原発

2019年1月20日 (日)

地層処分

1月19日、松本で開催された「科学的特性マップに関する対話型全国説明会」に参加した。このタイトルでは多くの人には何の説明会かわからないだろうが、原発由来の高レベル放射性廃棄物の地層処分についての説明会である。
参加前、参加中といろいろ考えたり気づいたことから2点に絞り書いている。一つは説明会の運営、もうひとつは日本学術会議による回答書である。
●説明会の運営
NUMOからの説明後の質疑応答は数名毎のグループの中でのみ受け付けるとの主催者方針に対して、参加者から10分程度でよいので全体での質疑応答時間をとってほしいと複数の要望が出された。参加者全体で共有すること部分があることも必要との観点からの要望だ。
主催者はグループ質疑の方が多くの人の質問に答えらえるからとの説明を繰り返すのみ、最後はこの説明会の責任者と称する人が登場して、事前に予定した進行以外は認めないと一方的に宣言した。
責任者のなすべきことは、参加者の要望を理解し折り合いのつく運営を臨機応変に進めることだろう。グループ質疑に90分とっているのだから、その中の10分を限定時間として全体質疑にあてることに不都合があるとは思えない。最低でもなぜその要望に応えることができないのか合理的な説明が必要だ。
責任者の務めは一方的な宣言をすることではない。
●日本学術会議の回答
日本学術会議は内閣府原子力委員会からの審議依頼を受け、「高レベル放射性廃棄物の処分について」との回答を提出している( http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-k159-1.pdf )。
この回答には次のような重要な記述がある。
1)エネルギー政策・原子力政策における社会的合意の欠如のまま、高レベル放射性廃棄物の最終処分地選定への合意形成を求めるという転倒した手続きを進めていると判断している
2)高レベル放射性廃棄物の「総量管理」
3)暫定保管によるモラトリアム期間の設定
4)公正な立場にある第三者が討論過程をコーディネートすること。その理由は「政策論争の一方の陣営が、同時に討論過程の管理者となっているような場合には議論の公正な管理はできない」としている。
この回答を受けてどのように進めようとしているのか、まずそこが重要だと考えているが、回答とこの説明会との関連性が把握できず、それを知りたいと思い説明会に参加した。
 
学術会議の回答を受けどのようにしようとしているのかと質問したところ「ひとつの考えとして聞きました」との説明だった。
 
この説明会が地層処分ありきの証拠づくりとならないよう、国民の監視が大切だ。

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2017年7月 8日 (土)

止めるべきことを止めさせるには

原爆で被ばくしても核兵器禁止条約に署名せず、3.11で巨大事故を起こしてもなお原発を続け、核燃料サイクルを止めようとしない。
いったい何があれば、署名し、止めると決断するのだろう。
これだけのことがあっても何も変えないのだから、どうしたらよいかなかなか考えつかないが、核兵器や原爆を続けようとする人たちを国としての決定を行う立場につかせないようにすることは有力な手段だ。

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2016年9月 7日 (水)

人為災害と自然災害

災害には備えが肝心、避難訓練は必要であり有用。
その通りだ。
だがそれは自然災害についての話。
原発事故は人為事故だ。
人為事故なら避難計画や避難訓練で四苦八苦するのではなく、人為事故そのものをなくすことが災害への備え。
原発はやめ、既存の原発は廃炉にしよう。

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2016年8月30日 (火)

これも原発プロパガンダか、泉田知事 出馬取消

新潟県知事の泉田さんが、次期選挙への出馬を取り消した。

「新潟日報」の報道姿勢を理由にしての取り消しのようだが、実際にどんなことがあって、何がなかったのか、ぼくは知らない。
ただ、報道だけを聞くと、これも原発プロパガンダの恫喝の部分かと感じてしまった。

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2016年6月 4日 (土)

同じマインドのままでは

アインシュタインの言葉
「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、その問題を解決することはできない」

ほんとにそうだ。
今、信州ではいくつものメガソーラー計画がある。
平地がわずかな信州、どの計画も森林を伐り開いてソーラーパネルを設置するものだ。

一見、自然エネルギーを進めようとしているように思える。
でのその実は、単に金儲けのためではないのか。

条件がそろえば利益があがる、だったらやろう、それだけの発想から事業を進めるのであれば、この社会が抱える課題の解決にはほど遠い。

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2016年4月26日 (火)

30年が過ぎて

1986年4月26日から30年が過ぎた。
チェルノブイリ原発事故から30年。
ぼくが環境問題とかかわるようになったのはこの原発事故がきっかけだ。
ちょうど、ぼくの人生の半分の期間でもある。
現時点でのぼくの後半生のすべてはこの事故から始まった。

あれだけの事故が起きて、
30年過ぎても、まだ日本も世界も原発を進めようとしている。
あれだけのことを起こしても、人間とは学ばないものだと思う。
特に政治家と経済界、何も学んでいない。

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2016年4月18日 (月)

科学的根拠とは何か

原子力規制委員会の田中俊一委員長は、川内原発を停止させる必要はないと言った。
止めるための科学的根拠がないというのが理由だ。

科学的根拠とは何だろう?
むろん原子力規制委員会メンバーは科学的な議論、検討を進めたことだろうと思う。
決して、川内原発は稼動続行という結論ありきで、その結論にとって都合のよい科学的根拠だけを拾い集めたなどということはないものと信じたい。

だが熊本地震については、気象庁は今後の予測がつかないと表明している。

そもそも科学はある事象がなぜ起きるのかを探求することから始まっている。
原因と結果を結びつけていくときに、確かにああすればこうなると納得させることができる事実を積み上げること、つまり科学的手法を用いることで、原因と結果が明らかになり、その関係性の説明としての理由が理論となる。

内挿的な部分については、科学的であることと、真の事象とのかい離は少ないように思う。
だが外挿的な部分についてはどうだろうか。

田中さんの科学的根拠という言葉からは科学的なものが感じられない。
科学的根拠という言葉で、全てをシャットアウトしてしまっているように思えてならない。

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2016年4月17日 (日)

自然の脅威を知ると言うこと

地震が続いている。
そして今日は全国が強い風が吹き荒れ、転倒して亡くなった方もいた。

これらは全て自然現象によるもの。
そしてよく「自然の脅威」という言葉が使われる。
自然は意思を持って何かをしているわけではないはずなので(たぶん)、脅威という言葉を使うのは、ぼくには違和感もあるが、ひとまずよしとしよう。

自然の力の巨大さを知ることは大切だし、それらの中で社会や生活に不都合な部分があれば、何とかしたいというもの必要なこと。

地震そのものをとめるわけにはいかない。
だったら川内原発を止めることが、自然の力を思い知った人間の取るべき行動だ。

では、強風には?
それは気候変動対策だ。
今日の強風と気候変動とが関係あるかどうかは立証できないだろうが、今後、気候変動の深刻化によって強風に悩まされるようになるのは確実なこと。
であれば気候変動に向き合わなければ。

自然の脅威というのなら、意識と行動を変えていこう。

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2016年4月16日 (土)

川内原発は停止するのが九州の大地震への対策

3.11では地震と津波で甚大な被害が生じた。それだけでも大変なことなのに原発事故が起きた。放射性物質のために満足な救援活動が行えない地域があった。
地震や津波の被害に対応したくても放射線がそれを阻んだ。そこに住めなくなったのだから。
これらのことから国や電力会社は何を学んだのだろう。

九州では大きな地震が続いている。地震については、地震が起きてから解説することはできても、事前に言えることはごく限られているのではないか。
何が起きるかわからないし、何が起きても不思議ではないとぼくは思う。
4月14日夜の熊本の大地震の時、なぜかポツンとはなれたぼくの住む諏訪で震度1を記録した

これを見ると、中央構造線の存在を考えざるを得ない。
ぼくは地震の専門家ではないが、とても気になる。

中央構造線はこれ。鹿児島の川内原発はこの構造線の末端のすぐ近くに位置する。


ごたごたと書いたが、このような地震が起きると、中央構造線のことがとても気になるし、川内原発は止めなければならないということを言いたかった。
そもそも地震があろうとなかろうと、原発そのものが危険な存在なのだから。

原発の事故そのものがあってはならないし、ましてや事故によって救援の足を引っ張るようなことがあっては言語道断だ。
川内原発で事故が起きれば、放射性物質は西風に乗って、ちょうどこの中央構造線を東進するように汚染を広げていくはずだ。

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2016年3月20日 (日)

電気料金と固定価格買取制度

固定価格買取制度(FIT)の費用負担が標準家庭で毎月675円程度になるとの報道がある。
FIT開始当時は月66円だったので、10倍ということだ。

このことを多くのメディアは、FITに大きな問題があるかのごとき論調で報道している。例えばNHKだ。
FITには再生可能エネルギーの普及が進めば進むほど負担額も増える、そこをどうすうかという課題があるのは事実だ。

だがその一方でFITのようにわかりやすくないように処理されているのが原発関連費用だ。
しかもこれはFITが始まるずっと前からのことだ。

なぜこのことをもっと取り上げないのだ。
片手落ちというレベルの話ではない。

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