今日は松本で小出裕章さんの講演会だった。
ぼくは実行委員会の一員として、朝から会場に出かけ準備を行った。
今回、ぼくの役割は受付。
開演後も受付を担当した。当然のことながら講演を直接聴くことはできない。
それでも、開演後に来る人もけっこう多く、終演近くになってから来る人もいたりで、その点では受付の役割は果たせただろう。
直接聴くことはできなかったが、ホワイエにモニターがあり、粗い映像と聴き取りにくい音声ではあったけど、何となく会場の状態はわかった。
最後に質問コーナーがあり、信州大学大学院の学生の質問と、それに対する小出さんの答が印象に残った。
大学院生は理学を学んでおり、チームめとばで、給食食材や、市民から依頼のあった食材の放射線量測定を行っている。
学生の質問はこうだった。
「自分は科学を学んでいる。科学には大きな力があり、さまざまな新しい発見も生まれる。その一方、科学の成果が必ずしも社会にとってよいものとは言えないものである場合が往々にしてある。例えば原子力のように。そんな時、そのまま科学を学んだり研究を続けていてよいのか悩む。小出さんはどう考えるか」
小出さんからは次のような回答だった。
「とても難しい質問だ。科学は、わからないことをわからせようとする。そして何かがわかると、さらにわからないことが多くなる。そこでもっと追究するようになる。わからないことを何とかわからせよう、そうやって科学の世界にのめり込む。私もそうだ。
質問について言えば、やはり『自分がしなければいけない抵抗はする』ということだ」
およそこんな感じだった。
そう、抵抗しなければいけない時がある。
これは科学の世界に限らず、たとえば会社生活においても同じだろう。
そして社会生活においても。
「そうは言っても」
この言葉を、できる限り言わない習慣。これも大切なことだろうと思った。
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