ほんの一瞬だけでも
音楽は不思議だ。
ほんの2、3 秒程度のフレーズが、心に何かを呼び起こす。
こんなことがあった。
ふと触れたオルゴール。まだ少しだけゼンマイの力が残っていたみたいだ。
その力で、一瞬、たぶん2、3秒だけだと思うが、音楽を奏でてくれた。
素敵な音だった。
音楽は不思議ですごい。
ほんの一瞬の音だけで、その音楽が無限と思われるくらいに、あ、ちょっと大げさか、広がりを見せてくれる。
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音楽は不思議だ。
ほんの2、3 秒程度のフレーズが、心に何かを呼び起こす。
こんなことがあった。
ふと触れたオルゴール。まだ少しだけゼンマイの力が残っていたみたいだ。
その力で、一瞬、たぶん2、3秒だけだと思うが、音楽を奏でてくれた。
素敵な音だった。
音楽は不思議ですごい。
ほんの一瞬の音だけで、その音楽が無限と思われるくらいに、あ、ちょっと大げさか、広がりを見せてくれる。
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あらためて、一昨日の話。
つまり、佐渡裕さんのコンサートの話だ。
念のため確認すると、場所は松本文化会館。
ベルリン・ドイツ交響楽団との日本ツアー2011の初日。
演目は、次のとおりだ。
ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番 Op.72b
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64
最初のレオノーレは、これから始まる演奏会への期待をいやがうえにも高めてくれる曲だ。
期待を高めてくれる曲としては、モーツァルトのフィガロの結婚序曲がピカイチだと思っているが、レオノーレもそれと並ぶ曲だ。
演奏そのものは奇をてらわず、きっちりとベートーヴェンのこの曲を堪能させてくれるものだった。
続くモーツァルトのピアノコンチェルトK.488。これまた大好きな曲だ。
若手のピアニスト、エフゲニ・ボジャノフとの競演。
ピアノ演奏に余裕感のあるものだったと思う。
久しぶりに生で聴く、K.488そのものの魅力にどっぷりはまってしまった部分もあった。
そうなれたというのは、やはり演奏がよかったということだ。
さらに、アンコールでショパンのワルツを弾いてくれた。
これが素晴らしかった。
メインのコンチェルトを弾き終えた開放感なのだろうか、楽しく奔放な感触のある演奏だった。
ほんとうによかった。
最後のチャイコフスキー第5番。これは佐渡さんの演奏スタイルにぴったり合った曲だと思う。
もう何も言うことはない。ぐいぐいと引き込まれた。
聴きながら、「もしかすると、ぼくはいま、佐渡さんのあぶらののりきった時期の演奏を聴いているのかもしれない」
そんなことを思った。まさに今、この瞬間。
もちろん、まだまだ佐渡さんの演奏は進化していくだろう。
だが、いつの日か、あの時の演奏として記憶に残る演奏になったと思う。
アンコールでは、期待通り、佐渡さん自らアンコール曲をアナウンスしてくれた。
佐渡さんの魅力のひとつだ。
会場は満員。
よい時間だった。
12月には東京へ佐渡さんの第九を聴きに行く。
これまた大きな楽しみだ。
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今日は待ちに待った佐渡裕さんのコンサート。場所は松本文化会館。
ベルリン・ドイツ交響楽団との日本ツアー2011の初日だ。
演目は、次のとおり。
ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番 Op.72b
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64
この演奏についての感想はまた別途として、ちょっと勘弁してよ~という出来事があったので、まずそっちから。
演奏が始まってしばらくしてのこと。どこからか、カサコソする音が。実際に現場を見たわけではないので、あくまでも想像だが、のど飴を袋から出して口に入れるまでにどのような音がでるかを想像してもらえばよい。まさにそういう音だった。
マスクをしている人、咳をする人、少なからずいたからね。
たぶん、あくまでも想像だが、たぶん当たっている想像だろうと確信している。
音の方角と距離感からしてそれなりに離れたところだと思うのだが、よく聞こえる。
というかさあ、こっちとしては演奏に集中したいわけだ。だから集中できていれば、その音がどんな音だったかとか、どのあたりから聞こえたなどというような話は、書けるわけがない。
だが、こうやって書いている。
そう、その音が耳に入った瞬間、「あ、いかんいかん、演奏に集中だ」と言い聞かせるのだが、どうしても気になってしまう。カサコソ音に耳がロックオンしてしまうのだ。
「そっちに意識をやるなよ、やるなよ~、あ~、また聞こえてしまった。だから演奏、演奏、あ、まだカサコソいってる。気にするな、おれ....駄目だ。トホホ。」
ま、そんな状態でした。
そのうちにぼくの隣に座った初老の女性は、バッグをあけて何かまさぐり始めるし。
時間にすればわずかだが、あっちこっちでそれをやられるとねえ。ちょっと滅入る。
演奏が飛びぬけて素晴らしいものだっただけに、残念だった。
あの音、なぜか遠くまで通り、意識を刺激するんだよね。
最後にお口直し。
文化会館3階の窓から見下ろしたイチョウの木と落葉。
同じカサコソでも、落葉のカサコソは気持ちいい。
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東日本大震災では多くの人が精神的なショックを受けた。ぼくもそうだった。
そしてよく聞いた声が、「こんなときにスポーツをやっていてよいのだろうか」「音楽に何ができるのだろう」といったようなものだった。プロのアスリート、芸術家などが悩みを吐露していた。
同列に語ってよいのかは疑問だが、ぼくもプロの?会社員として、「今、こうやって前と同じような仕事をしていてよいのだろうか、この仕事は本当に役に立つものなのか?」と悩んだ。
聞けば、テナーサックスの大家、MALTAさんも震災後の3週間くらい、「音楽なんかやっていてよいのか」と悩んだのだそうだ。
今日、塩尻のレザンホールでMALTAのライブがあり行ってきた。
東電の原発事故以降、しばらく音楽を聴こうという気持ちが起きなかった。1週間か2週間かして、FMやCDを少しずつ聴くようになった。
3月末にはヴァイオリンリサイタルに行く予定があったが、これはリサイタルそのものが中止になってしまった。
そんな事情もあって、3.11以降、音楽のためにホールに足を運ぶのはこれが初めてだった。
思いもかけないことが起きた。
ホールで、MALTAの最初の音を聴いたとたんに涙が出てしまったのだ。
悲しいのではない。だからと言ってうれしい、というのとも少し違う。
ややかたまり気味だった心が解放された感じ、とでも言えばよいだろうか。
心がゆるんだ、心のストレッチ?
ほっとしたのだろう。
今日のライブは森口博子さんがスペシャルゲスト。
2時間半以上にわたって、ノンストップでたっぷり楽しませてくれた。
ああ、音楽にはチカラがある。
心からそう思った。
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今朝はそこそこ冷えた。北日本では大雪とのことだったが、我が家のまわりは雪の気配なし。
しかし塩尻駅のほうは雪。塩尻駅から塩尻峠にかけては道路もすっかり白くなっていた。
まさにホワイト・クリスマス。そして、やっとの雪景色。
何しろここのところ降るのは雨ばかり。12月だというのにね。
毎年、クリスマスの時にはクリスマス用のCDを買っている。でも、今年はまだ。
さて、今年は何にしようか?
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新進のヴァイオリニスト松田里奈さんのコンサートに行ってきた。
「松田理奈 室内楽コンサート”SDT”」と銘打ったコンサート、SDTとはSolo Duo Trio のことで、最初は里奈さんのヴァイオリンのみ、次にチェロが加わり、最後はピアノも加わってというプログラムになっていた。
会場はまつもと市民芸術館。前にも書いたが、あまり好きではない、というよりむしろ嫌いな会場だが、ここでしかやらないのだからいたしかたない。それに今回は小ホールだから、大ホールほどの嫌悪感はない。この小ホール、演劇用に作ってあり、残響がほとんどないデッドなホール。客席は200席ほどだろうか。
客入りはあまりよくなかった。残念なことだ。
演奏は楽しませてもらった。時おり、はっとする清冽で美しい音色を聴かせてくれたのが印象的だった。それに演奏中の表情が豊かで、その表情を見ていると、「ああ、この曲はこういう曲なのか」と納得するものがあった。
何しろぼくは前から4番目の席、もともとステージと客席が近く、ほんとうに目の前で弾いてくれたから表情もとてもよくわかるのだ。
そしてデュオやトリオの演奏ではパートナーとの呼吸を合わせることにとても気をつけている様子が感じられた。
彼女は、1985年生まれで3歳のときからスズキ・メソードでヴァイオリンを始めたとのこと。うちの長男と全く同じだ。もしかして全国大会などでは一緒だったことがあったのかもしれない。
そんな事情もあって、どちらかといえば、というよりもかなり、肉親目線というのか、身内の応援団のような気分でコンサートに臨んでしまった。どうしても我が子とだぶってしまい、ともかく何が何でも応援しなくては、みたいな気分にもなってしまった。
里奈さんはトークもしてくれて、上手なトークというわけではないが好感を持てた。
まだまだこれから演奏家としてのびていくことだろう。楽しみに見守りたい。
今年のコンサート、あとは26日の第九を残すのみだ。またあの東京オペラシンガーズの圧倒的な合唱の洪水に身をゆだねる時がやってくる。
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昨日の続き。
生演奏でよいと感じた演奏、もしこれが録音されていて、後日あらためてその録音を聴くとどんなふうに感じるのだろう?
そもそも2回目というだけでもかなり不利な条件だろうが、その点の影響はなにか(魔法か?)で除外できたとして、どう感じるのだろう。と考えてみると、たいていの場合は生演奏で聴いたときほどの感激や感動はないのだろうな。
いや、むしろ演奏のあらが見えてしまったりするかもしれない。
ライブという、その場の持つ力が大きいのだろう。
そう考えると、つくづくすごいなあと思う演奏がある。
フルトヴェングラーの演奏だ。彼の残したものには、録音状態じたいがあまり良くないものが多い。だが、そんなこととは関係なく感動してしまう。背中に電流が通るような経験も何回もしてしまった。
この録音にしてこの感動、もしこれを実際にライブで聴いたとしたらどうなってしまうのか?
考えるだにおそろしい、いや、経験できるものならしてみたい。
タイムマシンがあったらどの時代に行きたいか、何を見たいか、考えてみたことはないだろうか。
平城京を見たいとか、モーツァルトが演奏するのを聴いてみたいとか、いろいろ浮かんではくるが、いつも真っ先に思い浮かぶのは「フルトヴェングラーの演奏をライブで聴いてみたい」だ。
さて。
それにしても昨夜のコンサート。ホールの入りがかなり悪かった。
SKFに偏り過ぎている松本の音楽事情が気になる。
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今夜は素敵なひとときを過ごした。
松本文化会館にLSOと諏訪内晶子さんがやってきた。LSOとはロンドン交響楽団のこと。
もう昔むかしのことになるが、つまりはぼくが大学生の頃、エアチェックなるものがはやっていた。ラジオからカセットテープに録音するやつですな。お金がないからレコードもそんなに買うことができない。そこでエアチェックとなるわけだ。確かあの頃は、FM番組の専門雑誌が3種類出ていたはずだ。
そのとき、録音するものをメモったりするとき、LSOと書けばそれは“ロンドン交響楽団”のことだったのだ。
諏訪内さんはシベリウスのヴァイオリン協奏曲だった。音量は豊かだったが、なんとなくぼくには不完全燃焼感が残ってしまった。アンコールはよかった。何という曲だったのだろう?2本のヴァイオリンで弾いているような感じに聞こえる曲で、とてもよかった。
今夜のメインは『展覧会の絵』。素晴らしかった。
9月には長男が所属する東大フィル・グラデュエイトオーケストラの定期公演で『シェエラザード』を聴いた。
これらの、いわゆる”絵画的”な楽曲はやはり生演奏が似合っている。とても楽しめる。
ましてや、しっかりした技術に裏付けのあるLSOによる生演奏での『展覧会の絵』。ダイナミックなのだけど、よくよくみるとすごく精緻な絵を見ているかのような演奏だった。
アンコールもよかったなあ。
こういった感じの曲をアンコールでやってくれたらなあ、と思っていたら、まさにその曲をやってくれた。
チャイコフスキーの『くるみ割り人形』の中から『コサックの踊り』をやってくれた。
他のことは何も考えず、目の前で繰り広げられる絵画の世界に没頭したよい時間を持てた。
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先日の日曜、10月24日は東京にいた。
サントリーホールでのイツァーク・パールマンのヴァイオリン・リサイタルを聴くためだ。
実はサントリーホールに行くのは初めて。
しかも演奏者はあこがれのパールマン。
いつもは「音が聞こえればいいや」と安い席を買うことのほうがずっと多いのだが、今回ばかりは奮発してS席にした。目の前でパールマンが弾いてくれる!
ホールには長男がすでに着席していた。彼は3歳からずっとヴァイオリンをやっているから、純粋に演奏技術という点だけでもかなりの興味があったに違いない。
初めてのホール、しかも日本を代表するコンサートホールであるサントリーホール、しかも演奏がパールマンと舞いあがってしまいそうな状況だったが、ちょうど一週間前、17日に松本でのリサイタルも聴いたので、多少は落ち着いて聴くことができたと思う。
松本では4階席の最前列、上空から見下ろすように聴いた。あの時の驚きは、あれだけ離れていてもかなりしっかりとヴァイオリンの音が聞こえたことだった。
今回はまさに目の前で弾いてくれた。
松本での演奏についてブログに書いたが、今回は息遣いや表情、指や腕の動きなどがほんとうによくわかって...夢のようなひとときだった。
パールマンの大きな魅力のひとつに小曲がある。この日は次の曲を弾いてくれた。
クライスラー:コレルリの主題による変奏曲
ポンセ:エストレリータ
フンメル:ロンド
J.ウィリアムズ:シンドラーのリスト
ブラームス:ハンガリー舞曲第2番
ファリャ:スペイン舞曲第1番
アンコールはバッツィーニの「妖精の踊り」だった。
これでもかというくらいの技巧を、わかりやすくいえば鼻歌まじりのような感じでやってしまう。すごいものだ。
ほんとうに楽しそうで、弾くのが楽しくて、うれしくて、そんな感じが伝わってくる。
それに曲名を自ら紹介してくれるその声がまたいい。柔らかいバリトン。あの声だけでファンになってしまう人もいるのではないかなあ。
スペイン舞曲は我が家にとってとても意味のある、大切な曲だ。次男が卒業コンサートで弾いた曲だから。
パールマンが弾くとこんなふうに弾くのか、こんなふうに弾いてしまえるのだな、などということも楽しみつつ、あの時の次男のかっこよかった演奏も思い出して、これを聴くことができただけでも東京まで聴きに来てよかったと思えた。
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昨日は至福の時間をすごした。イツァーク・パールマンのヴァイオリン・リサイタルに行ってきた。
会場はまつもと市民芸術館。嫌いなホールだが、パールマンが来るとあっては背に腹は代えられない。
パールマンを初めて知ってからもう30年以上は十分に経っている。並べて書くのは変かもしれないが、フルトヴェングラーとパールマン、この二人はぼくの中で絶対的な存在の音楽家だ。
ところがパールマンの生の姿、生の演奏には今まで縁がなかった。もちろん今までも何回か来日しているので、ぼくの怠慢以外の何ものでもないが。
あこがれのパールマン、そのパールマンが目の前に現れ、ヴァイオリンを弾いてくれる。ぼくの心は高鳴った。
ステージに彼の姿が現れた瞬間から、その姿を見た瞬間からぼくの中ではスイッチが入ってしまったから、昨日の演奏がどうだったなどと冷静には語れないだろう。ともかく素晴らしかった。
ヴァイオリンとはあそこまでできるものなのかと驚かされ、しかもそれを軽々とやってしまう。少なくとも、軽々やっているように見えてしまう。それに何といってもパールマンの表情が素敵だ、あのチャーミングな笑顔、弾いている間も喜々として、心から喜び楽しんでやっているように見える。音楽の素晴らしさが伝わってくる。
しかめっ面などしない。
難しいことをさも難しそうにやるのではなく、楽しそうに、あるいは淡々とこなす。人生そうありたいものだと思う。
さて、今回は気合いが入っているので、24日にはサントリーホールまで出かけてまたパールマンの時間を楽しんでくる。昨日はAプログラムだったが、24日はBプログラムなので、今回のジャパンツアーでの全プログラムを聴くことができる点でも楽しみであるし、何よりも長男も一緒に親子3人でというのが楽しみだ。
「パールマンが来るけど、行く?行くならチケット買ってやるよ」とメールしたら、すぐに「行く!」と返事がきた。当り前か...
小曲こそ大切にするパールマン、これもまた彼の大きな魅力。さて、24日はまたどんな世界が広がるだろう。
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