科学

2016年2月 2日 (火)

スマホがサーモグラフィーに

今、「エコハウスのウソ」という本を読んでいる。

とても面白い。

この本の中に、スマホに装着するとスマホがサーモグラフィーになるアクセサリーのことが書いてあった。
知らなかった。
びっくりした。

調べてみると「FLIA ONE」という商品だ。
価格は35,000円くらい。

安いとは言えないが、かと言って高くはない。
いや、サーモグラフィーとして考えれば、おそらく安いと言ってよいだろう。

うーん、どうしよう。
ほしい。


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2015年12月21日 (月)

久しぶりのLCA

今日は日本LCA学会の講演会に参加した。
参加してよかった。

会社では仕事としてLCAを担当しているが、従来からのLCA手法でいろいろなケースの算出を行う仕事だ。
最新のLCAの潮流には追いつけていなかった。
名前だけは知っているが中身はよくわからない新しい概念や手法、そんなのがあるが、今日はそういったものの話を聞けてとても勉強になった。

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2015年9月29日 (火)

スーパームーン

昨日はスーパームーンだった

何時ごろからだろうか、スーパームーンが大きな話題となるようになったのは
現象そのものは前からずっとあったわけだが

それにしても、あんなに遠くにあるものの、見た目の大きさが変わるなんて、とても面白い現象だと思う。


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2015年8月 9日 (日)

Windows 10

予約しておいた Windows 10 が更新可能との通知が届いた。
先ほど更新した。

まだ使い勝手などわからないが、8 ほどのひどさはないだろう。
8 はその良さがわからなかった。
慣れの部分と、改良・改善の部分の違いは微妙な場合もあるが、8 について言えば、従来から変えたことで良いと思った部分より、改悪と思える部分のほうが多かった。

Windows10はどうだろう?
期待したい。

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2014年2月24日 (月)

雪を溶かす実験

今日はフレックス休暇。雪を溶かすお遊び、いや、実験をしてみた。

大鍋に雪を盛り、それをロケットストーブにかけて雪を溶かすのだ。
雪はいやになるほどいっぱいある。
見る見る間に雪が溶けることを想像しつつ、いざ開始だ。

雪はまだ締まっていないふわっとしたものを、なるべくつぶさないように鍋に投入した。
鍋の口部分ですりきった。

ロケットストーブに点火。
おや?
なかなか雪が溶けていかない。

へええ、けっこう時間がかかる。
いや、意外と溶けないものだ。

実験と言いつつ、溶ける時間を計らなかったが、少なくとも見ている前でガンガン溶けるというようなものではなかった。

鍋の深さは12センチメートル。溶けた後の水深は3センチメートル。
12センチメートルの降雪が、3センチメートルの降水に相当したということか。ちょうど4分の1になった。

やってみて思ったのは、雪を熱エネルギーで溶かすのは容易ではないということ。
冷えきったものは戻らない、そんなことを思った。


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2013年6月 9日 (日)

しなければいけない抵抗はする

今日は松本で小出裕章さんの講演会だった。
ぼくは実行委員会の一員として、朝から会場に出かけ準備を行った。

今回、ぼくの役割は受付。
開演後も受付を担当した。当然のことながら講演を直接聴くことはできない。
それでも、開演後に来る人もけっこう多く、終演近くになってから来る人もいたりで、その点では受付の役割は果たせただろう。

直接聴くことはできなかったが、ホワイエにモニターがあり、粗い映像と聴き取りにくい音声ではあったけど、何となく会場の状態はわかった。

最後に質問コーナーがあり、信州大学大学院の学生の質問と、それに対する小出さんの答が印象に残った。
大学院生は理学を学んでおり、チームめとばで、給食食材や、市民から依頼のあった食材の放射線量測定を行っている。

学生の質問はこうだった。
「自分は科学を学んでいる。科学には大きな力があり、さまざまな新しい発見も生まれる。その一方、科学の成果が必ずしも社会にとってよいものとは言えないものである場合が往々にしてある。例えば原子力のように。そんな時、そのまま科学を学んだり研究を続けていてよいのか悩む。小出さんはどう考えるか」

小出さんからは次のような回答だった。
「とても難しい質問だ。科学は、わからないことをわからせようとする。そして何かがわかると、さらにわからないことが多くなる。そこでもっと追究するようになる。わからないことを何とかわからせよう、そうやって科学の世界にのめり込む。私もそうだ。
質問について言えば、やはり『自分がしなければいけない抵抗はする』ということだ」
およそこんな感じだった。

そう、抵抗しなければいけない時がある。

これは科学の世界に限らず、たとえば会社生活においても同じだろう。
そして社会生活においても。

「そうは言っても」
この言葉を、できる限り言わない習慣。これも大切なことだろうと思った。


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2012年10月31日 (水)

市民にとって科学とは

そろそろ読み終えようとしている本がある。
「科学的思考」のレッスン

という本だ。

市民は科学とどうつきあっていけばよいのか。
市民は科学をどう判断したらよいのか。

そのようなことが書いてある。

原発、遺伝子組み換え、電磁波、リニア新幹線などなど。

世の中には科学的議論を経たうえで決めなければならないことが数多くある。

そして、科学が何かを決めてくれる、答を出してくれるはずと期待する傾向も少なからずある。
だがそういうものではない。
科学とはどういうものか、科学が明らかにできること、できないこと、科学にたずさわる人が決めてしまってはいけないこと、そういったことを市民はきちんと理解する必要がある。

というようなことを漠然と考えてはいたが、この本を読むとそのあたりのことがすっきりしてくる。

次にはこの本で得たことを、活動の中に取り込んでいきたいと思う。

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2011年5月28日 (土)

科学リテラシー、市民の科学

先ほどテレビをちらっと見たら、放射線量率の測り方を取り上げていた。

ぼくも携帯型のガイガーカウンターを持っている。あれはスイッチを入れるだけでともかく数字が出てくるから、測定できてしまったような気になる。だが、出てきた数字をそのままうのみにしてはいけない。

これは、どちらかといえば枝葉の話かもしれないが、今まさに科学リテラシーが本当に必要になっている。
リテラシー、読み書き能力とでも言えばよいのだろうか。科学を理解する力だ。

科学が万能だなどと言うつもりは毛頭ない。だが科学的な知識が不要だと言うつもりもない。

今後、原発をどうしていくのか、ぼくたちの社会をどうしていくのか、それを考えるときに科学的なデータだけ、科学理論だけから判断したり、方向を決めたりすることはできない。でも科学を理解せずして議論するのも危険なことだ。それは単に科学的根拠が必要だ、などということだけではなく、科学をふりかざして、実は科学的ではない論理を展開するものを論破するためにも必要なことだ。

市民科学を、科学を市民の手にと訴え実践した高木仁三郎さんは、すでにこのような状態まで見通していたのかもしれない。

これからの市民の主張と行動にとっての基礎体力としての科学。
自らもより科学への理解を深め、またそれをわかりやすく広めていくこと。
これもまたぼくの役割だ。

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