経済・政治・国際

2017年9月29日 (金)

子どもには聞かせられない

「こんな人たちに、みなさん、私たちは負けるわけにはいかない」
「必要なのは対話ではなく圧力だ」
「選挙のためだけに看板を替える政党に、日本の安全を子供たちの未来を任せるわけにはいかない」
人それぞれ、いろいろな考え方はあるでしょう。
でも、このような発想、考え方を公言する人やその母体政党に、それこそ政治を任せるわけにはいかないのです。
冒頭に引用した3つのセリフ、「これはどういうことなの?」と子どもたちに聞かれたら、ぼくには説明できません。
相手をけなし、つぶそうとする姿勢、これをどう子どもに説明できるというのでしょうか。
政治家には、国のリーダーには、理想を語って欲しい。
ぼくは心からそう思います。

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2017年7月 5日 (水)

「こんな人たち、私たち」の抱える問題

一国の総理が「こんな人たち」と言い放った。

これについてはすでに多くの投稿、意見表明がされているので、今さらという気がしないでもないが、やはり書かずにはいられない点がある。

それは「こんな人たち」に続く言葉だ。
映像で確認すると「こんな人たちに、みなさん、私たちは負けるわけにはいかない」と言っている。
「こんな人たち」に続けて「私たち」と続いている、これを注視したい。

「負けるわけにはいかない」と、ものごとを勝ち負けでとらえる姿勢もどうかと思うが、ここでは「こんな人たち、私たち」を取り上げる。

一般には「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と引用され「こんな人たち」が大きくクローズアップされて問題視されているように感じる。
「こんな人たち」だけを取り上げると蔑視や差別のような感触だ。そこに反応しているコメントも多くあると思う。

「こんな人たち」、これだけでも十分に問題発言だが、これに「私たち」が続くことで、問題が鮮明になってくる。
ものごとを二項対立、二者択一でとらえる。いや、対立や択一ならまだましだ。結局のところ「私たち」だけが正しく、他の人たちの意見は聞かない、他の人たちは遺棄すべきものと見なす、それが今回の「こんな人たち、私たち」発言で鮮明になった。
多様性を認めようとしない。

そして「お友だち政治」「お友だち内閣」が生まれる。
健全で暮らしやすい社会のためには多様性が欠かせない。多様性は社会のあり方の根本にあるものだとぼくは考える。
その多様性を大切にしないどころか、認めようともしない。
そのような価値観、考えの人たちだけで国の政策を決めたり、閣議決定したりしてよいのだろうか、よいはずがない。

だが、この安倍総理発言の問題は、この日本の多くの組織が抱えている問題とつながっているのではと思った。お友だち内閣を支えてしまう素地が実は多くの組織(例えば多くの企業や団体)にあるのではないかと考えた。
「それが組織というものだから」という半ば思考停止の価値観のもとに、長と名のつく人の言うこと・決めたことを絶対的な是としてしまうことがないだろうか。
それがあるからこそ組織が成立するという側面があることはわかる。
だが多様性を尊重しよう、多様性を取り入れようという姿勢があるだろうか。姿勢だけでなく、実際に尊重しているだろうか。
多様性を尊重しない体質が、「こんな人たちに私たちは負けるわけにいかない」と言いのけてしまう最高権力者を生み出してしまっている、そんなことを今回の件で考えた。

多様性を尊重し、常に「これでよいのだろうか」とチェックし、修復することができる、そんな社会にしていきたい。

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2016年7月11日 (月)

だましても、だまされても、あたりまえなのがこわい

参院選が終わった。

案の定、安倍首相は改憲の話を持ち出してきた。
選挙中は論点からさけていたのに。


やはり、と当たり前のように受けとめるようになってしまっているのがこわいと思った。
ああ、またかとの気持ち。
こんなのばかり繰り返されて不感症になってしまってはいけない。

さらには、だまされていることに気がつかない人が圧倒的に多いのではないかと思う。
それこそが自民党の思うつぼなのだろう。

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2016年7月 4日 (月)

目の前にある緊急事態にも対処できないのに

引き続き緊急事態条項について。

緊急事態とは、武力攻撃や大災害などが起きた場合を指すとのことで、確かに緊急事態ではある。

だがこれから起きるかもしれない緊急事態の心配だったら、すでに起きている緊急事態である福島第一原発の始末をきっちりつけたうえで心配するってものだろう。
すでに存在しているものにさえ満足に対処できないのに、何が起きるのかわからないことについて対処できるはずがない。
あ、そうか。何が起きるかわからないから、そのどさくさにまぎれて、やりたい放題する権限を手に入れようってことか。

そして緊急事態とも言えるが、常態となっている原発から生まれる核廃棄物の処分問題。
問題ははっきりしているのに、課題化もしないでいる。

それにしても、緊急事態条項で何をしたいのだろう。

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2016年7月 3日 (日)

緊急事態条項と「新しい判断」

憲法の話。
今回の選挙では自民党は憲法の話題を避けているようだが。

緊急事態条項などというものを持ち出すのではなく、きちんと取り組むべきことがある。
原発に象徴される集中型の巨大インフラに依存するのではない、分散型で自給率が高い、あるいは融通しあえるような食とエネルギー。
いざという時に、自分たちで何とかできるような社会にしていくことこそが真の緊急事態対応だと思う。

緊急事態条項が適用されるようになった時、どのようなことが想定されるか考えてみた。

緊急事態条項によって付与された権限を本来の姿に戻すルールや権限行使を監視するルールが重要だが、「新しい判断」という信じられない理屈を持ち出す姿を見ていると、緊急事態だからという解釈のもとに「新しい判断」を持ち出し、ルールをしばるルールをなきものにしてしまうのではないだろうか。緊急事態が常態となってしまう、そんな社会が容易に想像できる。

そんなことを心配させるより、緊急時はもちろんのことふだんの暮らしに役に立つ分散型の社会に変えていくことが取り組むべきことだと考える

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2016年6月30日 (木)

なぜ改憲を論じないのか

この選挙で、自民党も公明党も改憲について論じようとしない。
なぜだろう。
そもそも、選挙用と普段用とで主張を使い分けること自体がおかしい。

改憲を論点にすると、思うような議席数を確保できないと見ているのだろうか。
だとすれば、その分析は正しいだろう。
その結果として避けているのであれば、何たる政党なのだろうか。
そうだったら、さらに論点にすべきだ。
そうして自らの主張の合理性を説明すればよい。

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2016年6月29日 (水)

イギリスのEU離脱

今このことを話題にすると、しかもEU離脱を肯定する論調だと後出しじゃんけんのような後味悪さもないわけではないが、書いてみる。

EUのことについても、イギリスの状態についても、何も知らないに近いし、ましてや分析する力など持ってはいない。
ただただ直感的に、離脱がよいのではと思っていた。
ゆるいつながりの大きな枠組みはよいと思うが、巨大な組織となっていくような動きは進めるべきではないと考えている。
理念や目標はほぼ共通、だがそれを実現するのは各国それぞれのやり方でというのがよいと思う。

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2016年6月22日 (水)

安倍首相、違いを説明できないの?

夜のNHKラジオで、各党首へのインタビューを放送していた。

「経済政策について自民と民進の違いは」とのアナウンサーからの問いかけに対して、安倍さんは「民進党の考えはわからないので、岡田さんに説明してもらってくれ」と答えた。

耳を疑った。

民進がなぜそう考えるのかは理解できない、なぜそういう価値観なのか理解できない、その心情は共有できない、といったことならわかる。そりゃそうだろうと思う。
だが政策自体がわからないのだとすれば、それはどうなのだろうか?
あるいは理解不能な支離滅裂な政策提案なのだろうか?

選挙とは選択である。
だとすれば、自らと他との違いを明確に説明する必要があるのでは。
少なくとも、選んでほしいのであれば、説明は必要だ。
説明してほしいと頼まれたなら、説明するってもんだろう。

そんなことを考えたのだが、そう考えるのはおかしいのだろうか。

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2016年6月14日 (火)

選挙とは非難合戦?

日本では参議院選挙、アメリカでは大統領選挙。
ともに対立候補や対立政党への非難に明け暮れているように思える。
また日本においては、重要な論点から逃げているように見えてならない。

18歳から選挙ができるようになって初めての選挙なのに、だ。

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2016年6月12日 (日)

自公の唱える民主主義とは誰のためのものなのか

NHKの報道によれば、今日(6/12)の日曜討論で、参院選挙について公明党の斉藤選挙対策委員長が「自由と民主主義を基調とする保守中道路線を選ぶのか、社会主義、共産主義革命を目指す勢力が政治の中心になるのか、日本の進路を問う選挙とも言える」と話したそうだ。

自公の考える民主主義とはなんだろう?
既得権益者たちだけを構成員とする民主主義のように思える。

未来世代を重要な構成員としてとらえる、ぼくは民主主義とはそうあるべきと考えている。

未来世代は、現時点では生まれてさえいない場合もある。
未来世代の声なき声をどこまでリアルに我がこととして考えることができるか、そこが大切だと思う。

声なき声ではあっても、現在この時点で、声なき声の代弁者たちはいっぱいいる。
その声を真摯に聞くこと、それこそが施政者が取るべき態度だ。

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