考えた。
多様性を尊重し、常に「これでよいのだろうか」とチェックし、修復することができる、そんな社会にしていきたい。
最近のコメント