Sustainability

2015年8月14日 (金)

昨日は地球がオーバーシュートした日

昨日、8月13日は2015年分の地球の環境容量を超えた日だ。

この日を過去の遺物とするようにしなければ、人類の未来はない。

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2015年3月 3日 (火)

小さいことは美しい:3月2日はミニの日

昨日、3月2日はミニの日だそうだ。
なぜミニなのか?解説はいらないだろう。

ミニと言っても、いろいろあって、どんなミニについての日なのかはしらないが、ミニと聞いて真っ先に頭に浮かんだのは「ミニ=小さい」という連想から、「小さいことは美しい」という言葉だった。

ドイツの経済学者シューマッハの著作「スモールイズビューティフル」に書かれている数々のことが頭に浮かんだ。
ぼくの大好きな本だ。

こう考えると、3月2日がミニの日だというのはなかなかいい。うれしい記念日だと思った。
なにしろこの日はぼくの誕生日なので。

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2014年8月20日 (水)

今日から借金生活:EARTH OVER SHOOT DAY 2014

今日から借金生活だ。

ぼくだけじゃないよ。
ほら、君も、あなたも、みんなだよ。

なぜなら。
昨日、8月19日は地球のオーバーシュートデーだったのだ。 → EARTH OVER SHOOT DAY 2014

地球の今年の収容能力を超えてしまったというわけだ。
人間の要求が、自然資本の生産量を超えてしまった。

毎年、8月にこの日はやってくる。
つまり、地球が1.5個は必要ってことだ。

毎年そんなことを繰り返していて、どうしてやっていけるのか?

実は、冒頭の表現にはちょっと解説が必要だ。
給料を使い果たして、蓄えに手をつけなくてはならなくなったということだ。
借金と言っても、まだ自分の中でどうにかなっている。
この蓄えがなくなったら、いよいよおしまいだ。

誰かから借りればよい?
そんなわけにはいかない。
「地球」という人の蓄えがなくなったら、どこから借りるのだ?

元本に手をつけなければいけなくなる。
それは減る一方だ。
いつかはなくなる。
借金もできない。

どうすればよいのか?

無駄な消費をやめるしかないじゃないか。

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2014年6月 4日 (水)

プラグ差しっぱなしの水道凍結防止帯

この頃、街中を歩きながらとても気になることがある。
ほとんどの建物の水道凍結防止帯のプラグが差しっぱなしになっていることだ。

凍結防止帯にはサーモスタットがついているから、さすがにこの気温では、プラグが差してあっても通電しているということはないとは思うが、やはり気になる。
気になるというのは、サーモスタットの動作を疑っているという意味ではない。

水道凍結防止帯みたいに、電気を大食らいする電気器具に対して、あまりにも無頓着ではないかと、その意識が気になってしかたがない。
防止帯は安全側で作動するから、凍結しないような気温でも通電するはず。

水道の凍結防止については、今のところ決定的な解決策もないのもまた事実だろう。
だが、もう少し気を配りたいものだと思う。

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2013年10月11日 (金)

アベノミクスどころではない

今夜はeco検定講座の初回。
11人の方々から申し込みがあった。ありがたいことだ。
大半は女性。
どんな動機やきっかけで受講することにしたのか、気になるところだ。
そのあたりはアンケートをとったので、またあとでゆっくり見てみよう。

基本的には公式テキストにのっとっての話。
自分の主義主張を入れるようなものではない。

それでも、話していると、こんなことしてる場合ではないという気持ちがフツフツと起きた。
アベノミクスだ、リニアだ、オリンピックだ、原発輸出だと、何かと言えば「経済、経済」「経済効果が」の経済オンパレード。

そうやって、何もきづかぬふり、見ないふりをしている間にも、気候変動は深刻化し、生物多様性は崩壊していく。

通常の講演ではなく、テキストを解説していたからこそかもしれないが、いろいろな問題の持つ意味というのがクリアに見えてきて、これから大変な時代に突入するという思いが噴出しそうになって、それを抑えながら話した。
大人の責任という言葉も頭をよぎった。

今の子たちが働き盛りになったとき、どんな社会になっているのか。
その社会のために、今の親たちは何をしているのか。
そのことを考えずにはいられないeco講座だった。

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2013年8月20日 (火)

今日は Earth Overshoot Day

今日、Grobal Footprint Networkからメールが届いた。
それには、「今日は Earth Overshoot Dayだ」とあった。

エコロジカルフットプリント(EF)を知っている人なら何のことかすぐにわかるだろう。
EFは現在の暮らしを維持するために必要な生態学的土地面積を表す、つまり需要だ。
一方、バイオキャパシティという概念がある。これは供給になる。

2013年の一年間に地球の生態系が供給してくれる食料や水の量、あるいは二酸化炭素の吸収量は決まっている。少なくとも上限がある。
これを人間は消費していくのだが、8月20日に使いきってしまったというわけだ。
明日から大晦日までは借金生活だ。
なぜ借金生活が可能かといえば、貯金で言えば元本に手を付けるからだ。

利息だけを使って生きていけばいつまでも続く、継続可能だ。
しかし元本に手をつけてしまうと、いつかは元本がなくなってしまう。

家庭生活なり、企業経営で考えれば非常事態なのだが、なぜか地球規模になってしまうと問題にされなくなってしまう。
そのくせ、他の人の分を奪うことにはたけていて、先進国は途上国からの収奪を繰り返す。

マスコミも取り上げることのなさそうな今日だが、ぼくはしつこく、需要と供給のアンバランスをひとりでも多くの人に考えてもらうことを続けていこう。


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2013年6月14日 (金)

持続可能性と生物多様性

持続可能性、もしくは持続可能な社会、あるいは持続可能な開発、持続可能な発展。
これらの言葉と生物多様性と言う言葉、いずれも大切な概念だと思う。
とくに生物多様性については、あまりにも軽んじられ過ぎていると思う。
そして、持続可能性関連の言葉は、本来の意味を離れて安っぽく使っている例も散見する。
持続可能な経営を行うとか、事業を持続可能にするとか。
継続可能もしくは存続可能と、持続可能とは全く異なるものだと思う。

ともかくも、これらの言葉はふだんの生活のなかではなじみのない言葉だ。
ここに大きな問題があると思う。

とても大切なことなのに、どこか意味不明な言葉を使ってしまっている。
かと言って、これに代わる言葉もなかなか思いつかない。

であれば、これらの言葉に真正面から向き合い、私たちが考える持続可能性、ぼくらが考える生物多様性と言ったことを進めていくことが必要なのだろう。
さて、どうしたら真正面から向き合い、議論ができるか。
すぐにアイデアはないが、やってみたいことのひとつだ。

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2013年3月12日 (火)

メタンハイドレートにも、シェールガスにも手をつけるな

今日の午後、エネルギー関連の一部の株価が大きく上昇したらしい。
その原因はメタンハイドレート。

愛知・三重県沖の海底にある「メタンハイドレート」からガスの取り出しに成功したからだ。世界初とのこと。

メタンハイドレートについては、ほぼ一年前にこんなことを書いた
メタンハイドレートに手をつけるな、という主張だ。
さらに6年さかのぼったときにも、こう書いている

そして今、アメリカを中心にシェールガスで大騒ぎだ。

メタンハイドレートもシェールガスも化石燃料だ。
そんなものが大量に見つかったからといって、有頂天になっていいはずがない。
手をつけてはならない。パンドラの箱なのだ。

そもそも、メタンハイドレートやシェールガスを抜きにした、化石燃料の埋蔵量。
石油があと40年とかよく聞くあの埋蔵量のことだが、その埋蔵されている石油さえ、全部を使い切ることはないだろうと言われている。
全部使い切ってしまうことを心配する声が多いが、その心配は不要だと。
なぜならば、全部を使い切る前に、気候変動が激しくなって、それどころではなくなるから、ということだ。
旧来型の石炭やガス、石油などの埋蔵量だけで、それらを燃やすだけで、人間社会や生態系が受容できる範囲の気候変動を上回る気候変動を起こすことができる。

それなのに、そんなことは話題にされることなく、新しいエネルギーだと浮かれている。

3.11を経ても原発をやめず、新しい化石燃料が見つかったといっては大喜びする。

メタンハイドレートやシェールガスの問題はなかなか理解されないように思う。
理解してもらうのが、気づくのが難しいだろうと思う。
だが、あきらめず、この問題点について自分でももっと調べ、多くの人に伝えていきたい。

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2013年3月11日 (月)

喉もとに留める

3月11日。

この日を語る時、やはり今年の年賀状に書いたことが大切だと思っている。
喉もと過ぎて熱さを忘れる、などということがあってよいはずがない。

今日のGoogleのトップページには、
「3 月11 日。決して忘れない。」
とある。その通りだ。

いや、忘れない、などということではなく、しっかりといつも意識していなければならない。

3月11日で学んだこと、考えたこと、しようと決めたこと、やってはいけないとわかったこと、それらを常に持ち続け、自分はどうするのか考え実行していく、それは責務と言ってよいと思う。

巨大地震、それに続く津波、これらは人間の力ではどうしようもない。
それによって生じる災害。
被災した人を救助する、被災した場所をまたもとのようにする、そういったことが、原発があったがために、何もできずにいた。
一番助けが求められているときに、助けることができなかった。
このことはもっと強く意識したい。

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2013年2月19日 (火)

非電化ふたたび

先日のブログ「非電化は否電化にあらず」の続きというか、繰り返しのような内容になるが、大切なことだと思うのでふたたび非電化を取り上げる。

非電化。
電気使用を否定したり、拒否するものではない。
何か他の方法でできるのなら、電気を使わなくてもいいんじゃない。そういうことだ。
特に、熱を得るものは、電気である必要性はとても低いように思う。

電気でなくてもよい、そういう場合もあるだろう。
電気でない場合は、ひと手間かかったり、時間がかかったりするかもしれない。
スイッチひとつ入れるだけといったお手軽さとは無縁かもしれない。
でも、それでもいいよという人はけっこういるだろう。
いやむしろ、そのほうがいいよ、意外とこれもいいね、そんな人も、実はたくさんいると、ぼくは思ってる。

電気ではないやり方に、楽しさや面白さを感じる人が増えるといいなと思う。
そういう人が増えると、社会に余裕が出てくると思う。
ギスギスしない社会になるんじゃないかな。

太陽光や水力、風力などで電気を作り出す。
その電気はどうなんだ?という突っ込みもありそうだ。
ここでできる電気と、今までの電気は決定的に違うと思う。
自ら作り出す電気か、どこか知らないところで作る電気かの違い。

自ら作り出した電気は、たしかに電気ではあるが、作り出すという行為や過程が存在することによって、従来の電気とは異なる意味を持つ電気になっている。そう思う。

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